++おさんぽ日和+++

美味しいモノと、楽しいコト、暑い国でちょっとずつ。。

senyum*ほほえみの国

2009-03-27 | ペンコのつぶやき
「楽しいから笑うのではない
笑うから楽しいのだ」

by心理学者、ウイリアム・ジェームズ

初めて聞いた時は「ホンマかいなー」て思ったけど、
今ではこの言葉を信じてます。
そして辛い時は、必ず思い出す。

この言葉が真実なのだと知ったのは、ジャカルタに来てからです。


ここに来てもう何年にもなりますが、
物乞いしたりゴミ漁りする子供の姿や、
地震や洪水の時、外国人の私たちは水もガスも普通に使える一方で、
地元の人々は家財道具を流され家を失うような現状、
マッサージ店で足を投げ出すのは外国人、足を擦るのは現地の人々という図式に、未だ慣れることがありません。

外国人は設備の整ったマンションに住んでいても、
冷蔵庫も無く、水道さえ引いていない暮らしをしてる地元の人は多い。
いいんだろうか、この矛盾は何なんだろうかと、ふと思うことがあります。

たしかに過去数年間、インドネシアの経済は右肩上がり。
モールに行っても、消費を楽しむ中流層が以前より増えたと感じます。
だけど、貧富の差はなくならない。
厳しい暮らしをしている人は減っていない。


ホントにこの国は豊かになっているんだろうかと疑問に感じ、
それと同時に自分には何も出来ない無念さを覚え、
またこんな風に考えること自体
外国人の傲慢さなのではないかと考える時があります。


そんな時救われるのが、インドネシアの人々のsenyum、笑顔です。


セキュリティーの人もお掃除の人もお店の人も、
とにかくインドネシアの人はにこやか。
笑顔で「Selamat siang」て言う。

一時帰国すると余計感じる。
インドネシア人ってにこやかだー。
知らない人にもドンドン笑顔を向ける。
この国の美点だとつくづく思います。



この写真↑はカリマンタンの船着場で撮ったもの。
船着き食堂の看板娘トリオ。

魚をキレイに食べるエライ子たち。
ずーっとニコニコしてて、人なつっこくて愛くるしい。

ジャカルタでは車の生活だから道行く人と話すことはないけれど、
旅行でバリなどに行くと地元の子供が勢いよく手を振りながら
「ハローハロー」と近づいて来ることがよくあります。

「どこから来たの?」「写真撮って!」
にこにこ話しかけてくる。


覚えたての英語の挨拶、屈託のない笑顔。


本当に可愛いインドネシアの子供たち!!






生活が苦しくても笑って逞しく生きてるインドネシアの子供たちから、
どこにいても、どんなことがあっても顔を上げ、
笑って日々過ごすことの大切さを教えてもらったような気がします。


チャリンコの夢。

2009-03-05 | ペンコのつぶやき
いやーマイッタ。
今日の渋滞ひっどい!!
あれだけ雨が降れば、そりゃ渋滞もするわなー。

アパートが見えてるのにマンジリとも動かない車の中で募る、あのイライラ感。。

ずーっと車の生活してると、チャリンコに乗りたくなります。

桜並木の下をシャーーーッ!!なんて、いいですねぇ。

下り坂で、両足をぐーんと伸ばして走りたいなー。

チャリンコ走らせる自分を想像するのが、渋滞の過ごし方の一つかも。

バリ島さん。

2008-11-26 | ペンコのつぶやき
ジャカルタで頑張れるように、楽しく毎日送れるように
神さまが用意してくれた人がいると思うんです。

モチロン、ここで出会った人全てがそういう存在。

だけど同じ時期に来た人というのは一味違う。
言葉も分からない、右も左も分からない若葉マークの頃を二人三脚で歩んで来た同志です。


そしてそういう人が去った時の寂しさは、また格別のものがあります。


こんなに長く住んでいると、若葉マークフレンドのほとんどを見送り尽くしました。

「でもこの人がいる!」と最後の砦のように拠り所にしていた友人が、
ついに帰ってしまった。





そのひとは、バリ島のような人でした。

一度訪れたらみんなファンになってしまうバリ島。
あたたかさ、優しさ、明るさに溢れたバリ島。

バリ島には「芸術家」という言葉がないそうで、それは
美しいものを表現したり周りの人を喜ばせるのは生まれつき人間誰でもすべきこと、
という考え方によるもの、と何かで読んだことがある。

