はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(49)   黄昏時の野毛散歩

2011-01-30 12:44:57 | 日記



黄昏時の野毛地区は 昼間の景色とは一変して
とても魅力的な色合いになる

今回は かなり前に散策した バー「草月」の真横あたりからの大岡川沿い
散策散歩である







2~3年前に野毛地区に かなりの電灯が設置されて
明るくなったのである
はげまるみたいに昔を知る人達にとっては
なんか明るすぎる 安全にはなったのであるが
昔みたいな怪しさ怖さが無い

そう野毛らしさが無くなってきて つまらないな感が強いのである











川を一本はさんだ狭い路地には まだまだ
石鹸の館(やかた)ソープランドが何軒かある

若い頃であったら う~ん 石鹸の館か~
どんな所で 一体全体なにをいたす所何のだ
きっと おね~さんと阿波踊りでもするのかな
(泡踊り)
こりゃ~ 散策でもするべぇか

なぁんてなり  散財するのである

じじぃなって来た今では そのあたり 安心立命
やれやれであるな

安心立命
<天命に身を任せて 心を安らかに保ち つまらぬ事に動じない
 どんな場所でも迷わず 心が落ち着いている事<>


う~ん
つまらぬ事に動じてみたい気がしないのでもないがね






店の裏側です






その川沿いから一本裏路地に入ってみる (石鹸の館通りである)
駄菓子屋さんみたいである

4年前頃には この駄菓子屋さんの前は 映画館「かもめ座」があった
今では駐車場になっている







はい 今はもうない「かもめ座」です

異国情緒あふれる港町  横浜の7~8話目で
解体中の「かもめ座」画像が見られます








沢山の小中学生ほどの学童がかなり たむろしていた








この通りは  はげまるの散策で名前が出てきた
「阿武茶」 「パパジョン」 「フライ屋」 さんがある通りであります
1年半前に 死去してしまった友達の店 おでん屋「ケンゾー」もあった





この渋い店は ビール専門店で世界のビールが堪能できる
ビール党にはたまらない店である
たまに投げ銭ジャズライブなんかやっていたりしている












この通りには まだまだ昭和している建物が たくさん溢れているのである





とうぜん飲み屋さんが何軒も入っているビルなんかもある
写真はその共同トイレであるで
クソ拭き紙 (トイレットペーパー)が沢山トイレの壁に飾ってある
(飾ってあるのではないぞ~  このタコ)

今回の写真は デジ一眼 キャノン60Dを共同トイレに持ちこんで撮った
常人には及びもつかない コノはげ頭の感性なのでありんす

(まあ 普通の人が撮らない写真かもなぁ~・・・)





このビルも古い なんたってはげまるが 
最初の奥さんと結婚するかなり前からあった 
その当時は フルーツパーラーみたいな店で
40年以上も前に入った思い出がある
(ひゃ~古いなぁ)

現在はカラオケの店みたいである

この先の狭い路地を右折すると 前に散策して「キネマ」の
看板が見えるのである








ほんと 野毛の黄昏時は 好きだなぁ。

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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(48)   タンメンさんラーメンさん続編

2011-01-28 05:16:21 | 日記
 
前回 タンメンさんと ラーメンさんの 対談がえんえんと続いていて
さ~てと 切りがないから そろそろ終わりにするか

なんて思っていたところ
突然 ガラガラと入口のドアを開けて 
「いゃ~ どうもどうも」
と浅黒い顔した にたり顔の人が入って来た

突然 口を開いて
はっきりとした口調で 「あの~  わたくし 生まれは葛飾柴又
じゃなかった  あの~ 実は 餃子なんです」

ラーメンさん デカイ態度で
「なんでぃ おめ~なんかここに呼んだ覚えはねぇぞ~」

餃子さん  動じる気配もなく平然と
「いや~ ここで タンメンさんとラーメンさんが対談していると 聞いたもんでね
はははは」
ラーメンさん
「およびでないよ  こっちとら おのおの 一人でまっとうにやっていけるんでぃ」

