古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

よこすか満喫

2019年05月30日 | 旅行・車中泊

 2019年5月25日の土曜日、東京単身宅のある北品川から京急のお得きっぷ「よこすか満喫きっぷ」を利用して横須賀へ行ってきました。このお得きっぷは、①京急の発売駅から横須賀(汐入から浦賀のフリー区間)までの往復運賃、②横須賀駅から観音崎のフリー区間での京急バス乗り放題、③加盟店舗での食事、④加盟店・施設の利用、という4つの特典の付いた本当にお得な切符です。今回は発駅である北品川で購入したので1枚3,050円です。どれくらいお得だったのかは、最後にわかるのでお楽しみに。

 北品川の自宅を出たのが10時半頃だったと思います。電車の中にはお得きっぷのパンフレットを手にした人がたくさんいます。京急のお得きっぷは「よこすか満喫きっぷ」のほかに「みさきまぐろきっぷ」や「葉山女子旅きっぷ」があり、私たちのような中年夫婦や若いカップル、若い女性やそうでない女性のグループなどが、それぞれの行き先に応じたパンフレットを持っています。

 車内では、私はパンフレットを見ながら、奥さんはネットを検索しながら、どこでランチを取ろうかと二人で考えていました。そして、なんと偶然にも二人の意見が一致したのです。ということで、私たちは汐入で下車してドブ板通りへ向かいました。有名なお店にはすでに行列ができています。私たちの目的のお店は「HONEYBEE(ハニービー)」。ドブ板通りを少しはずれて国道に出たところで、ここもすでに行列ができていましたが20分ほど並んだだけで入ることができました。

 注文したのはヨコスカネイビーバーガーコンボ。塩コショウだけで味付けした100%牛肉のでっかいパテを挟んだバカでかいハンバーガーとポテトとドリンクのセット。口の小さい奥さんはかぶりつけずに苦労してましたが、シンプルに肉の味がよくわかる絶品バーガーでした。

 お店を出て向かった先は三笠公園。日露戦争の日本海海戦で勝利した戦艦三笠を展示する公園です。 艦内は展示施設になっていて、日清戦争から日露戦争に至った経緯、その日露戦争での勝利、そして日露戦争を舞台にした戦艦三笠の活躍などが様々な視点で展示、紹介されています。全部をじっくり観てまわると3時間以上かかるでしょう。仕事で中国の大連へ何度も行ったことがあるので、旅順港や203高地など日露戦争ゆかりの地を訪ねたことがきっかけで自分なりに日露戦争を勉強していたので展示の解説はほとんど読まず、艦内を駆け足で巡りました。その後、デッキへ出て改めて三笠の巨大さに驚き、艦橋で東郷元帥の気分に浸り、戦艦のデザインの美しさやカッコよさに見とれていました。

 三笠のあとはすぐ近くの「よこすかポートマーケット」へ。パンフレットにはいかにもおすすめスポットとして紹介されていましたが、来てみて少し、いや、かなりガッカリしました。施設が小さいので売り場も狭く、買い物の楽しみが味わえない。そして、たしかに安いけども地元産ではない。そんなこんなで活気がない。魚や野菜が売り物のマーケットなんだろうけど、もう少し工夫できないものだろうか。ジェラートを買って次の目的地へ向かうことにしました。

 次は横須賀中央駅へ出て、そこでバスを乗り換えて観音崎へ。マーケット前からバスに乗って横須賀中央駅へ行こうと思って外へ出ると、ちょうどバスが出たところ。ちょっと悔しい。次のバスまで15分ほどだったので歩くことにしました。この日の横須賀はお祭りがあったのでしょうか、横須賀中央駅の駅前は出店が並び、若者が溢れていました。人ごみをかき分けてバス停に行くと、観音崎行きのバスはすぐに来ました。

 観音崎まで30分近くかかったでしょうか。途中、走水(はしりみず)という地名があり、バスも走水神社に停まったりして、「珍しい地名やなあ、でも何となく記憶の奥底に残っている響きやなあ」と思っていると間もなく目的地に到着。青い空、穏やかな波打ち際、緑の木々。観音崎はゆったりと時間が流れる穏やかな空間でした。

 ところで、走水は日本武尊が東国平定の際、ここから浦賀水道を渡って相模から上総に向ったとされているところでした。海が荒れて渡れなくなったときに妃の弟橘媛が入水して荒れた海を鎮めたところでもあります。

