風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2009年3月15日/22日 信仰告白

2009年05月12日 22時09分02秒 | 教会員の証し
       信仰告白

 私が教会にはじめて行ったのは、3才の時です。母に連れられて、福岡教会に行きました。それから、毎週教会に行き、何度かバプテスマを受けようか?と思ったことがありましたが、恥かしくて言い出せないまま、中学生になり、私は教会を離れました。
 私が初めて、本当に神さまを求め、心から祈ったのは、結婚し、次女が産まれて1年程経ってからの事でした。その頃、私たち夫婦は、夫の忙しさと、心のすれ違いで、もうほとんど口もきかなくなっていました。私は自分の不幸と、夫の私への不理解を思い、泣いてばかりいました。長女が産まれた時。光の中にいるように幸せだったのですが、いざ、育児が始まると、それはもう大変で、私は育児ノイローゼになってしまいました。長女は、とても情緒が不安定だったのです。私は、長女がこんなにも情緒が安定しないのは、私のあり方と育て方に全ての原因がある。と思い込み、自分を責め続けました。
 そんな暗くて、安定しない家族の中に、次女が産まれたのです。次女は本当によく笑う、とても安定した赤ちゃんでした。私は、心から救われていくのを感じました。その時初めて、「子供達を幸せにしたい」「そのためには、私がまず幸せになろう」そう強く思ったのです。けれど、もう何年も、主人と自分を責め、何でも主人のせいにして、泣き続けてきた私は、幸せになるには、どうしたらいいのか?何から手をつけたらいいのか?わかりませんでした。自分が、幸せからあまりにも遠く離れてしまったことを知り、もう二度と、幸せにはなれないのではないか、と恐れました。そして、神様に祈ったのです。「神さま、助けて下さい。私と子供たちを、どうぞ幸せにしてください。」
 そして、私たち家族は、いろんな経験を経て、あの時の私には、考えることもできなかった程、幸せになることができました。始め私は、神さまは何1つ叶えて下さらない。と、神さまをうらみました。しかし、私が幸せになった時。私の後ろをふり返ると、神さまの愛があふれる程に満ちているのを見ました。
 私は、悪いことを全て主人のせいにして、主人さえかわってくれたら、幸せになれるのに…。そういつも考えていました。けれど、神さまは、私が変わることで、私と私の周りを幸せにして下さいました。まるで、泥沼から引き上げられたように、軽くなることができました。神さまは、私が願ったことは、何1つなさいませんでしたが、私の祈りは、聞き届けられ、私が思うよりも、何倍も何十倍もの幸せを、私に下さいました。今、私は、家族1人1人をとても愛していて、幸せです。ケンカもし、心がすれ違うこともたくさんあります。けれど、「幸せ」なのです。
 神さまが、そう思える私に変えて下さいました。主人は、結婚する前からも、その後も、どんな時にでも、「おはよう」と言うように、「愛してるよ」と言ってくれます。それは、私をとても元気にしてくれ、感謝でいっぱいになります。子供たちは、私をいつもゆるし、助け、愛情いっぱいで、私を受けとめてくれています。私は、家族の愛の中で、それにこたえられる人でいることに、一生懸命です。そんな風に、私は変えられました。神さま、ありがとうございます。
 それから私は、神さまと共に生きていこう!!そう思い、教会に通い始めました。けれど、バプテスマの決心は、なかなかつきませんでした。そんな私が、バプテスマを受けようと思ったのは、平良先生が、嵐を沈めるイエス様のお話しをして下さった時でした。
 湖を、イエス様と弟子達が、船に乗って渡ろうとしています。その時、嵐がおき、もう船は沈みそうです。弟子達は、死ぬのではないかと不安におそわれます。イエス様は、そんな弟子達の不安など、知らぬとばかりに船に横たわっています。弟子達は、イエス様につめ寄り、責め立てます。イエス様は立ち、嵐に向かって言われました。「静まれ!」。すると、嵐はおさまりました。そして、イエス様は弟子達の方を向いて言われました。「まだ、信じないのか?」そのお話しを聞いた時、私は自分の信仰のあり方を見ました。それは「神さまを信じている」と言いながらも、神さまの船に乗り込もうとはせず、ちっぽけな自分の船にしがみついている私の姿でした。
 「神様を信じている」と思っていたのは、実は私の船の横に、いつも神さまがぴったりと寄り添っていて下さったからだったのです。そして、神さまは私に言われたのです。「まだ、信じないのか?」私は、自分の船を明け渡す時が来た。と思いました。こんなちっぽけで、今にも沈みそうな船に、どうしてこんなにしがみついていたんだろう!?「私は、神さまの船に乗る。」そう決心しました。
 それでもまだ、グズグズしていた私に、神さまは最後の一押しをして下さいました。それは、イエス様の十字架でした。「なぜ私をお見捨てになられたのですか!?」と叫び、失望の中で絶叫し亡くなられた。という平良先生のお話しを聞いた時、自分の耳にイエス様の絶叫が聞こえたような気がしたのです。
 それは、とてもリアルなものでした。イエス様が生涯かけてやってきた全ての事。今まで一度もゆらぐことのなかった神さまへの絶対の信頼。それらが死ぬ直前に一気にゆらいだのです。十字架という肉体的な苦痛の上で、もう「死ぬ」という時になって…。それを取り戻す時間さえないのです。なんとむごいことか…。と、私は、イエス様があまりにもかわいそうで涙が出ました。
 そして、ご自分の子供に対して、それ程までの苦痛を与えなければ救えない、私の罪とは、なんと大きいことか!?と、驚きました。しかし、それと同時に、不思議な事に、神さまが、これ程までのことを、この私にして下さったのだと、確かに信じることができたのです。「だから、もう大丈夫!安心して生きていいんだよ。」と、言われたような、大きな安心感が胸いっぱいに広がりました。神さまを畏れ、そして、神さまによって救われた私を知りました。
 私は、とても長い間、迷いながら、神さまにたどり着きました。「神さま大好き!!」と恥かしがらずに言える私になりたいです。私が教会員のお1人お1人の中に、神様があることを感じるように、私の中にも、神さまの存在が、確かに感じられるように、なりたいのです。平良先生をはじめ、私をみちびき、ずっとお祈りして下さった、平尾教会のお1人お1人に、感謝の気持ちで、いっぱいです。「ありがとうございます」
 そして、私のことを愛し、心配し、私が神さまから離れないように、そっと見守ってくれた、父と母に感謝です。特に、40年と言う長い間、祈り続けてくれた母に、何とお礼を言ってよいかわかりません。
だけど…「ほんとうに、ありがとう」
これで、信仰告白を終わります。


