つれづれ写真ノート

   カメラと写真 そして世の中の色々なこと---

京都小旅行(西本願寺)

2017年06月06日 | 旅行

本山に参拝

5月の末に、京都で個人的な仏事があり、その機会に西本願寺を家族で見物してきました。

家の宗派、浄土真宗本願寺派の本山にあたり、正式には本願寺。京都では東本願寺と区別するため「お西さん」という呼び名で親しまれています。

 

西本願寺の御影堂門。

ちょうど、門主の代替わりに伴う「伝灯奉告法要」が昨年秋から今年5月末まで営まれており、華やいだ雰囲気です。

全国から団体の参拝者が貸し切りバスで詰めかけていました。協賛行事のひとつとして、いつもは見られない書院や飛雲閣の特別公開もありました。

 

御影堂門を入った正面にある御影堂(ごえいどう)。親鸞聖人の木像を安置する巨大な建物で、国宝。

寛永13年(1636)再建。平成11年度から21年度にかけて「平成の大修復」が行われました。大屋根も内部も、とてもきれいです。

 

御影堂の内部。重要な行事はここで行われます。「伝灯奉告法要」のための参拝者用の椅子が堂内を埋め尽くしていました。

 ← クリックで拡大します。

 

金色さん然、最高レベルの荘厳(しょうごん)が施され、中央に親鸞聖人の木像。左右に歴代門主の御影。

 

右手にある阿弥陀堂(本堂)。これも国宝。要するに、いたるところ国宝です。

 

阿弥陀堂の内部。

よく言われることですが、西本願寺では本堂である阿弥陀堂のほうが、親鸞像を安置した御影堂より小さいのです。

 

とはいっても立派な阿弥陀堂。

中央に本尊・阿弥陀如来の木像、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師と聖徳太子の影像が安置されています。

 

2 つのお堂にお参りしたあと、書院(国宝)を見学することに。

 

こういう機会でないと見られない書院。しかし撮影禁止!

 

キヤノンEOS 6D とEF16-35mm F4L IS USM でガッチリ撮ろうかとも考えていたこの旅行。

こうした撮影禁止の場所もあり、結果的にコンパクトカメラで済ましたのは正解と言えなくもないですが、残念なことは残念。

203畳敷きの「対面所(鴻の間)」など大広間を高精細、シャープに撮ってみたかったですね…

 

書院の中には面白いところが色々ありました。

「雁の間」では、飛ぶ雁を彫った欄間のすき間から、隣の「菊の間」の壁に描かれた月が見えます。「月に雁」。誰が考えたのか”雅(みやび)”な趣向。

「雀の間」は、竹林の中を飛ぶ雀が68羽描かれたとされているのに実際は66羽。ということで「さては2羽抜け出したか?」と画芸の極致を讃える伝説。

たくさんの巻き物が格子状の天井に描かれた廊下。「書物の大敵・鼠を退治するため猫が1匹だけ描かれています。探してみてください」と案内の人。みんな上を向いて探すこと… 私は見つけられませんでした。

観光客向きの話題ですが、詳しくは西本願寺のページをごらんください。

 

次に、同じく特別公開の「飛雲閣」へ。

「飛雲閣」。

金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が贅を尽くして建てた広大な邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」の一部といわれます。

 ← クリックで拡大します。

 

観光客が記念撮影していたので、撮影OKと思い撮影(以前、撮影禁止だったという話も)。

しっとりと情緒のある庭園ですね~

三層からなる楼閣。上から二層目には三十六歌仙の絵。

 

庭園での音声ガイドによると「飛雲閣」はもともと池の中の島に建てられていたそうで、その名残りの、舟をつけるための石段がありました。別名「舟入の間」とも。

部屋の中では、予約によるお茶席の最中でした。

 

豪華な彫り物がある鐘楼。

 

最後に、有名な「唐門(からもん)」を見に行きました。

「唐門」(国宝)。

西本願寺を囲む築地塀の南側、特別な儀式の時しか使用されない門です。

桃山時代の絢爛たる彫刻で埋め尽くされ、あまりに見事なので日の暮れるのを忘れることから「日暮らし門」とも。

日光東照宮の陽明門と同様、濃密な世界です。

 

 ← クリックで拡大します。

 

一番上の方には唐獅子(からじし)、その下には麒麟(きりん)。

一説に、右の麒麟がキリンビールのロゴの元になったと。でも、そもそもキリンビールのロゴをデザインしたのが誰か分からないらしいので、何とも言えませんねェ…

 

扉に描かれた、様々な姿で躍動する動物。彫り師のすぐれた技量をうかがわせます。これも唐獅子?

 

左右には中国の故事をもとにした浮彫が。

古代中国では、俗世間での栄達を拒む高潔な人を良しとする思想があり、それを描いています。

 

唐門右側にある「耳を洗う許由(きょゆ)」。

何で耳洗ってんの?

皇帝・尭(ぎょう)が自分の天下を譲るという申し出を聞いた高潔な許由は、耳が穢(けが)れたといって川の水で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたという逸話。それを表現しています。

 

こちらは左側の巣父(そうほ)。そんな穢れた川の水を牛に飲ませることはできないと、牛を引いて引き返す図。

そろいもそろって、ポリシーのある方々。

いまの日本にはいないんじゃないでしょうか。

 

まあ、自分としても高潔ではない方なので、大きな口をたたけませんが…

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

撮影カメラ   ソニーRX100



最新の画像もっと見る

コメントを投稿