JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

エンガチョはたんま

2008年10月11日 | d-f

どんよりとした曇り空から太陽が顔を出してきました。明日は秋晴れが期待できそうです。

一昨日ヘロヘロ酒を酌み交わしたママから昨晩またしてもメールが届きました。
まずは
「ブログにまた載せたねぇ」
とのおしかりの言葉。まぁまぁ、あれだけぼかせば誰だか分かんないって、知ってる人が見りゃバレバレだろうけどね。
「ところで今日の課題は『たんま』でした~ やだねぇ よっぱっぴぃは」
そうでした、いただいたテーマは『たんま』でありました。思い出させていただきありごとうございます。ただし「よっぱっぴぃ」はあんたもだよ。(笑)

「ちょっと、たんま
昔ずいぶん使った言葉です。鬼ごっこをしていても「たんま」、ゲームをしていても「たんま」、じゃれ合っていても「くくくくく、ちょちょい、たんま
今の子どもはあんまり使わないんでしょうかねぇ?「タ~イム」のほうがピンと来るのかな?
「たんま」の語源をひもとくと、「まった」の倒語、つまり「ズージャ」とか「ネーカ」とか「ナオン」っていう業界用語と同じ逆さ言葉だというのが有力な説だそうで、他にも英語のtime(もしくはtime out)が変化したとか、フランス語のtemps mort(タン・モォール)が変化したとの外国語語源説、「一旦待つ」の略だとか、「短間」のことだとか諸説あるようです。
でも、どうして広まったかは不明。しかも全国共通語になっているそうですから不思議ですよね。(ちなみに、関西には同意語で「みっき」っていうのがあるそうですが)

「たんま」もそうですけど、久しぶりに耳にするとなんだかとても懐かしくなる言葉ってありません?
先日、母の実家から新米と栗が届いたとき、
「そういや、昔は栗拾いによく行ったっけなぁ」
との私の話に母が
「昔は木になってる(落ちていない)のは取っちゃいけなかったけど、落ちてるのは拾って良いっていうきまりみたいなのがあったからなぁ、誰の林だろうと取りに行けたんだよ」
そこからは母の昔話です。
「秋場はいろんなのがなってて(実って)それがおやつ代わりだったから楽しがったなぁ、見つけっと「あんしょかけた」なんて言ってなぁ」
あんしょかけた??????」
つまり、見つけた者が「これは俺が見つけたんだから、もう予約済み、誰も採っちゃダメだぞ」という意味らしいのです。だけど「あんしょ」も万能ではなくて「あんしょきった」と言って、ズルしてそれを採っちゃうヤツもいたらしいですけどね。
そういうつまんないことが、遊びとして楽しかったんでしょう。
あんしょっちゃ何のことかなんだかは、わがんねがな」(かんぜんな方言だと思います。)
でも、妙にその「あんしょかけた」が懐かしかったんでしょうねぇ、母はしばらく余韻に浸っておりました。

「きった」といえば、私は「エンガチョ」を思い出します。(関西では「ビビンチョ」って言うんですか?)
ほら、犬の落とし物なんかを間違って踏んじゃったりすると「バブはエンガチョだぁ、エンガチョ、エンガチョ」ってあれです。
踏んだ以外のヤツは「エンガチョかぎしめた」なんていって、親指と人差し指で作った輪っかを左右の手でつないだりして、すると今度は「エンガチョきった」なんて手刀でそれを切るとおまじないも切れて「エンガチョ」がうつるみたいな。
各地区で微妙に指の組み方とか違ってはいたものの、基本的な使い方というか遊び方というかはいっしょでした。(転校族だったので土地土地でそれぞれのやり方を取得してました。笑)


エンガチョいろいろ

「エンガチョ」にされるのはじつに嫌でしたけど、他の子には平気で「エンガチョ、エンガチョ」言ってたんですから、今考えると子どもの残酷さが見え隠れしますよね。それでも今の「いじめ」とはいくぶんニアンスは違っていたようには思いますが。

ともかく、ママからいただいた「たんま」のお題から、そんな話を思い出したのでありました。

さて、今日の一枚は、じつに久々、帝王マイルスです。
いわゆる発掘盤CDでありまして、バードランドからのラジオ中継用の音源で、幸いにもほとんどの音源が録音されていたために日の目をみた演奏です。
8~10あたりは「MILES DAVIS - EDDIE LOCKJAW DAVIS - ART BLAKEY」なんてアルバムでたしか出てましたよね。

1951年という年が、マイルスにとってどんな年であったか、どん底ジャンキー・マイルスのの頂点でもあり、「DIG」で復活の兆しを見せるターニング・ポイントの年でもあることは、マイルス・ファンで無くとも周知のところです。
刑務所を出たばかりのマイルスに演奏場所を提供してくれるのは、バードランドくらいしかなかったようで、それと先に言ったラジオ中継が重なっていたことがこの音源を残した幸いなる偶然だったわけです。

肝心の内容ですが、音も悪く、マイルス自体も「DIG」と比べたら問題外と言ってよい演奏だと思います。
ただ、ムチャクチャ・マイルスが、あの「DIG」で見せた集中力をどうして出すことが出来たのか、私にはアート・ブレーキーの存在が大であったことを、このアルバムから感じ取れるようには思えるのです。
しかるにマイルスの演奏を楽しむというよりは、その背景を思いながら聴く楽しみ?
例えば
マイルスとブレーキーがいっしょにヘロイン所持で逮捕されたのは、前年9月15日、ジョージ・シアリング・クインテットとしてロサンゼルスのシュラインオーディトリアムで演奏した後のことでした。
マイルス本人は「当時、自分はヘロインを絶っており、ブレーキーがドラックで告発されるのを避けるために自分に不利な証言をした。」と語っていますが、マイルスの性格を考えると、もしそれが本当なら出所後ブレーキーとこういった演奏を行うことがあり得たのか?そんなことを考えながらこのアルバムを聴いてみたり、この頃のミンガスとの仲はどうだったんだろう?みたいな。(笑)

私は、この発掘盤CDを、そんな別方向から楽しんでいます。

MILES DAVIS BIRDLAND 1951
1951年2月17日[4-7], 6月2日[1-3], 9月29日[8-10]録音
MILES DAVIS(tp) ART BLAKEY(ds)
J.J. JOHNSON(tb) SONNY ROLLINS(ts) KENNY DREW(p) TOMMY POTTER(b)[1-7]
EDDIE"LOCKJAW"DAVIS, BIG NICK NICHOLAS(ts) BILLY TAYLOR(p) CHARLES MINGUS(b)[8-10]

1.MOVE
2.HALF NELSON
3.DOWN
4.OUT OF THE BLUE
5.HALF NELSON
6.TEMPUS FUGIT
7.MOVE
8.MOVE
9.THE SQUIRREL
10.LADY BIRD



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