古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

北品川からお台場までの遠足

2020年05月30日 | お出かけ
2020年5月30日、コロナ自粛生活もほぼ2カ月が経過しました。緊急事態宣言が解除され、世の中は徐々に日常を取り戻しつつありますが、わたしの会社は今も出社を抑制し、原則として在宅勤務を継続中です。そんな状況下での快晴の土曜日、運動と気分転換を兼ねて遠足に出かけました。自宅のある北品川を朝の9時前に出発して、芝浦からレインボーブリッジを渡り、お台場でランチをとって、再びレインボーブリッジを経由して15時半頃に戻ってきました。トータルで約21,800歩。よく歩きました。

レインボーブリッジまでおよそ40分。




サウスルート側のエレベーターで上がりました。吹き抜ける風が何とも心地よい。


すぐ横を猛烈なスピードで車が走る。トラックが多かった。


左手に台場が見えます。これは第六台場。




さらに進むと第三台場がすぐそこに。

ここはこれまでに2回来たことがあるのですが、あまりに緑が鮮やかだったので今日も行ってみようと思ったのですが、、、



振り返ると。


橋を渡り終わって第三台場へ行こうと思ったものの、長く続く壁に遮られて行けそうにない。ほとんど色の抜けた貼り紙を眼を近づけて見ると、オリンピック準備のために第三台場を含めて台場ビーチへの立ち入りができないことになっていました。そういえば、ここは確かビーチバレーの会場になるんだったな。今日のところは残念、あきらめるしかない。

さて、お台場に来たからには、というわけでもないけど気がつけばそこにいたので撮りました。


ビーチ側に出ると一部だけ開放されていたので行ってみました。


お台場からみるレインボーブリッジは絵になります。


時刻は11時半。ここでランチにするか、戻ってからにするか、考えながら歩いているとジョナサンがあったので入ることにしました。たっぷり休んで体力も回復、気合を入れて帰路につきました。

帰りはノースルートです。


右手にスカイツリーが見えます。




たぶん豊洲市場。


左手には東京タワー。

ノースルートもなかなかナイスビューです。

さて、今日は第六台場と第三台場を見ました。実は先週、第四台場跡を見たところだったので、品川台場の復習をしようと思いました。

第四台場跡。

第四台場は取り壊されて、跡地にシーフォートスクエアができました。第一ホテル東京シーフォートが建っています。台場で使われていた石垣が再利用されているそうです。

たぶんここです。


引き潮になると石がたくさん見えます。たぶん、これらも台場の名残りだと思います。


品川台場は、鎖国中の1853年にペリー艦隊が来航して開国を迫られ、翌年の再訪に備えて急ピッチで全11基(12基とも)が建設されることになったものです。翌年までに完成したのが、第一、第二、第三、第五、第六と御殿山下台場の6基です。第四台場は間に合わず、その数年後に完成をみたそうです。すべて海上に建設する計画でしたが、間に合わせで海岸に造られることになったのが御殿山下台場です。その御殿山下台場の跡地には品川区立台場小学校ができました。





左下に台場小学校があります。五角形になっていることから台場があったことがわかります。

天王洲アイルの右上の尖がったところが第四台場跡です。

第一台場、第五台場は品川埠頭建設の際に取り壊され、さらには第三台場の近くにあった第二台場や建設途中だった第七台場も取り壊されました。第七台場はお台場からレインボーブリッジに入るあたりにあったようです。

以前に品川歴史館を見学したときに見た展示パネルで、こちらがそれぞれの台場がどこにあったのかを示す図。


これは台場の埋め立ての構造を示す図です。


いやー、それにしてもよく歩いた。出発前は帰りは品川シーサイドまでりんかい線に乗ろうかな、なんて考えていたのですが、この機会にサウスルートとノースルートの両方を見ておきたいという気持ちが勝ちました。満足感いっぱい&心地よい疲労感で戻ってきました。


