日記

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「安土問答」について

2024年02月21日 | ブログ
信長の話題から、「安土問答」について聞かれていることがあるが、正直、あまり詳しくには把握していない。

教判に関わることの議論がされたが、問答にもならないことで集結した、という認識である。

要は、何が方便で、何が真理かということについて、方便の妙に関してのやり取りで、法華側が切り返せずに沈黙したことで、負けと判定された、というものではなかっただろうか。

Wikipediaで内容を読み返したのだが、イマイチよくのみこめない、、

方便の妙には法華の妙もあるから、それは(真理へ向けて)捨てるべきであるのかどうか、と聞いたのだろうか?

ならば、法華の妙は、法華宗においては、教判において最高真理にあたるわけなのだから、捨てられるわけなどない。当然に方便ではないとの認識であるのだから。

では、法華の妙が方便だと、どの経典のどこに書かれてあるのか?そんなことが説かれていたかな?と思考停止になり、答えられずに、負けと判定されてしまったのかな、このぐらいの認識だが、多分違うのだろう。