 相変わらず 口の悪いラーメンさんであるな とタンメンさんは思った


ラーメンさん さらに
「おめ~なんかよ 一人ではやっていけねぇだろが この餃子野郎」
「たいてい俺達の 後の注文  そう オマケに出てくるじゃねえか」
「タンメンと餃子 ラーメンと餃子 とか・・・」

突然 大きく はっきりとした口調で 餃子さんが口を開いた
「あのですね お言葉ですがね」
どんどんどん とテーブルを叩いた  一瞬 ラーメンさん後ろにたじろぐ

餃子さん
「巷の中華屋さんはね 昔からね  餃子ライス ラーメンライスがね
一番安くてね 腹にたまってね 庶民の定番なんですよ
いわば タンメンさんともども われわれ三人はね 
いわば戦後の昭和をね 支え続けた仲間なんですよ」

ラーメンさんは 餃子さんの理路整然威風堂々の攻勢に さらに 後ろにたじろぐ

さらに餃子さん
「あなたね(ラーメンさんに向かって) あなたのお父さんお母さんはまだ
下町の中華屋さんで 私とかね タンメンさんとかね 
つつまじく仲良くやっているんですよ」

「それがなんですか あんた~ぁ 誰のおかげでここまで育ててもらったんですか」
「雑誌に出た~  テレビに出た~ それがどうしたと言うんですか~」
どんどんどん(またテーブルを叩いている)

ラーメンさん  下を向いてしまった なあんか涙ぐんでいるみたいだな~
と タンメンさんは感じた

さらに餃子さん
「私なんかね~ ひどい時はね 顔なんか真黒に焼かれたりしてね
 その時なんかね 隣の奴と顔同士がひっつきあったりして
もう大変 」
「おまけにね ほとんどの客は 醤油 ラー油 お酢 なんかで味付けて食べるからね
 私の中身のホントの味なんか 二の次三の次
ほとんどが ビールのツマミとか ○○○と餃子みたいに 私達(餃子)は冷遇されているんですよ」

ここで餃子さん 水をごくごくごっくん と一気に飲み干した

さらに
「それでも みんなで励ましながら 今まで生き抜いてきたんです
私達が居なくなったら ラーメンさん タンメンさん その他の皆さんも
寂しくなるでしょうが」


先ほどまで 顔を下にしてうつむいていた ラーメンさんが
突然泣きなが とぼとぼと喫茶店のドアのほうに歩いていき
ドアをガラガラと開け
背中をまるめて 夜の闇に消え去って行った


タンメンさんは それから餃子さんと話が合ったのか
「ふたりで 何所かで飲みましょうかね~」
なんて言ってふたりで 喫茶店の外に出た

外はもう すっかり夜の帳がおりていた
薄明かりの電柱の陰から
誰かがこちらを見ているのを感じた

どうやら サンマーメンさんみたいである 
暗くてよくわからないが 子連れみたいでもある
子供は なんか ザ~サイさんみたいにみえた


タンメンさんは 見てないふりをして餃子さんと共に
夜の巷に向かって 早足で歩き始めた。

 





はげまるが好む 餃子さんの焼かれ具合

このくらいの焼き具合いいすね~ 酒のツマミに良し
飯のオカズに良し
<写真は 国分寺の「吉田屋」さん  カメラ仲間のお店のモノ>








これは 横浜本牧の「華香亭」の餃子

ほんのり焼き  この店では チャーハンと一緒に注文する事が多い

はげまるは黒く焦げた部分が多い餃子が 好きだな
なんか 
それ~  いったれいったれ~  て
酒も飯も 勢いつくもんね
コメント (2)
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異国情緒あふれる港町  B級横浜散策(47)   ラーメン&カレー 太源(たいげん)

