日本の建物づくりでは、「壁」は「自由な」存在だった-8(了)・・・・「住まいの原型」の記憶

2010-07-23 16:44:00 | 「壁」は「自由」な存在だった
暑中お見舞い申し上げます。
エアコンなしで過ごしています。時折り吹いてくる風が、幸い熱風ではないので、気持ちいい・・・。



出雲平野の散村。北と西に防風林(左が北)。防風林で囲まれた一郭がすべてが「住まい」。「住まい」の中にいくつかの「建屋」がある。
道の右側、下から3戸目では、目下「囲い:防風林」の造成中。この段階では、まだ、建屋だけが「住まい」かもしれない。( Architecture without Architects より)
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

先回のなかほどで、次のように書きました。

  ・・・・
  考えてみれば、一体化だとか立体化だとかいうのは、
  現代の、「ものごとを分解して理解に到達する」という考え方に
  「毒されてしまった」私たちが、私たちだから言う「言い草」なのです。
  あるいは、「ものごとを分解すれば理解に到達する」と主張する人たちに、
  「それは違う」と言わざるを得ないときに、やむを得ず言う言葉なのです。

  「古井家」をつくった人たちをはじめ、
  古来の「知見の蓄積」に基づき「住まい」をつくる人たちにとって、
  つくる建屋は、「あたりまえのように、一体化・立体化されている」のです。
  ・・・・

しかし、書いた後、もしかしたら、何を「一体化、立体化されている」というのか分らない、と思われる方がたくさん居られるのではないか、ということに思い至りました。
何故なら、私たちのまわりは、最近とみに、「一体化、立体化されていない」建物で溢れかえっているからです。

人は、身のまわりにあるものに「慣れて」しまいます。とりわけその数が多ければ多いほど、それで「当たり前」と思ってしまうのです。これは怖いことです。

私の知るかぎり、かつては、私たちの身のまわりにある「もの」たちは、私たちのそれぞれがつくりだしたもの、探し出したもの、選んだもの、言い換えれば、私たちが私たちの感性で「よし」としたものたちでした。つくる人たちも、私たちと同じ感性の持ち主だった、ということです。

ひと昔ほど前に、「私つくる人、私食べる人」というコマーシャルフレーズがありました。これはまことに象徴的に「現在」を現しています。私たちは、いつの間にか、否応なく、「つくる人たちのつくるもの」だけに囲まれるようになってしまったのです。
つくる人たちが、私たちと同じ感性の持ち主であった時代、取り立てて問題はありませんでした。そのときは、身のまわりのものに慣れてしまっても問題はなかった、むしろ、お互い、「その先」が見えた。だから、さらなる「展開」もあり得た。
けれども、現在は違います。私たちの身のまわりには、私の言い方で言えば、「部分・要素」の「足し算」でつくられたもの、それだけのものだらけなのです。

何故こうなってしまったのか。
その原因は、「建物」「空間」を言葉で表現することが難しい、ということに尽きるでしょう。
建物を説明するとなると、どうしても、「間取り」:平面の話、「架構」:その平面を覆う骨組の話・・・という具合に分けて書くことが多くなります。
たとえば、川島宙次氏の著された貴重な「滅びゆく民家」でも、「間取り・構造・内部」「屋根・外観」「屋敷まわり・形式」の三部構成になっています。
したがって、ある一個の住居を「全体として理解する」ためには、読者は、その住居の間取り、構造、・・・などの個別のデータを知り、自らがそれらを「総合して組み立てる」作業をしなければなりません。
この「作業」は、慣れた人には何ということもありませんが、不慣れな人には大変な作業です。
ところが、多くの専門家は、特に研究者に多いのですが、これらのいわば「便宜的腑分け」の項目個々についてのデータは蓄積するものの、「全体」との関係について考えることを怠るのです。
端的に言えば、これらの「個々の項目についての専門家」が現われる。別の言い方をすれば、「全体を考えること」は「専門外」になる。

   川島宙次氏の書が貴重である、という私の判断は、氏が、「全体」をよく観ているからなのです。
   たとえば、建築計画の専門家は、間取りやその変遷については語っても、間取りと構造の関係については
   語らない、と言うより「語れない」。
   構造の専門家は、間取りに無関係に構造について語る。その例が耐震補強。
   ・・・・
   川島氏にはそういうことはない。

そして、「個々の項目についての専門家」が、こともあろうに、「全体」にかかわることにまで関わってくる。たとえば、住まいの根幹は《断熱》であるかのようにそればかり強調する「専門家」がでてくる。・・・それによって生まれたものが私たちのまわりを埋め尽くす。私たちは、それが「当たり前だと思ってしまう」。このいかんともしがたい悪循環・・・。

