くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

中学生日記

2004-05-18 15:58:07 | 
『レイコさんの日記』“修学旅行”~にぐるぐるトラックバック。
 中学生のときの修学旅行先は東京でした。品川プリンスホテルに宿泊し、浅草国際劇場でSKD東京踊りというのを鑑賞しました(検索してみたら何と元団員さんのブログがありました)。これは松竹歌劇団というやつで、96年に解散してしまったらしいです。僕らが観たのは昭和53年のこと。華やか~というか、「え! いいの!?」という艶めかしい衣装。当時の中学生にとってはね。そこで僕らは本当はコーフンしながらも「これは本当はセンセーたちが観たいものなんだ。不純だ不潔だ!」と妙な片意地を張ってブーイングの嵐となりました。しかしこっそりと高級カメラの望遠レンズで舞台を眺めながら「むっふふふ・・・」とオヤジ化した友人も若干名おり、旅行が終わったあとで行なったアンケートでは“面白かったプログラム”の第一位に輝いておりました。
 シティーホテルに泊まるというのもみんな殆ど初体験でした。旅行前日には学校の授業をわざわざ1時間当てて『西洋風お風呂の使い方』『洋食におけるマナー』というビデオを鑑賞しました。
「浴槽の外は絶対に濡らしてはなりません」「お皿に盛ったご飯はフォークの背中に乗せて食べます」「食器や食べ物を床に落としたら決して慌てずに知らないフリをします」などといった大変間違った内容でしたが、みんな恥をかくのを怖れていましたから真剣に観ていました。ノートをとっている生徒もたくさんいました。
 ホテルの部屋はきれいで楽しかったのですが、そこはやんちゃな中学生ですから面白いことが起こりました。しかしそれはまたいつか。
 


これからのブログ人へ

2004-05-18 10:12:55 | 連載もの これからのブログ人へ
 最近、友人知人からブログについての質問を受けることが多くなりました。
「ブログって何だ?」というものと
「始めてもいいけど、書くことがなくなったらどうするの?」という2点です。
 また、アクセス解析を見ても“訪問1回目”という方が急増し、「初めまして!」という嬉しいコメントやメールを頂くようになりました。OCNブログ担当の方と、いつも交流をしていただいているブログ人のみなさんのおかげです。soroさん風に言えば、まさにブログ人冥利につきます。
 そこで“これからブログを始めたい”という方へ向けて、僕なりに感じたことをまとめてお伝えしたいと思います。
 
 僕が毎日遊びに行くブログは、個人の生活の様子やそのときふと思ったこと、発見したことなどを書きつづる形式のところが殆どです。これは書き手(みなさん)の視点や考えなどの持ち味がダイレクトに伝わるものなので、読み物として大変面白いものです。共感した記事に対してトラックバックをすれば(トラックバックについては後述します)、即コミュニケーションが成立するわけですから、ブログの醍醐味を堪能出来るわけですね。この形式はブログの中でも大多数を占めているようですし、僕もこの形式です。
 次に多いのは、様々な情報源からニュースを拾い上げ、自分なりにミックスして配信するという形式です。これもブログならではの利点があり、大手のニュース配信ページ(Yahoo!infoseekなど)のようなことをブログ版として個人でやることが出来ます。登録しておいた配信元の新着ニュースをリアルタイムで拾ってくれるパラボナのようなソフトもあるので、どなたでも始めることが可能です。
 この形式を始めようと思っている方は、まずは既存のブログとの差別化を考える必要があります。すでに多くの方がやっていますので、なるべく多くのブログを見て、自分なりにどんなニュースをピックアップして配信していこうかと熟考してみましょう。それもまた楽しい時間だと思います。
 このニュース配信形式で僕がよく行くブログは『Dress You Up』です。ここは国内海外を問わず様々なソースを持っていて、配信している内容は実に多岐に渡っています。作者のヒカルさんは報道機関以外にも幅広く目を光らせているようで、いわゆるニュースというものだけではないのですね。ちょっとおかしな事件とか出来事が得意なので、雑学や文化を手早く知ることが可能です。また記事に対してのヒカルさんの一言コメントが絶妙な“突っ込み”となっているので思わず笑ってしまうことが多いです。ここは良い見本となると思います。
 いずれにしろブログとは“コミュニケーションツール”であると認識して間違いないと思います。
「ネタがなくなったらどうしよう」という心配は無用です。コミュニケーションとは決して一方的な配信ではなく、お互いがやりとりをして成立しているからです。ランキングなどを見て5~10分ぐる~っとブログを見て廻ってくるだけでも、みなさん実に様々な記事を書いています。そこには必ず「あ~、あるある!」とか「あ、その店だったらあそこも紹介したいなあ」というインスパイアされるものがあるはずです。それに対して記事を書き、トラックバックのピンを送信する(具体的なトラックバック・ピンの送信方法は、ブログの利用方法などを参照してください))。これだけで“トラックバック”記事となるわけです。
 またその様子は、普段何人かで集まって話しをしているときと何ら変わるところはないです。
「ああ、そういやその話しで想い出したんだけどさ・・・」これをネット上で知り合った(あるいは初めて見かけた)人とやりとりするということで、日常生活の延長ともとらえることが出来ます。みなさんが「気軽にトラックバックください」と書いているのはそういうことなんですね。
 最後に“批判”の含まれる文章について少しだけ触れますが、個人団体を問わず、批判される側というのは常に批判する側よりもずっと敏感に受け止めているものです。ですからどうしても批判文を書きたいときには充分腹をくくる必要があることを決して忘れないで下さい。誹謗中傷といったものは人として当然行うべきものではありませんね。いくらwebネームを使っていても、個人や企業などに訴えられる可能性は充分にありますから、批判文には慎重な上にも慎重に、です。これについては責任の所在などについて『週刊!木村剛』に詳しく書いてありますので参考にしてみて下さい。