 遊歩道を進んで急な坂を上ったところに灯台があります。残念ながら時間が遅かったので灯台に登ることはできませんでしたが、ここからの眺めはなかなかグッドでした。

 

 太陽が西に傾いてきたので、すぐ近くにある観音崎京急ホテルにある温浴施設「SPASSO」へ行こうと歩いて向かいました。夕陽が綺麗でした。

 

 少し時間が早かったこともあってお風呂にはほとんどお客さんがいなくて、室内も露天風呂もほぼ貸し切り状態です。この日は5月にもかかわらず30℃を超える暑い一日でしたが、1時間ほどお風呂に浸かってさっぱりしました。

 ホテル前からバスに乗って横須賀中央駅に戻ったのは20時過ぎだったのですが、駅周辺は昼間よりも賑わっていました。駅前のモアーズシティで晩ご飯を済ませ、そのまま京急に乗って北品川に帰りました。自宅に着いたのは22時半頃でした。

 

 さて、今回の「よこすか満喫きっぷ」は北品川からの乗車だったので料金は3,050円になりますが、どれくらいお得だったのか発表します。

  電車     北品川→汐入 640円

          横須賀中央→北品川 640円

  バス     横須賀中央→観音崎 370円 

          観音崎京急ホテル→横須賀中央 370円

  ランチ    1,680円

  SPASSO  1,900円(平日は1,500円ですが土曜日は高くなります)

 

これらすべての合計が5,600円。チケットの料金3,050円との差額(お得金額)はなんと2,550円にもなりました。お風呂の1,900円が大きいですね。「よこすか満喫きっぷ」は加盟施設・店舗の利用特典がついていますが、これは1カ所1回のみです。今回は記事の通り、三笠記念館とSPASSOの2カ所を利用したのですが、事前にそれぞれの料金を調べたところ、SPASSOが1,900円で三笠記念館が600円だということがわかったので、チケットはSPASSOで使うことにして三笠記念館は料金を払うことにしました。さらにこの料金、JAFの割引で500円になったので、その分もお得になりました。

 

以上が京急の「よこすか満喫きっぷ」の利用報告です。行き先を欲張ってバスの乗車を繰り返すことでさらにお得になります。ぜひ利用してみてください。

最後に、私は決して京急の関係者ではありません。ただ、京急沿線に住んでいるので、他のお得きっぷも含めて本当にお得を実感しているのでご紹介したまでです。誤解なきよう。

 

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新山古墳

2019年05月21日 | 遺跡・古墳

2019年1月、例によってワンコの散歩を兼ねて奈良県北葛城郡広陵町にある新山古墳(しんやまこふん)へ行ってきました。

 

新山古墳は馬見古墳群の東南端、高田川の左岸に面する丘陵の端に位置する前方後方墳で4世紀中半から末の築造とされています。大和では珍しい前方後方墳で全長が126mあり、そこそこの規模の古墳です。第25代武烈天皇陵の候補と考えられ、宮内庁によって「大塚陵墓参考地」として管理されています。 明治18年に土地の所有者がそこに古墳があるとは知らずに植樹をしようと穴を掘ったところ、後方部にあった竪穴式石室につきあたり、34面もの銅鏡ほか多数の副葬品が出土したとのことですが、その大半は宮内庁で管理されるようになりました。なかでも西晋(265年~315年)のものと思われる金銅製の帯金具は古墳の年代決定における重要な副葬品とされています。

 

 

高田川越しに古墳の南東方向から。

 

 

川を渡って近づくと周濠の名残りと思われる池があるのがわかります。

 

古墳の北側は小さな公園になっていますが、古墳の後方部とほぼ一体となった小山です。

 

フェンスの向こう側が後方部です。

 

 少し離れて北側を撮ると、ここにも周濠の名残りと思われる池があります。

 

後方部の北東の角。陵墓参考地の碑と立て札が立っています。

 

後方部の北西の角。住宅がそこまで迫っています。

この住宅地の開発に伴って1980年、81年と正式な調査が行われました。この住宅地は「みささぎ台」と言います。

 

前方部の南東の角。

 

 

北側の公園にたつ説明板。

 

 

すぐ近くにある喫茶店「陵」。右端です。

 

おそらく土地の所有者、あるいはその関係者が経営されていると思われます。

 

