風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2015年4月19日 息抜き

2015年04月25日 23時06分08秒 | 教会員の証し
息抜き

 大きな机をひとりじめして好きな本を読んだり、窓の外の木々をボーっと眺めたりして図書館で過ごす時間。大濠公園やその近くの植物たちを訪ね歩く時間。美術館のひんやりした空気の中で、いにしえの、そして現代の人々の創造への研ぎ澄まされた息づかいを背筋に感じながら過ごす時間。トトロに出会いそうな深い木々の間を歩いたり…。植物園には一番忙しかった頃、一年に18回も通ってスタンプをもらい、そのご褒美にミモザの苗木をいただいて、庭で育てた。今では、大きく成長して今年も鮮やかな黄色の花を咲かせてくれている。

何か心がザワザワしていると、お祈りの次に息抜きを考えている私がいる。
 ずーっと昔にも、中学高校時代、定期試験が 近づくと、徹夜に近い時間を過ごしていても、ただボーっと思いにふけって、外に出ての息抜きばかりを考えていた。もっとあの時真剣に勉強していれば、違った人生が…、と思ってしまうほど。
 今年は教会の大切な働きを授かって、沢山の不安と同じくらいのワクワク感を感じながら、心が少しザワめいている。今まで以上のお祈りと、そして息抜きが必要になってくるのを感じている今がある。そして私に与えてくださった教会の働きは、教会の皆様の協力とチームワークで創りだせることだと信じている。
 皆さん、私から「助けて!」と声をかけられたら、快く「OK」という返事を下さい。


H.J

2015年4月12日 新年度の目標

2015年04月19日 23時07分13秒 | 教会員の証し
新年度の目標

春、喜びと別れ、そして新たなスタートの季節となった。
 私も昨年3月に理学療法士の養成学校を卒業し、4月から折尾に在る整形外科病院で勤務。そしてこの春から、筑紫野市に在る内部障害(泌尿器や循環器など)に特化した病院へ移った。環境が変わったのは勿論のこと、整形と内部障害ではジャンルが違う為、イチから学び直しとなる。
 その日やる事を書き出し、消していっても、次々と"やる事"が追加され、いっぱいいっぱいな日々を送っている。それに加え、「この一年何をやってきたのだろうか」と思う程、基本的な事も出来ない自分に呆れ、嫌気がさす。
 しかし、私に求められているものは"プロ"になることである。患者様相手なのだから当たり前だが、この一年「新人」という言葉に甘えてきたなと反省している。
 そこで、今年度の目標は「プロに成るべく、知識・技術を基本から見直し、身に付ける。」こと。この道が神のお導きであるならば、道は開かれる。身を引き締めて取り組んで行くぞ!


O.S

2015年4月5日 神様のもとに帰る

2015年04月19日 23時04分21秒 | 教会員の証し
神様のもとに帰る

 2015年2月25日 私の祖父は、亡くなりました。葬儀は、祖父が生前から願っていた音楽葬で、キリスト教式で行う事が出来ました。仏式でお坊さんがお経を唱えるのとは違い、讃美歌を歌ったりメッセージを聞いたりした事が、とても印象に残りました。来られた人たちも、皆喜んで下さって嬉しかったです。
 祖父が亡くなった事はとても寂しいけれど、メッセージで「死ぬ事は終わりではなく、魂は天国に行き、この事は勝利です。 だから 祖父は神様のもとに帰ったのです」と聞いて、私は何も心配しなくていいんだ!と思う事が出来ました。
 そして、なぜか周りの人達の顔が、暗くなく明るく感じました。通常なかなかキリスト教にふれる機会がないので、こういった機会にいろんな人たちが、少しでもキリスト教に興味を持ってくれたらいいなと思いました。
 最後に、祖父の大事にしていた「あきらめないで生きていく」ということを大切にし、神様のもとに帰る時には、堂々としていられる自分でありたいです。


S.H

2015年3月29日 尹東柱(ユンドンジュ)のまなざし

2015年04月05日 23時25分32秒 | 教会員の証し
尹東柱(ユンドンジュ)のまなざし

 尹東柱は韓国で最も愛されている詩人の一人である。1917年にキリスト者の家に生まれ、延禧専門学校(現・延世大学校)入学前後から詩作を始めた。1942年、日本に留学し、立教大学を経て同志社大学英文学科に入学。1943年7月14日、治安維持法違反で逮捕され、懲役2年の判決を受けて福岡刑務所に収監された。
 『特高月報』(1944年1月)に「在京都朝鮮人学生民族主義グループ事件策動概要」との記載があるが、朝鮮語で詩を書いたことが、民族意識の鼓吹・民族運動の煽動にあたるとされたらしい。1945年2月16日獄死。
 今年は、没後70年にあたることから、2月上旬、かつての福岡刑務所に近い西新で資料展が開かれたので、見に行った。代表作『序詩』の自筆原稿などが展示してあった。
 この世を去る日まで空を仰ぎ見て一点の恥もなきことを木の葉を揺らす風にもわたしの心は痛んだ星をうたう心ですべてのゆくものたちを愛さなくてはそしてわたしに与えられた道を歩まなければ今宵も星が風に吹かれた50年も生きていると「一点の恥なき」人生とは、とても言えない。しかし、そのような自分でもイエスは、優しく見つめていてくれるはずだ。わずかに残された写真の中の尹東柱のまなざしは、イエスのそれを思わせる。


T.S