そういうところも彼女に共通する。

不平不満、人の悪口、彼女の口から聞いたことがありません。

ジャカルタを心からエンジョイし、いつも笑顔を振りまいていた「バリ島さん」。

私はジャカルタに来た頃、正直言ってここに居るのが苦痛でした。
ジャカルタを好きになれなかった。
でも「バリ島さん」と一緒にいると、ジャカルタの良い所がどんどん見えて来て
好きになることができました。





インドネシアの人との付き合い方、メイドや運転手との接し方、気配り、生活のことetc

全てのことを教えてくれた、私のお手本。
ずーっと背中を追いかけてここまで来た気がする。
信頼してたし尊敬してたし、ホントに素晴らしい人でした。

バリ島さんが居なかったら、乗り越えられなかった局面がいくつあったでしょう。

私を「saudara」と言ってくれて去って行ったバリ島さん。
バリ島さんに会えただけで、ここに来た甲斐があったと思うほど
感謝してます。
どうもありがとう。

日本へ帰ってもプルメリアの花をたくさん咲かせて
太陽のような人でいてください!






泡。

2008-10-10 | ペンコのつぶやき
のん気に旅行の話なんてUPしてていいのかよと
はばかれるような世界情勢。

あと一つだけレバランネタを。

旅先で見つけたガラスのペンギンファミリー↑。

ギャラリーにいたコたちの中で、気の合いそうな(?)3匹を選んでユニット結成し、連れて帰って来た。

Hoglwundというニュージーランド在住・スウェーデン人アーティストの作品。

ガラスは昔から好きだったけど、ジャカルタに住むようになって
見た目に涼やかなガラスが益々好きになり集めてます。

薄手で繊細なものより、こういうポッテリしたものの方が愛嬌があって好きだなー。

ペンギン×ガラス、という私の好きなもののコラボなので、
一目ぼれしてしまいました。

ちなみに左奥の写真立てに入ってるのは、旅行中夫が描いた私の似顔絵。

すごく、、意地悪そうな顔なんだけどなぜか似ている。。
これが彼の私に対するイメージってことでしょうか・・。



ホテルにチェックインした時くれたお花のブレスレット↑
嬉しくてずっと着けてた。
このお花、香はナイトクイーンなんだけど形がちょっと違う。
だんだんピンクになっていくんです。
蕾は「たて琴」の形で、開くとスズランみたい。





今回アジアリゾートに旅しましたが、ゲストはほとんどインド人とロシア人。
「アメリカ人ぽい人いないねー」と話していたところに、米下院で金融安定化法案否決のニュース(10/1の時点の話)。

世界は完全にひっくり返ってしまったのだと思いました。

ジャカルタに戻って来てからは、連日円高・株安の話ばかり。
「円が1円高くなると、○○の企業では数百億円の損害が出ます」
という話を聞くにつけ頭がグラグラしてくる。
一体どうなっちゃうんだろう。

夫の会社、父の会社、弟の会社、弟のお嫁さんの会社は大丈夫なんだろうか。

具体的な企業名を新聞やテレビで見聞きすると、友達の旦那さんの顔も浮かんでくる。

一方、「レートが良いからルピアへ替え時」ということで
銀行に行ったりもする。
ここで生活してる以上、ルピアと円の狭間でこういう矛盾もある。





バブルバブルと言うけど、ここでの生活は本当にシャンパンの泡のようだと
つくづく感じます。
明日には消えてしまう泡のようなもの。

レバランだなんだと旅行へ行き、メイドと運転手がいる暮らし。
物価上昇してるとはいえ、日本に比べれば物価安の暮らし。
足ツボマッサージに行けばインドネシア人に足を揉んでもらい、
ゴルフに行けばキャディーが必ず一人ついてバッグを運んでもらってる。

これってやっぱりフツウじゃない。
自分の年で、しかも労働というものをしてお金を稼いでいない私がして良い生活とはかけ離れてる。
これは「泡」なんだと、厳粛に肝に銘じておかなくっちゃ。

どうかどうか、皆が元気で無事に日々過ごしていけますように!!!