2011-01-25 01:01:03 | 日記
前回は タンメンの話を書いた

タンメンの話があって 何で ラーメンの話が無いのだ

と  ラーメンさんから苦情がきた

おい このタンメン野郎
だいたいね タンメンなんか 野菜の屑をかき集めて作れば 何とかなるじゃん
おまけに 丼の中に主役がいね~じゃんか(ここいらは横須賀なまりか)
丼のなかで野菜が漂流しているだけじゃん
 
俺なんかよ~(ラーメンさんです)
丼の中に 主役 脇役 すべて勢ぞろいでぃ
雑誌だって ラーメン専門で書いてたりよ
テレビなんか特番で全国旨いラーメン店順位決定戦
なんかもやっているんでぃ

スープのダシを作るのに朝早くから仕込みをしたりな~
自家製特性チャーシューなんかよ 前の日からじっくり煮込んでいるんでぃ
秘伝のスープなんか おめ~ 企業秘密で 大手のラーメンチェーンから
大枚払うから 教えてくれ~ なんて来てるし
言ったら切がねぇ
それに一気に言ったから 喉がからからに渇いてきたから止めるけどよ~

ど~だ  恐れ入ったかコノ タンメン野郎


はげまるは 下を向いたまま 小声で

でもね・・・ はげまるが小さい頃は ラーメンが一番安くて
タンメンのほうが高かったし
その昔マンガでもあったよ ラーメンライスなんて貧乏学生が食べる暗いマンガ

それに じじぃには油ギトギトのラーメンは体に悪いし・・
野菜の方が体に優しいし・・

とにかく僕タンメンが好きなんだもん

なんて話はえんえんと続いて尽きないのであった

テナ事で 今回は ラーメン









長者町7丁目交差点近くにある「ラーメン&カレー専門店太源」

ここに初めて入ったのは たしか横浜高校が1980年全国制覇時優勝した頃 
優勝投手のエース愛甲投手が 伊勢崎木町通りをパレードした頃である
今から30年以上前の頃である
(またまた古いなぁ)






凄く狭い店で カゥンター席ノミである
たしか8~9席ほどしかない






茶椀カレー  これこれ 昔からあって
ラーメンとの組み合わせがたまらなく好きであった
その昔は 茶碗カレー150円 ラーメン300円ぐらいであった
にんにくラーメン680円
う~ん その昔は ニンニクはタダで入れ放題だったのにな
(でかいニンニクの業務用のビンが置いてあった)

まあ 時代の流れで致し方ないかなぁ






酒に酔って ここで食べるラーメンは もうたまらなく旨いのである

今でも深夜 若い酔っ払い 中年サラリーマンの酔っ払い 
じじぃの酔っ払い(はげまるです)などが
いつもカゥンターに溢れているのである

スープはギトギト油系でなは無く 濃厚系旨スープ 
麺はやや細めんである

とにかく うみゃ~て イカンわ~

30年前の頃に中でラーメンうを作っていた 
中年のおじさんふたりのうち
一人は 20年前ぐらいに亡くなってしまい
現在のふたりはモウ 20年ぐらい前から同じ顔ぶれである

寒い時 酒飲んだ帰り道 はふはふ言いながら ここ「太源」で
たま~に
ラーメンを喰らうのが好きだなぁ。
コメント (3)
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異国情緒あふれる港町  横浜(62)    野毛 お宝写真 と タンメンの大来(ダイライ)

2011-01-22 04:41:24 | 日記



前々回 野毛の おおぼら吹き中華屋さん(ごめんなさい)の事を少し書いたが
そこと同じぐらい古くて美味い店がある

大来(ダイライ)  昔からタンメンと餃子が絶品であり 
はげまるも若い頃からよく食べた思い出がある

中でも タンメンはたまらなく美味いので 今でも
たまに食べに行っているくらいである







野毛には タンメンでもう一軒美味い店「三幸苑」があるが
はげまるは 大来の 野菜しゃきしゃきタンメンのほうが好むので
タンメンと言えば 即座に「ダイライ」 となってしまう