N.K

2009年3月8日 新人奏楽者です

2009年05月06日 22時54分43秒 | 教会員の証し
     新人奏楽者です

 2年前バプテスマを受け新しく生まれかわってから私自身、一番驚くべきことはオルガンの奏楽者になったことです。

 小・中学生の頃、ピアノを習っていたものの練習サボリ魔で、先生にみてもらう30分前にあわてて練習していた不良生徒でした。あの頃まじめに練習していたらすてきな曲をいっぱい弾けるようになっていたんだろうなぁと成人になって反省することしきりでした。

 そんな私を知らずに「ピアノとかやったことあるのかしら?オルガン練習してみない?」Shk先生が声をかけて下さいました。そして四半世紀ぶりの練習は指の練習から始まりました。五線譜からはずれた音譜の音がすぐわからないとかリズムがへんだったり思うように指が動かない大変な生徒に詔子先生はびっくりされたと思いますがあきらめることなく、忍耐強く、やさしく教えて下さっています。

 たくさんの方のお祈りのおかげで、昨年3月に奏楽デビューをして1年たちました。礼拝では練習と違い兄弟姉妹の歌声が加わり「奏楽がんばれ」と応援してくれているようで背後に熱いものをひしひしと感じながら弾いています。まだまだ、バッハなど難しい曲は弾けませんが、教会を訪れた人がいやされて帰っていけるような奏楽ができたらいいなと思っています。神様が、そして平尾教会がこんな未熟な私を用いて下さることを本当に感謝しています。