ブログ書籍化サービスで2作目を印刷

2020年05月20日 | 雑感
ゴールデンウィーク中に2作目の原稿を書き終えてアマゾンでの電子出版までこぎつけました。その後、やっぱり、手に取れる形あるものにしておきたいと思い、ブログ書籍化サービスを利用して自分用の印刷本の製作に取り組んでいました。

gooブログの書籍化サービスにも採用されているこのサービス、ブログをそのまま製本するというものなので、ルビがふれない、環境依存文字が出ない、半角文字が縦書きにできないなど、どうしようもない制約があるのですが、自分用で人に見せるものではないのでそこは我慢して、何よりもコストが安いこのサービスを使うことにしました。ゼロから原稿を入力することもできるので、電子出版用の原稿をコピーして、ルビがふれない代わりに漢字の後ろにカッコ書きでつけたり、環境依存文字はカタカナにするとか、半角文字を全角文字に書き換えたり、さらに見栄えを考慮した段落替えや改ページのために少し原稿を手直ししたり、そこそこ面倒な作業を続けて、本日ようやく完了して発注するに至りました。

ページ数は全部で220ページ、カラー印刷、ブックカバーつきの上製本で、料金は1冊あたり送料込で約1万円です。2冊の注文だったので2万円とちょっと。1冊が末代までの永久保存用で、もう1冊が名刺代わりの冥土の土産用です。実は前作は電子版だけでなく印刷本を何十冊か作ったのですが、同じ目的で2冊だけ手元に残しています。



納期は2週間ほどかかるようです。電子出版と違って印刷の場合はあとで間違いに気づいてもどうしようもなく、文字通り「後の祭り」。注文ボタンをクリックする前に何度もチェックしたものの、出来上がったものを見るのがこわいです。






2作目がアマゾンで販売開始!

2020年05月06日 | 宣伝・PR
Stay Homeが始まって約1カ月、夜の時間と休日をフルに使って2作目の原稿執筆、編集、校正などの作業に集中し、ゴールデンウィーク最終日、そしてもともとの緊急事態宣言最終日の本日、ようやくアマゾンの電子出版サービス、KDP(Kindle Direct Publishing )に登録するところまでこぎつけ、つい先ほど、アマゾンから販売開始の連絡が来ました。前回は印刷版も出したので外部の支援を仰いだのですが、今回は電子版だけなので何から何まで自分でやりました。あー、疲れた。

作業を開始した時点で「ゴールデンウィークの間に終わらせる」という目標を立てていたので、その目標をなんとか達成できました。今回の原稿は、このブログを含めてこれまでに書き溜めていたものをもとに書き進めたので、そこはあまり苦にならなかったのですが、とにかくワードのスキル不足を痛感させられました。それなりに苦労して縦書きフォーマットを決めて、図表を挿入しながら、見栄えも考慮して段落設定や改行・改ページも工夫して、ようやく書き終えて校正まで済ませたのも束の間、そこからさらなる試練が待っていました。

フリーのサービスを利用してワード文書を電子出版のためのepub形式に変換してKDPにアップロードするのですが、プレビューで見ると想定した見栄えになっていない。とくに図表を挿入した部分がもう訳がわからない状態。KDPのヘルプを見ると、、、

ほとんどの DOC/DOCX ファイルは問題なく電子書籍に変換されますが、複雑な書式設定を含むファイルは適切に変換されないことがあります。特に、グラフィックや表を使用している場合は、プレビューアーを使用して、本が正常に変換されることを確認してください。読者は Kindle 本を読むときにフォント サイズを自分の好みで変更できるので、Word ファイル内でページ番号、フォント サイズ、およびマージンを指定しても意味がありません。章の末尾に改ページを挿入する場合や、必要に応じてセクションに分ける場合は、Microsoft Word の「ページ区切り」機能を使用します。電子書籍に画像を挿入する場合は、Word の「挿入」機能を使用します。コピーして貼り付けないでください

先に読んでおけばよかった。不得手なワードで苦労しながら作り込んだのが裏目に出てしまった。図や表も見えやすくするためにほとんど作り直した。ここでの試行錯誤がいちばん疲れたかな。すべての作業が終わったときは達成感よりも安堵感のほうが大きかった。「あー、やっとうまく行った」という感じです。

ということで販売が始まった2作目はこちら。



前作では、日本書紀の記述にしたがって、神代から神武天皇即位あたりまでのプロセスを私なりの仮説をもとに考察しました。今回はその続き、崇神天皇即位から応神天皇即位までの経過について書きました。前回に続いて我田引水は否定しませんが、それなりの物語が書けたと思います。

ご興味ある方もそうでない方も、ぜひお読みいただければと思います。

なお、1作目も引き続きよろしくお願いいたします。