この「大来」さん  なんとなんと はげまるのB級散策で3話にわたって書いた
「阿武茶」さんと 大昔は隣り合わせだった時代があった

ところが35年以上前だと思うが 火事で二軒とも焼失してしまい 
大来は 現在の場外馬券場のあたりで営業していた
しばらくして現在の 「野毛ちぇるる」のビルに移転
現在に至っているのである

その当時の位置関係のマンガを書いてみた
もちろん相変わらずの いいかげん地図である




なにしろ大昔の事であり ほとんど記憶に残ってない

余談ではあるが 地図に書いてある「横浜温泉」
24時間営業であった
銭湯大好きの はげまるは 最終電車に乗り遅れて
何度か行った事がある

ところがきっちょんちょん 
何度か行って行くいるうちに 男性客達の目つき しぐさが気になってきた

じじぃが はげまるの ポ○○ンを横目でチラチラと見たりするである

中には モノ欲しそうに はげまるのポ○○ンを
ちらちらどころではなく
じと~っと見る ハゲのおっさんもいたりした

なんかおかしいな~  なんかへんだなぁ~(甲高い声で読んでね)

しばらくして その当時の音楽の先輩に「横浜温泉」の事を
尋ねてみたのである

先輩曰く
「おめ~ いい根性してんじゃん  あそこはホモさん達の溜まり場だぞ~ 」

がっび~ん 
となった思い出がある  あ^^~  危なかったなぁ(汗。。。)







またまた 昔の写真です
<みんなでつくる 横浜写真アルバム より>





はげまるがまだ 小学生の頃の時代である


















また「阿武茶」の話である

「阿武茶」は その昔野毛で 屋台を引いて「トンテキ」を売っていたのである
(「トンテキ」とは 豚のステーキである)

たぶんこの写真の屋台みたいな感じだったのかな~
なんて思ってしまうのである

どんな味だったのかな~






はい 今でも「阿武茶」に行けば その当時と同じ味の「トンテキ」が堪能出来るのである

今年80歳のおか~さんが 作る 「トンテキ」 めちゃ旨なのである
 (またまた  うろたえる のんべぇさん)







野毛も だいぶ 様変わりしてきたが
まだまだ昔の そう  昭和の香りが  ぷんぷんと感じられるのが
すごくうれしいなぁ。



コメント (3)
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異国情緒あふれる港町  横浜(61)    お宝写真 山下公園 ニューグランド 花月園遊園地

2011-01-19 04:59:02 | 日記
先日 いろいろ横浜の古い写真がないかな~
なんてサイトを探していたら 「みんなでつくる 横浜写真アルバム」
なるものにぶち当たったのである

早速 古い横浜の写真を取り込んでみた
(転載許可写真ノミ) 
今回はその中から ニューグランドホテル 山下公園あたりの写真
を載せました
ダウンロードの画像がかなり小さいので PCのモニター画面からの
デジカメ撮りであるから 写真に線が入っていたりして
御見苦しいのもありますが
まぁ 許してくださいね

尚 今回の写真は もちろん追加で はげまるの
異国情緒あふれる港町 横浜」の
ニユーグランド編  山下公園編に追加で入れておきましたので
よろぴくぴく^^




















まだ山下公園接収されていて 米軍住宅の頃の写真である





1953年頃の山下公園のほとんどが 米軍住宅の時代ですね
はげまるが 小学2年生(1956年)の時の遠足が ここ山下公園であった
その時は 山下公園の半分ほどが米軍住宅で あと半分は公園であったと
おぼろげながら記憶している






















写真の時間を切り取る力に 改めて感じ入ってしまうのである

カメラが高価な時代の貴重な記録写真
その瞬間を残してくれた方々に感謝するとともに
これからも はげまるの散策で 使わしてもらうつもりですので
楽しみにしてくださぁ~い。

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