一期一会とは、、

2008-08-15 | ペンコのつぶやき
友達の送別会。
戦友のような、大事な存在でした。

こないだの「篤姫」にて。
井伊直弼がお茶を点ててるところで、

「一期一会。その人と過ごす同じ時間が、二度と無いことを『観念』する。
井伊様が達した、茶道の極意でした」

というナレーションがありました。

一期一会の意味とは、その時々の出会いを「大切」にするものだと思っていたので、
「観念」するというのは発想の転換というかなんというか、目からウロコでした。

「観念」を辞書で引くと、
①仏教用語。心を静かにして真理を考え思うこと。
②あきらめること。覚悟すること。
とある。


二度と無いと観念するからこそ、出会いの大切さ、有難さが身に染みる。
一期一会という言葉を噛みしめております。



こないだの「篤姫」では、篤姫(天璋院)がこんなことも言ってます。

「思い出は、宝物じゃ」

ホントにその通りですねー。
心の中から時々そっと取り出して眺める思い出は、
一瞬にして当時の楽しさ、悲しさ、色んな感情を呼び起こす力を持っている。


考えてみるとジャカルタに来てからの数年間、良いことも悪いこともどちらもあったけど、
後から振り返ると懐かしめるような思い出が随分増えたような気がします。

同じ時間が二度と戻らない、思い出たち。。

見えないゴール。

2008-07-03 | ペンコのつぶやき
ジャカルタに帰ってまだ一週間も経ってないというのに、
大事な友達の本帰国ニュースが2件も舞い込んできた。
テンション下がるー。

噴水↑はあんなに空高くしぶきを上げているけれど。。
私の心はウラハラさ。

そのうち一人は、ジャカルタ歴がほぼ一緒。
初めての一時帰国の前、エプロンおじさん呼んだこととか思い出すと
涙がこみ上げてくる。

二人とも、ほんっとーに良い人だったよぉぉぉぉ。

帰って早々立て続けだったので、頭が付いていけず寝込んでしまいました。

ショック受けるの、もう疲れたよ。心が。。。

こんなに毎月人がドンドン帰国していくというのに、自分が「帰る」ということが
全くイメージ出来ない。
私にもあるんだろうか。ゴールっていうものが。
「本帰国」という言葉が、とてつもなく困難なモノに思えてくる。


帰って来てすぐ飛び込んだのはパパイヤ。
抽選の引き換えが6月末までだったから。

期待せず、でも何か当たればイイナとドキドキしながらお姉さんにクジを渡す。

ぬわ~んにも当たってなかった。
トイレットペーパー頂いて帰ってきた。

思い返せば、最初の年は続き番号ばっかりなのがいけないと反省し、
翌年チョコチョコとマメに抽選券をもらうようにしたり、毎年私なりに
工夫をして挑んで来たパパイヤ抽選。

友達で、バリ行き航空券やお醤油、お米が当たった人もいる。

「こんなに何年も参加してるのに、一度も当たったことがない」
とお姉さんに訴えてみた。(八つ当たり??)
そしたらお姉さん、
「又来年頑張って、ニョニャ!」
だって。

私、来年もジャカルタでレシート集めてるんだろうか。。

パパイヤといえば、あそこの赤いエコバッグ持ってる人を日本で見かけた、という友達がいた。
「きっとあの人もジャカルタ帰り!」とよっぽど声掛けようかと思ったって言ってた。

たしかに。
あれを東京で持って歩いてたら、ジャカルタ帰りの人と知り合えちゃうかも。

さー。
元気出さないとーっ









帰ってきました。

2008-06-30 | ペンコのつぶやき
ジャカルタに帰って来ました。

日本に着いたばかりの頃は寒かったこともあり、ジャカルタに帰りたい、、と言ってたのに、やっぱりこっちに戻ってくると日本が恋しくなる。。
いつもその繰り返し。
1ヶ月なんて長いようであっという間だったなー。

