風の中のすばる~♪
「プロジェクトX」の最終回を見ました。一つのことをやり遂げた人間だけが持つ輝き、ひたむきな姿勢を沢山沢山見せてくれました。スタジオに招かれるおじさん達は誰もがキラキラしていました。数十年前の仕事の事でも、まるで昨日のことであるかのように生き生きと話す姿や、こみ上げるものに涙する姿にこちらまで目頭を熱くしてました。
医療、教育、エネルギー、通信etc様々な業種が取り上げられましたが、やっぱり私はメーカーが物を作り上げていくプロジェクトが心に残っています。
モノ作りの技術こそが、戦後の日本を引っ張り豊かにしてくれたのだと思うからです。
50円の消しゴム、100円のジュース、1万円の服、500万円の車、3000万円のマンション。
小さいモノから大きいモノまで、ゼロからモノを作り出し、それを人に売り続けていく仕事はどんなに大変であるか、想像を超える苦労だと思います。
しかも他社との競争、世界との競争がある限り、技術の進歩がストップすることは決して許されない。凌ぎを削るってこのことだ~、と考えるだけで髪が抜けそう・・。
そしてもう一つの理由は、父がメーカー勤務だったから、ということ。モノを作って売る父の仕事は、一番身近なものでした。
小学生の時、父と同じ業種の工場に社会科見学で訪れた事があります。高い所から作業を見下ろした光景は、今でもハッキリ覚えています。「なんだか凄く暑そう」という感想でした。
子供の頃、同じ苗字の人は皆親戚なんだと思い込む程単純だったので(今もだけど)「お父さんと同じことをしてるかもしれない会社に皆と来ている」という体験そのものに興奮しており、「うちのお父さんもこういう感じかもしれないの」みたいな変な誇らしさを感じた覚えがあります。
実際父がどんな部署でどんな仕事をどんな人たちとしているかなんて、大人になるまで全く知らなかったのですが。。
どんな仕事も尊くて、どんな人にも「プロジェクトX」があるんだ!と今つくづく思います。
ジャカルタにも、たった一人で乗り込んで来て工場を立ち上げ、現地人スタッフに1から技術を教えるメーカー社員さんがたくさんいます。
まさに「プロジェクトX」です。
それを見て現地の人は「日本人の技術はやっぱりスゴイ」と感じるそうです。
今考えると、もっと仕事や社会のことを父から聞いておけば良かったなぁと後悔するばかり。だって最も近くの「社会への扉」なんですから。
私が小さい頃はどの家庭も土曜日は出勤日で、父が居たのは日曜だけ。欠席裁判じゃないけど、居ないとどうしても悪者になりがちというか、お父さんていうのは可哀想なものです。。
大学生になって漠然と将来のことを考えていた頃、ふと父にある業種を挙げて「○○の会社に入りたいなぁ」と言ったことがある。
そんなに真剣に考えてた訳じゃないけど、なんとなく。
そうしたら父が「えー!○○ちゃん(私のコト)、人の役に立つ仕事をしなよ~」と言ったんです。
私のすることに何か言うような父ではなかっただけに、あの一言は強く心に残ってるんです。
父の助言虚しく、結局私が選んだ仕事で人の役に立ったことなど一度もないのですが・・。
でも、「プロジェクトX」の最終回を見て、「あぁ、きっと父には父の『プロジェクトX』があって、そういう中で自分の仕事観が出来ていったんだろうなぁ」と、私はぼんやりとあの一言を思い出していました。
「プロジェクトX」は逆境の中でも諦めない、目の前のことをひたすらやり続けるしか前進する道はないんだ、ていうことを教えてくれました。
「日本のために、やるしかない」「日本のために頑張るんだ」
こう語る方が多かったのも印象的。
日本のために、とがむしゃらに走り抜けてきた人のお陰で日本は豊かになりました。豊かになった後生まれ育った私の世代にとって、豊かであることや便利である事はもはや当たり前でしかありません。
「日本のために」という思いが、果たして自分を突き動かせるかどうか・・・。
自分のすることが日本のためになるなんて、ピンと来ない、これが若い世代の思いではないでしょうか。むしろ目的を見失っていて、やりたいコトが自分でも分からないという人も少なくありません。日本への帰属意識が薄いというのが事実ではないでしょうか。
戦争中も、その後も「お国のために」と身を賭してくださった沢山の日本人たち。技術だけでなく、心根も崇高な先達の人生を見せてくれた「プロジェクトX」。
私は今無職ですので、働いている人のことは皆尊敬してます。昔の人に比べて今の人は、なんて働く心意気について語る資格はありません。
でも、番組で紹介された先達の仲間を大切にして感謝する気持ち、絶対やり遂げるんだという気迫、決して驕らない謙虚さ、地道にコツコツ努力していくことは、日本人の美点として受け継いでいかなくては、と思います。
今の私はあの番組で学んだコトを仕事に生かすことは出来ませんが、多くの人の苦労の上に自分の生活があること、そういう日本をダメにしてはいけないんだということは忘れずにいたいです。
そしてもう一つ番組から受け取ったメッセージは、健康でいられる人は人のために役に立たなくてはならないということ。
健康という恵を受けている人は、自分の体を人のために使わなくてはならないということです。隣に居る人を笑わせる、という小さなことでも何でもいいから。
そう。「プロジェクトX」から感じたことは、奇しくも父が私に投げかけた「人の役に立つ仕事」というあの一言と同じ。
ということは、やはり父は紛れもなく「プロジェクトX」に歌われる「地上の星」の一つであり、日本のために力いっぱい駆け抜けてきたサラリーマンの一人なんだと思うのでした。