「陵」の2階には新山古墳からの出土品が展示されていて、自由に見学をさせてもらえるそうです。 色が抜けていますが、そう書いてあります。

ワンコの散歩の途中だったので見学を断念しましたが、陵墓参考地からの出土品を所有しているということは、土地の所有者で明治18年の発掘に関係した人、あるいはそのご家族の方なのでしょう。

 

 宮内庁はこの新山古墳を武烈天皇陵の参考地とする一方で、奈良県香芝市今泉にある傍丘磐坏丘北陵(かたおかのいわつきのおかのきたのみささぎ)を武烈天皇陵に治定しています。また、蒲生君平が「山陵志」において武烈天皇陵とした築山古墳(磐園陵墓参考地)はここから南に1キロほどのところにあります。 古墳の規模や豊富な副葬品から考えると、天皇陵であってもおかしくないのですが、やはり前方後方墳というのが引っ掛かりますね。




 

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馬見古墳群

2019年05月08日 | 遺跡・古墳
これまでに築山古墳群続編と合わせて二度にわたって紹介しましたが、今回はその北側に広がる馬見古墳群の南端に分布するいくつかの古墳を紹介します。いずれもワンコの散歩がてらの見学なので、そんなに遠くへ行けず、近鉄大阪線あるいは国道165号線と県道105号線(中和幹線)に挟まれた地域のみの探索となります。
 
<黒石古墳群>
 
みささぎ公園内に円墳が2基、前方後円墳が1基、計3基の古墳が残されています。
 
左手奥に円墳が見えます。その右の小山が前方後円墳の後円部となるのですが、前方部の範囲がよくわかりませんでした。写真の下半分全体がそのように見えるものの、それだと前方部が大きすぎる気もする。
 
前方後円墳の前方部の手前にあったもう1基の円墳。
 
別のところから移築された黒石13号墳の石室。
 
 
みささぎ公園の西にある黒石公園内に残された2基の円墳と1基の前方後円墳。
 
おそらくこれが前方後円墳と思われます。
 
階段を挟んで2基の円墳。
 
 
公園の近くに放置された林がありますが、おそらくこれも古墳と思われます。
 
<別所石塚古墳>
 
自動車学校の敷地に隣接する前方後円墳。前方部はこの教習所の建設時に削られたと思われます。全長が90~100mと推定されています。
 
近づくと後円部が比較的よく残っているように見えます。高さは8mで埴輪や葺石があったと考えられ、埋葬施設も検出されています。
 
後円部の先端です。墳丘に登ることも可能です。上の写真の裏側です。
<城山1号墳・2号墳>
 
城山児童公園内に残された古墳で、1号墳が全長42mの帆立貝式、2号墳が東西径19m、南北径21mの円墳とされるが、墳丘に登ってみると2つの古墳は1号墳の前方部を介してつながっているように感じるので、どちらが帆立貝式でどちらが円墳なのかわからない。墳丘や周囲を歩いてみるとむしろ2号墳が前方後円墳のように思える。
 
1号墳の後円部。滑り台のあるところが2段築成の1段目のように見えますが、よくわからない。
 
1号墳の墳丘上。手前が前方部です。
 
1号墳は盗掘を受けたとの連絡を受けたあと、記録をとってすぐに埋め戻されたそうです。その際に硬玉製管玉1個と碧玉製管玉1個が見つかったとのことです。
 
2号墳。上の写真とこの写真のどこかに2つの古墳の境い目があるはずなのですが、よくわかりませんでした。
 
墳頂部は盗掘を受けていたものの、残された埋葬施設が詳しく調査されています。札甲(さねよろい)、鉄斧、鉄剣、鉄刀、鉄槍など、豊富な鉄製品が副葬されていたそうです。
 
2号墳の墳丘から。この写真を撮った時はこちらが前方後円墳と思っていたので前方部を撮ったつもりでした。
 
2号墳の周囲はこんな感じ。上が前方部、下が後円部と思っていたのですが、、、
 
 
以上、馬見丘陵の南端に広がる古墳群を探索した様子を紹介しました。このあたり一帯はすべて住宅地として開発が行われた結果、数多くの古墳が姿を消したと思われます。しかしその一方で、開発に伴って詳細な調査が行われたことによって、膨大な遺物、精緻なデータが得られました。近年の考古学の発展は目覚ましいものがありますが、それは高度成長期以来、全国各地で行われた宅地開発や道路建設などの副産物とも言えるでしょう。それにしても、馬見丘陵を開発して出来上がった街を「真美ケ丘」と名付けたのは秀逸だと思います。
 
 
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