古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

行燈山古墳と陪塚(葛城・纒向ツアー No.21)

2020年01月14日 | 実地踏査・古代史旅
 さて、次は行燈山古墳です。全長242メートルの前方後円墳で全国で第16位、柳本古墳群では300メートルの渋谷向山古墳に次ぐ第2位の規模で、古墳時代前期の4世紀前半の築造と考えられています。宮内庁によって「山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」として第10代崇神天皇の陵に治定されています。





 この左側(南側)の周濠に沿って舗装された道があります。西に向かって斜面を下る坂道です。岡田さんと佐々木さんは脇目もふらに一気に坂道を下っていきます。気持ちいいだろうなあ、と思いながらも私はこの巨大古墳をしっかり目に納めながらゆっくり行こうと思いました。向こうに二上山が見えます。この古墳も渋谷向山古墳と同じく傾斜地に築造されているため、湛水のために3ヶ所で渡堤によって区切られています。

後円部の先端です。


 前方部に向かう途中、写真を撮りたかったのですが、周堤の高さが思った以上に高くてあきらめました。ふたりに遅れて前方部に到達。拝礼所に行くために一度国道に出ます。そのときに右手に見えたのが南行燈山古墳。立派な倍塚です。全長65メートルの前方後円墳で築造時期は行燈山古墳と同時期と推定されています。


墳丘が刈り上げられてそれなりに美しい。

右手の奥にが拝礼所が見えます。


拝礼所に向かう参道。


参道の左手にはアンド山古墳の前方部がすぐそこに。これも陪塚。

アンド山古墳は全長120メートルの前方後円墳。主体部の埋葬施設は竪穴式石室と見られ、この古墳も行燈山古墳と同時期の築造と推定されます。

拝礼所の手前にくると右手に南行燈山古墳もすぐそこに。


拝礼所の階段を上がったところです。






階段を上がるとアンド山古墳がよく見えます。


これは国道から撮ったアンド山古墳。


そして国道を挟んだ西側にある大和天神山古墳。




 写真は帰りに撮ったのですが、この古墳も行燈山古墳の陪塚とする説があるのでここで紹介します。大和天神山古墳は全長103メートルの前方後円墳で築造時期は3世紀後半から4世紀前半頃と推定されています。
 墳丘の東半分は国道169号の建設で削平されています。写真の左側が国道です。その国道工事に先立つ1960年(昭和35年)の発掘調査で竪穴式石室から内行花文鏡4面などの銅鏡23面を含む多数の副葬品が検出されています。

 以上、行燈山古墳(第10代崇神天皇陵)およびその周囲にある古墳を紹介しました。次はいよいよ33面の三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳です。隣接する古墳展示館も含めてこの日一番楽しみにしていた古墳です。



古代日本国成立の物語 ~邪馬台国vs狗奴国の真実~
小嶋 浩毅
日比谷出版社




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