   過日の講習会「伝統を語るまえに」の後の懇親会、簡単に言えば飲み会で、「伝統木構造の会」の会員で、
   国交省の「伝統的構法」の検討委員会に「実務者(設計者)」として参画されている方から、
   「興味ある」話をうかがいました。
   委員会では、「それでは『実務者』のご意見をうかがいます」と問われるのだそうです。
   この方の言われたのは、意見を言っても言っただけで(向うの立場では、聞いただけで)、
   「結果」つまり「まとめ」では、「実務者」の意見も検討した結果・・・云々、となることへの「怒り」でした。
   これは、同じく「実務者」として参画されている「大工棟梁」もそのブログで同じようなことを書かれています。

   私は、その話を聞きながら、別のことを考ていました。
   質問を発している方は「委員会」を取り仕切っている方で、論理的にいって、
   「実務者」ではない。つまり「非・実務者」。
   では「非・実務者」とはどういう方々か?
   それは、いわゆる「学識経験者」「有識者」。
   「学識経験者」「有識者」とは、先ほど書いた「個々の項目についての専門家」にほかなりません。
   例えば構造の専門家。
   構造は専門だが、その間取りとの関係についでは専門ではない(知らない、関心がない)という方々。

   この委員会は、たしか、「伝統的構法の設計法」「伝統的構法の性能」を検討する委員会であったはずです。
   こういう性格の「委員会」を「非・実務者」が取り仕切るというのは、一体どういうことなのだろう?

   考えてみれば、明治に「学者」「研究者」が誕生して以来、「個々の項目についての専門家」
   すなわち「非・実務者」こそ多数生まれましたが、
   「全体に眼を遣れる専門家」はきわめて少なかったことに思い至ります。
   そういう方々の考えは、「多数」の弁舌によって消されてしまい、
   そしてその「多数」の「非・実務者」によって「実務者」に課せられたのが現在の建築法規である、
   という歴史的事実を忘れてはならないはずです。

   「伝統的構法」の検討委員会はメンバーが多少替ったようです。
   しかし、「非・実務者」が取り仕切るという「構図」は変っていないようです。
   それはすなわち、「下々はお上に従え」という「構図」は変っていない、ということです。
   私たちは、それにも慣れてしまった?!


前書きが長くなりました。

これまで、いくつもの事例を紹介してきました。
いずれも、現在の建築法規の規定には反する事例ばかりです。
そして、そのどれも、壁は自由に扱われています。壁は、柱間の充填材にすぎない、ということです。
そしていずれも、百年~数百年健在です。

それらに共通する特徴をまとめると、次のようになるように思います。

① その地の風土・環境に適応した暮し方に合う空間をつくることに徹している。 
② 規模の大小にかかわらず、きわめてシンプルな形(先回の言葉で言えば「一つ屋根」)にまとめている。
③ 空間の分割:間取りと架構が対応している。
④ 不必要に大寸の材料は使わない。たとえば、基準柱間6尺5寸で、柱は5寸弱角。
⑤ 風土・環境に適応した材料の使い方を工夫している。
⑥ 使う材料も、空間の分割と対応している(材長は架構の区画と一致)。
  すなわち、柱列から持ち出した位置で材料を継ぐようなことはしない。
⑦ 材相互の接合:仕口、材の延長:継手は、いずれも簡潔な手法を採る(「原理」には忠実である)。
⑧ 建物の架構全体を、竹ヒゴ細工の虫かご、鳥かごのような立体に組上げている。
⑨ 組まれた立体は、礎石の上に置かれただけである。
   註 実際は礎石の上で組み立てるが、結果としては置かれた形となる。
⑩ ①~⑨は、見かけの形は違っていても、一般庶民、上層階級を問わず同じである。
 

では、現在、私たちのまわりにたくさんある「住宅」を見てください。

その多くは、規模が小さいにもかかわらず、複雑な形をしている筈です。
多分それは、ほとんどがいわゆる住宅メーカーの「作品」ですが、個々の「作品」の「アイデンティティ」を際立たせる一つの手段として、「格好よい形」にしているのです。そして、注文する側もまた自分の「好み」の「形」を選択する。・・・
そこでは、その建つ「地域」はどこでもよく、「形」と「間取り」と「架構」とは「関係ない」のが普通です。

そのなかでも著しいのは、間取りと架構の不一致。とりわけ、注文に応じる場合、そのほとんどで、2階と1階の間仕切位置が一致していません。

そしてまた、多くは、「構造用教材」所載の軸組工法モデルを具現化した例がほとんどで、柱から持ち出した位置で簡単な継手で継いで金物を添える方法。端的に言えば、材寸は出たとこ勝負。プレカット工場に「機械的に」お任せ。

したがって、いずれも私の言う「部分の足し算」による建物、「一体化・立体化」とは無縁。

そして、そういう「部分の足し算」的建物が、基礎に金物でがんじがらめに結び付けられる。何故か?地震により建物に生じる水平力を、スムーズに地盤に伝えるためだそうです(http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/05257b17a8877ce16db40233141e1805参照)。


では「伝統的構(工)法」を尊重する方々なら、先に挙げた「特徴」を、きちんとわきまえているのでしょうか。
必ずしもそうではありません。
その方たちの多くは、「伝統的」と言われる「形」に惹かれているようで、その背後に隠れている「考え方」には思いを馳せない。もちろん、すべての方がそうなのではないでしょうが・・・。

たとえば、聞こえてくる話によれば、メンバーチェンジした国交省の「伝統的構法」の検討委員会の「設計法」検討部会では、「実務面での緊急性を考えて、町家型、田の字プランの住宅に限定」して実験などを行ない、仕様などを決めるのだそうです。
首をかしげるのは、私だけなのでしょうか。
これでは、その先に見えてくるのは、見かけは「伝統的」風だけで、巷にあふれる建物群と変りはないものがつくられてしまう事態であることは容易に想像できます。「論理」は従来と何ら変っていないからです。世の中は「伝統《風》」の復権を望んでいるのでしょうか?