もう明日から7月なんですネ。

昔だいたひかるのネタに、
「6月が終わると『今年も半分終わっちゃったねー』という人がいる。
どうでもいいですよ~」
というのがあったけど、ついつい呟いてしまう。
2008年も半分終わっちゃったー。

今回の帰国で考えたこと、ていうかすっごく反省したのは
私はどんどんワガママになっているってこと。

ジャカルタでは夫と二人、同世代の大人二人で暮らしてる。
昼間は私一人。
好き勝手に時間を使って好きなように食事をし、好きなように出かけて帰ってくる。

だけど実家では両親と祖母が居る。

自分では大きくなったつもりでいるけど、祖母たちから見たら私はいつまでも
コドモ。
そんなカッコじゃ冷えるでしょ。
自転車なんて久しぶりに乗って大丈夫なの?
コレは体にいいから食べなさい。

私のことを何かと気にかけてくれる。

有難いのに、実家のみんなのこと大好きなのに、最初は気をつけていても
段々ジャカルタ風来坊っぷりが顔を出す。

いい年して甘えて調子に乗って、ワガママ放題。

勝手なことして心配掛けたり、そんなつもりじゃなかったのにヒドイこと言って傷つけたり。


どうしてあんなこと言っちゃったんだろ。
どうしてあんなことしちゃったんだろ。

又しばらく会えないのに。。

もっと時間を大切に、一緒に過ごすべきだったのに。
なんで出来なかったんだろーっ。

最後は母と喧嘩別れだったので、悔やまれてずーっとずーっと泣きっぱなしで
帰って来てからも凹んでる。
自己嫌悪。ほんとうに。

日本では食材が何でも揃うから、嬉しくてアレコレ買って来て料理するけど、
果たして両親の嗜好に合っていたんだろうか?無理して食べてたんじゃないか?
とかも考える。

私が帰らなければ、両親と祖母で穏やかに過ごせていたのに
実家のみんなをかき回してる気がするよ。。
台風一過で、今頃ホッとしてることでしょう。

夕べ実家に電話した。
母に謝った。
母は明るい声で電話に出てくれた。
母の愛情の深さに心の底から感謝してます。













気がかりなこと。

2008-05-14 | ペンコのつぶやき
京都のお寺の写真
・・ではありましぇん。

用事があってタンゲラン方面に行ったら、こんな景色に出会いました。

今日本は緑輝く季節。
いいですねぇ。

でもなんだか寒そう。
お天気悪いみたい。

ジャカルタも乾季に入ったはずなのに、雨が降ってバンジールしたり
先週は大潮が重なって空港までの道が冠水。
又もや閉鎖されたのだとか。

前は乾季には雨が一滴も降らず、水不足が毎年警告されてた。
乾季ってそういうものだと思ってたのに。

どうしちゃったんでしょ。
インドネシアも異常気象なのでしょうか。

天気の他に気がかりなのは、石油の値段。

「私が来た頃は、ガソリン満タンに入れても10万ルピアでお釣りが来てた」
と話すと「何百年前の話!?」とよく驚かれる。
(8万ルピアだった

今でも十分、値上がり感をひしひし感じてます。

政府が25~30%の石油価格UPを発表。
既に値上がりが始まっており、買いだめに走る市民も多いそう。

30%UPの場合、低所得層が1500万人増える、
と今日のじゃかるた新聞に出てた。

最近日本食スーパーで買い物するインドネシア人や買い食いしてる中高生をよく見かけるし、モールも昔に比べてずっと混雑してるので、
中流層が増えたんだな、景気が良くなってるのかな、と思ってた。
でも低所得層は全然変わらないどころか増加の一途を辿り、格差が広がるばかりとは。。

住宅地の細い道を通ると、皆がプラスチック容器を並べてる姿を時々目にします。
運転手いわく
「みんな、家で使う油を待っているんだ」。

黒く汚れた容器がズラーっと並べられ、皆が座り込んでる横を車で通るのはやりきれません。

ここのところ、価格上昇に反対するデモを頻繁に見かけます。
98年暴動は、石油価格上昇が引き金になったと聞く。
今回の値上がり、インドネシアは乗り越えられるのでしょうか。