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2004-05-18 08:13:07 | エッセイ

『時空を越えてネットで旅する』“スロー・トラベル”~にトラックバック。いいタイトルですね。
 アメリカの黎明期、インディアンたちが住んでいる地所を追われ、酋長たちが不可思議な契約書にサインをさせられていた頃の話しです。
 ある将校が、担当地域の部族の酋長を説得していました。そのような原始的な生活から解放してやる、便利な道具をたくさん与えてやる、だから居留地へ移動したまえという交渉です。
 その酋長は一筋縄ではいかない人物だという評判でした。案の定交渉は長引き、将校はいくつも条件を提示しましたが、酋長は禅問答のような答えを返すばかり。
 あるとき「それならば我々の技術というものがどれほどすごいか体験させてやろう」と、酋長を蒸気機関車に乗せることにしました。酋長はちょうど他の部族との会合があって、長い長い距離を馬で移動しようとしていたのです。


takibi250.jpg

 汽車は広大なアメリカの大地を突き進んでいきます。酋長は窓外の光景を、目を瞠って眺めています。
 数日掛けて馬とともに踏破しようとしていた距離が、目の前で吹っ飛んでいくのだ・・・。将校は満足げに酋長の表情を眺めていました。
 終点の駅に着くと、将校は意気揚々と飛び降りて酋長を手招きしました。彼は列車から一歩足を踏み出し、それからまた中に戻りました。
「どうした。目的地はすぐだぞ」
「この乗り物は出発地点に戻ることも出来るのか?」
「もちろんだ」
「じゃあ戻してくれ。心が旅路を通り越してしまった。大事なものをいくつも忘れてきてしまった」
 その後の彼らのストーリーは・・・。おっとこれは違う話題。




生傷 

2004-05-18 07:05:20 | 日記
 みなさんお早うございます。現在朝の6時半です。
 今、浴室のドアに足ぶっつけて、すっごく痛いです。ルビーのような血の玉が盛り上がってきています。あ、流れてきた。ひ~。
 痛いけど、身体の痛みはまあ正直20秒もあれば薄れます(計ってみた)。それよりも情けないほうで泣きそう。なにしろここは狭い部屋で、何か行動するのにも注意が必要なのですね。浴室は乾燥させておきたいから、いつもドアは開けています。これがやっぱりキケン。注意しているときはいいけど、何か思い立って“サッ”と動いたときには必ず引っかかるんですねえ。
 僕は朝起きてから夜寝るまで、頭の中の思考は常に文章のカタチで行われています。混沌とした思惟のかたまりがぼんやりとある、という状態がないんです。いつからそうなったのかは分からないですが、どんな些細なことでも必ず文章形式です。これは自動的に行われていて、苦労とか努力はいりません。
 そんなだから常に何本かのセンテンスが頭にあって、その中で「お、こいつは書き留めないと・・・」というのがあると急いでメモします。これは第一番に優先していることで、外出先でも友人と会っているときでもすぐにメモ帳を開いてペンで書き付けています。現在の仕事はエッセイを寄稿することがメインなので、その瞬間は即ち飯のタネということになるんですね。これは逃せないです。
 おかげで狭い部屋の中にいるときは生傷が絶えません。
 ex:歯を磨いている途中で「あっ!」となって浴室を飛び出す
 →クイックルワイパーを踏みつけそうになる
 →そうはさせじと足を不思議な方向にねじって転ぶ
 →ゴミ箱をひっくり返してワインの瓶を倒して頭を家具にぶつける
 →ウル目でキーボードを叩く
 →机のうえに歯磨き粉だらだら
 こういう感じです。
 以前、食えないときには大工さんをやっていたのですが、そのときは怪我に対する意識はだいぶ違ってました。今だったら「うわ」という怪我も日常茶飯事なので平気なわけです。手も今よりごつくて丈夫だったなあ。だから今の自分が情けないわけですね~。
 おお、血が固まった。さあて今日も頑張るぞ~。いやあ変な文章書いてしまった。