「プロジェクトX」の最終回を見ました。一つのことをやり遂げた人間だけが持つ輝き、ひたむきな姿勢を沢山沢山見せてくれました。スタジオに招かれるおじさん達は誰もがキラキラしていました。数十年前の仕事の事でも、まるで昨日のことであるかのように生き生きと話す姿や、こみ上げるものに涙する姿にこちらまで目頭を熱くしてました。
医療、教育、エネルギー、通信etc様々な業種が取り上げられましたが、やっぱり私はメーカーが物を作り上げていくプロジェクトが心に残っています。
モノ作りの技術こそが、戦後の日本を引っ張り豊かにしてくれたのだと思うからです。
50円の消しゴム、100円のジュース、1万円の服、500万円の車、3000万円のマンション。
小さいモノから大きいモノまで、ゼロからモノを作り出し、それを人に売り続けていく仕事はどんなに大変であるか、想像を超える苦労だと思います。
しかも他社との競争、世界との競争がある限り、技術の進歩がストップすることは決して許されない。凌ぎを削るってこのことだ~、と考えるだけで髪が抜けそう・・。
そしてもう一つの理由は、父がメーカー勤務だったから、ということ。モノを作って売る父の仕事は、一番身近なものでした。
小学生の時、父と同じ業種の工場に社会科見学で訪れた事があります。高い所から作業を見下ろした光景は、今でもハッキリ覚えています。「なんだか凄く暑そう」という感想でした。
子供の頃、同じ苗字の人は皆親戚なんだと思い込む程単純だったので(今もだけど)「お父さんと同じことをしてるかもしれない会社に皆と来ている」という体験そのものに興奮しており、「うちのお父さんもこういう感じかもしれないの」みたいな変な誇らしさを感じた覚えがあります。
実際父がどんな部署でどんな仕事をどんな人たちとしているかなんて、大人になるまで全く知らなかったのですが。。
どんな仕事も尊くて、どんな人にも「プロジェクトX」があるんだ!と今つくづく思います。
ジャカルタにも、たった一人で乗り込んで来て工場を立ち上げ、現地人スタッフに1から技術を教えるメーカー社員さんがたくさんいます。
まさに「プロジェクトX」です。
それを見て現地の人は「日本人の技術はやっぱりスゴイ」と感じるそうです。
今考えると、もっと仕事や社会のことを父から聞いておけば良かったなぁと後悔するばかり。だって最も近くの「社会への扉」なんですから。
私が小さい頃はどの家庭も土曜日は出勤日で、父が居たのは日曜だけ。欠席裁判じゃないけど、居ないとどうしても悪者になりがちというか、お父さんていうのは可哀想なものです。。
大学生になって漠然と将来のことを考えていた頃、ふと父にある業種を挙げて「○○の会社に入りたいなぁ」と言ったことがある。
そんなに真剣に考えてた訳じゃないけど、なんとなく。
そうしたら父が「えー!○○ちゃん(私のコト)、人の役に立つ仕事をしなよ~」と言ったんです。
私のすることに何か言うような父ではなかっただけに、あの一言は強く心に残ってるんです。
父の助言虚しく、結局私が選んだ仕事で人の役に立ったことなど一度もないのですが・・。
でも、「プロジェクトX」の最終回を見て、「あぁ、きっと父には父の『プロジェクトX』があって、そういう中で自分の仕事観が出来ていったんだろうなぁ」と、私はぼんやりとあの一言を思い出していました。
「プロジェクトX」は逆境の中でも諦めない、目の前のことをひたすらやり続けるしか前進する道はないんだ、ていうことを教えてくれました。
「日本のために、やるしかない」「日本のために頑張るんだ」
こう語る方が多かったのも印象的。
日本のために、とがむしゃらに走り抜けてきた人のお陰で日本は豊かになりました。豊かになった後生まれ育った私の世代にとって、豊かであることや便利である事はもはや当たり前でしかありません。
「日本のために」という思いが、果たして自分を突き動かせるかどうか・・・。
自分のすることが日本のためになるなんて、ピンと来ない、これが若い世代の思いではないでしょうか。むしろ目的を見失っていて、やりたいコトが自分でも分からないという人も少なくありません。日本への帰属意識が薄いというのが事実ではないでしょうか。
戦争中も、その後も「お国のために」と身を賭してくださった沢山の日本人たち。技術だけでなく、心根も崇高な先達の人生を見せてくれた「プロジェクトX」。
私は今無職ですので、働いている人のことは皆尊敬してます。昔の人に比べて今の人は、なんて働く心意気について語る資格はありません。
でも、番組で紹介された先達の仲間を大切にして感謝する気持ち、絶対やり遂げるんだという気迫、決して驕らない謙虚さ、地道にコツコツ努力していくことは、日本人の美点として受け継いでいかなくては、と思います。
今の私はあの番組で学んだコトを仕事に生かすことは出来ませんが、多くの人の苦労の上に自分の生活があること、そういう日本をダメにしてはいけないんだということは忘れずにいたいです。
そしてもう一つ番組から受け取ったメッセージは、健康でいられる人は人のために役に立たなくてはならないということ。
健康という恵を受けている人は、自分の体を人のために使わなくてはならないということです。隣に居る人を笑わせる、という小さなことでも何でもいいから。
そう。「プロジェクトX」から感じたことは、奇しくも父が私に投げかけた「人の役に立つ仕事」というあの一言と同じ。
ということは、やはり父は紛れもなく「プロジェクトX」に歌われる「地上の星」の一つであり、日本のために力いっぱい駆け抜けてきたサラリーマンの一人なんだと思うのでした。