天保義民の碑は、この一揆の発頭人土川平兵衛が野州の三上村の庄屋であったことから、早くから三上村に天保義民碑が立っている(明治28年)。しかし、一揆は野州郡だけでなく、甲賀郡からも多く参加し、義民は甲賀にもいるということか、明治31年には、甲賀(現湖南市)にも建てられた。
JR三雲駅のそばの伝芳山の「天保義民乃碑」がそれ(画像)。
高さ10メートル。費用は2900円とある。文字の揮毫は、巌谷修(児童文学者の巌谷小波の父親)。なかなか立派だ。こんな立派な義民碑は見たことがない。
場所がわからず、なにせ義民碑には電話番号も住所も書いてないので、車のナビゲーターも周辺までしかいけない。通りがかった高校生に聞くと、すぐに教えてくれた。ふつう、義民碑なんて地元の人でも知らないことが多いが、さすが、天保義民はよく知られている。
一揆には勝利したが、その後11人の人が幕府に捕らえられ犠牲になったことがこの碑の掲示板にも書かれてある。
JR三雲駅のそばの伝芳山の「天保義民乃碑」がそれ(画像)。
高さ10メートル。費用は2900円とある。文字の揮毫は、巌谷修(児童文学者の巌谷小波の父親)。なかなか立派だ。こんな立派な義民碑は見たことがない。
場所がわからず、なにせ義民碑には電話番号も住所も書いてないので、車のナビゲーターも周辺までしかいけない。通りがかった高校生に聞くと、すぐに教えてくれた。ふつう、義民碑なんて地元の人でも知らないことが多いが、さすが、天保義民はよく知られている。
一揆には勝利したが、その後11人の人が幕府に捕らえられ犠牲になったことがこの碑の掲示板にも書かれてある。