U.N

2009年2月15日 風の知らせ・・・

2009年05月03日 12時53分29秒 | 教会員の証し
     風の知らせ・・・

 今、ボンヤリと家の窓から外を眺めている。木枯らしが吹き木の枝が揺れ、時として小雪が舞い鉢植えの花は震えている。そして雲が絵文字を作りながら流れて行く。今感じているこの「命の動き」は何者にも勝るエネルギーを感じさせてくれる。その中に、ホッとする安らぎと豊かさを感じる時がある。人の生活にはそれがとても大切なことのように思う、それが心の栄養となるから。

 私の生活が今変わろうとしている。温かみのある言葉を求めている自分に行動で応えようとする彼が眼前に現れたのである。人生の苦渋を経験しつつも将来に希望を持ち続け努力する姿に二人が共鳴したのだ。

 離婚、最愛の娘の死とドン底の暗闇の人生は有ったものの何時も「祈り」こそが立ち直る勇気を私に与えてくれた。この今の私の幸せを一番喜んでいるのが亡き娘であろう。受難の時、私を救って下さった信仰は娘が教えてくれたもの、これからも救いの手を差しし伸べてくれることでしょう、感謝の気持ちで生きて行きたい。

 水先案内人{パイロット}と言う特殊な職業に従事している彼。本来は船特有の固有名詞で、飛行機のパイロットより歴史は古いと、私の知らない世界へと導いてくれる。そして何時の間にか珍しい世界に驚きながらも嬉々として迷い込んで行く私へと変身していく。彼から与えられたこの珍しい世界の中をユックリと彷徨ってみようかなと思う。前を向き颯爽と歩いて職場へ向かう彼、私はそんな彼を支えると力むよりも心地良い負荷を与えながらノンビリと生きてみたい。今までは心もとなかったがこれからは名パイロットの後ろにぶら下っておれば良いのである。私の大好きな櫻の季節に、地上12階の博多の海より入籍の風の知らせをしよう。


T.S

2009年2月8日 「信教の自由をおぼえての礼拝」にあたって思うこと

2009年05月02日 23時51分30秒 | 教会員の証し
「信教の自由をおぼえての礼拝」にあたって思うこと

 私たちは今朝「信教の自由をおぼえての礼拝」を守ります。私たちキリスト者にとって何故「信教の自由」は大切なのでしょうか。

 「私たちが信じている神は、創造主であり、全知全能、唯一の神です。神は私たちをお救いになるために、この歴史の中にイエス・キリストを通してご自身を示されました。つまり、み子イエス・キリストにおいてご自身をあらわされ、聖霊として私たちの信仰を導き助けてくださる神こそが、父・子・聖霊として働かれる、まことの神です。」これは日本バプテスト連盟が発行している小冊子「バプテスマを受ける方へ」の中の文章です。

 また聖書では、私たちがよく承知しているモーセの十戒の第一戒で「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20:3)と神は語っております。これらのことを知っている私たちは神以外のものを神としてはならないのです。しかし、日本の国において、わずか64年前まではそうではありませんでした。天皇が生ける神として、その天皇の名のもとに国を治めていたのです。

 私たちの先輩であった当時のキリスト者も、イエス・キリストが唯一の神の子であることを信じ、そしてモーセの十戒を知っていました。けれどもその先輩キリスト者たちが、神の名のもとに天皇崇拝をし、神社参拝をなし、侵略戦争の勝利のために祈り、まさに天皇の臣民としての役割を果たしたのです。

私たちは歴史の教訓としてこの事実を決して忘れてはなりません。

 それは60年以上前の話であって、今は違うと思われるかも知れませんがそうではありません。戦後、新憲法で確かに天皇は国の象徴となり、信教の自由も保障されるようになりました。しかし、構造は、実体はどうでしょうか。「君主制国家」としての内実が生き続けているのではないでしょうか。私たちはこのことに深い関心と注意を払いたいと思います。


M.W