石油の値段。
何も出来ないけど、、
ほんとに心配です。

背筋をピンと伸ばして。

2008-04-25 | ペンコのつぶやき
インドネシア料理の代表的メニューのひとつ「サテ」
焼き鳥のこと。

アーモンドの入った甘辛ソースに絡めて食べる。
日本の焼き鳥よりもずっと小さなお肉が串に刺さって、かなり細身なのが特徴。

一度だけ、屋台のサテを食べたことがある。
友達の行きつけ屋台。
20本買っても100円くらいだったっけ。
メチャメチャ美味しくて、家で食べるハズが待ちきれずに車の中でパクパク食べてしまった覚えが。。
彼女は既に本帰国してしまったので、又食べたいけど場所が分からん。
柔らかくてジューシーで、、
ほんっとに美味しかった!!

道端の屋台で、サテをパタパタと仰ぐおじちゃんをよく見かけます。
藁を編んで作ったような、長方形のウチワで仰ぐのがインドネシア流。

背筋をピンと伸ばして仰いでる姿勢の良いおじちゃんをキャッチ。

今日は、私にとって記念すべき日。
明日から、また新たな気持ちで元気に過ごしていきましょーっ
このおじちゃんのように、背筋をピンと伸ばして!

sawah=田んぼ。

2008-01-13 | ペンコのつぶやき

「バリなんてたいしたことないよ~ジャカルタの方が良いよ~。」

とメイドに話すのには、こんな訳がある。

小学3年生の時、学級新聞に友達の日記が載っていた。
遠足の感想がテーマ。

「行けなかったお友達が悲しくならないような話し方で、遠足のことを伝えたい」

9歳児にしてこの気配り!

「どうしたらこんな素晴らしいお子さんに育つのか」
と父兄間で話題になったし、うちの母もいまだにこの話をよく持ち出す。

私の頭の中にも絶えずこの1文があって、人に何か話してる時
「ホラホラ、あのこと思い出して!」と私に注意してくれるように感じてた。

レバランなどの旅行の話を友達とするのは楽しい。
自分も行ったような気分を味わえるし。

だけどメイドにバリの話って、しちゃいけないように思ってた。

バリはインドネシア
メイドはインドネシア人
そして私は、外国人。

飛行機にすら一度も乗ったことのないメイドに向かって、
KITAS RATEで何度も遊びに行ってるバリの話をするのは
申し訳なさ過ぎて躊躇ってしまう。


そういう訳で、この数年間「バリどうだった?」と聞かれても
「まあまあだねー」と答え、お茶を濁して来たのだった。

なのに、今日
「ウブドって所はsawahがあってキレイなんでしょ」
とメイドに聞かれ、思わず

「sawah!そーなの。段々畑がものすごくキレイで日本を思い出すし
バリはホントにいい所なんだよ~」

と口走ってしまった。。

sawah=田んぼ

この単語に日本への「郷愁」の念が一気に高まって、我を忘れてしまったのでしょうか。

「ふーん」と普通のリアクションしてるメイドに
「ごめんごめんごめん!!!」と心の中で謝った。

でも、「外国から来てる私が、メイドの行けないバリに何度も行って申し訳ない」と思うこと自体が傲慢なんじゃないか、という考えもある。

「旅行の洗濯物をメイドにしてもらってるくせに、エラソーなこと考えてるよねー」
そんな風にツッコむ声が頭の中で聞こえる。

たしかに。その通り。
後ろめたいって感じること自体、ものすごく「上から目線」なんだなー。

別に自分が偉くなった訳じゃないのに、ジャカルタでメイドや運転手を雇ったり、
外国人というだけでお店やホテルで大事に扱われる暮らしは、何年たっても違和感が消えない。

そういうのが当たり前っていう風になりたくない!と抵抗してるけど、
きっとエラソーな所もあるんだろうな。

なんか・・
やだなー。カッコ悪ーい。