虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

天保義民乃碑

2007-02-11 | 一揆
天保義民の碑は、この一揆の発頭人土川平兵衛が野州の三上村の庄屋であったことから、早くから三上村に天保義民碑が立っている(明治28年)。しかし、一揆は野州郡だけでなく、甲賀郡からも多く参加し、義民は甲賀にもいるということか、明治31年には、甲賀(現湖南市)にも建てられた。
JR三雲駅のそばの伝芳山の「天保義民乃碑」がそれ(画像)。

高さ10メートル。費用は2900円とある。文字の揮毫は、巌谷修(児童文学者の巌谷小波の父親)。なかなか立派だ。こんな立派な義民碑は見たことがない。

場所がわからず、なにせ義民碑には電話番号も住所も書いてないので、車のナビゲーターも周辺までしかいけない。通りがかった高校生に聞くと、すぐに教えてくれた。ふつう、義民碑なんて地元の人でも知らないことが多いが、さすが、天保義民はよく知られている。

一揆には勝利したが、その後11人の人が幕府に捕らえられ犠牲になったことがこの碑の掲示板にも書かれてある。


甲賀 矢川神社

2007-02-11 | 一揆
甲賀を走ってきた。
矢川神社(甲南町)。
ここは天保13年近江大一揆の出立の場所。

天保13年10月14日夜、この神社の境内の鐘が乱打され、数千人の農民が集まる。翌日には群集は2万人にもふくれあがり、10月16日には約4万人が三上山の麓(野州市三上村)に押し出す。三上村には、幕府(水野忠邦)からの検地役人が本陣をかまえていたからだ。16日、一揆勢は本陣を襲い、検地中止(10万日の延期)の証文を勝ち取り、増税によって幕府財政の回復をはかろうとした水野忠邦の企図をうちやぶる。

矢川神社の境内には、この一揆についての掲示板はないけど、神社に入る前の矢川橋詰に天保義民150年祭を記念して平成3年に作った10メートルほどの石柱(メモリアルタワー」が建てられていた。

近くには甲賀流忍術屋敷もあり寄ってみたが、その話はまたあとで。