   註 この委員会が、「設計法」「性能」の検討会、と言うのも、気になります。
      「設計法」とは何を指すのか、定義が不明確だからです。
      設計とは、建築法令に「適合する」ように、各部の「性能」を規定すること?
      早い話、「性能」とは何を指すのか、それさえも不鮮明です。
     

では、先に挙げた「特徴」をもつ建物は、なぜ生まれ得たのでしょうか。

それは、人が住まいをつくる(居住空間を求める)際の「基本的な原理」に則っていたからだ、と私は考えています。人びとは、太古以来のこの原理を記憶していたのです。

人が「住まい」を構えるとは、どういうことなのでしょうか。
必要な諸室の数を揃えることですか?

これについてはすでに何度も触れてきています。住まいの原型は、先ず、自分(たち)が、「安心して籠れる場所・空間を確保する」ことです。したがってその原型は「一室空間」です。このことについては、下記で例を挙げて書きましたので、ここでは説明を略します。
   日本の建築技術の展開-1・・・・建物の原型は住まい

同じようなことを、帝国ホテルの設計・施工で F・L ライトの右腕として活躍した遠藤新 も言っています(下記)。
   日本インテリへの反省・・・・遠藤新のことば 


「住まいは本来がワンルーム」という考え方を採るならば、敷地の大小にかかわらず室数を同じにする(敷地が小さいときは室の面積を縮小して室の員数だけを揃える)などという愚行はしないはずなのですが、現実はそうではない。
現在「当たり前」になっているこの「考え方」は、実は、戦後の「建築計画学」の置土産なのです。「住居」に関わりながら、「住まいとは何ぞや」という根本、本質を考えなかったからなのです。

   蛇足
   学生の頃、「矛盾論」を読みかじったわが師は、
   「本質」などという存在しないものに拘るな、とのたまわれたのを昨日のように覚えています。
   生活と空間の「矛盾」から、新しい「住まい」「暮し方」が生まれる、と言うのですが・・・・。
   これも昨日のように覚えていること、
   或る公営住宅の2DKで、その住人は、DKではなく南の六畳間で食事をしていた。
   それを見て、わが師いわく、「まだそんな《後れた》生活をしている」と。
   この方は、私の反面教師の一人、この方の考え方との「矛盾」が、私をつくった・・・。
   私が、進んだ形だとか、進化とか言わず、進展とも言わず、進展・展開と記すのも、そんな経験からなのです。

つまるところ、かつて人びとは、人それぞれの置かれている状況の下で、そのとき必要と感じた空間を、自らの感性によって望み、工人もまた人びとと感性を共有していた。
その感性の拠りどころ、それは、「人にとっての空間の意味についての認識」です。
そして、つくるとき、最初に、「できあがった空間」全体をイメージしていたのです。
当然ながら、そこでは「架構」も読み込まれているのです。そうでなければ、組み立てられない・・・。
今でも、自分でつくるとなると、このようなイメージを描く筈です。ことによると、そのために必要なスケッチを描くかもしれない(頭の中だけで済ますこともあるでしょう)・・・。そうしなければつくれない。

人は「空間」を離れて存在し得ません。「空間」は、魚にとっての水と同じなのです。
ところが、あるときから、人と空間を切り離して、別々に語り、後になって二つを「くっつける」ことが当たり前になってしまった。
それどころか、そうすることが「科学的」であるかにさえ思うようになってしまった。
今の多くの建築に関わる「学」や「研究」は、先ずほとんどすべて、この「分離」「乖離」の下で成り立っています。
その観点で語られる空間は、もはや「人のいる空間としての建物」ではないのです。

かつての人びとには、そのような分離・乖離した見方は存在しなかったのです。
何故ならば、「それでは人が人でなくなる」「俎上の魚になってしまう」ことが分っていたからです。私はそう思っています。

このことを、次の文言は、私のようにくだくだとではなく、きわめて簡潔に、ものの見事に語っています。
「・・・・うを水をゆくに、ゆけども水のきはなく、鳥そらをとぶに、とぶといへどもそらのきはなし。しかあれども、うをとり、いまだむかしよりみづそらをはなれず。ただ用大のときは使大なり。要小のときは使小なり・・・・」 (道元「正法眼蔵」)

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4 コメント

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分割化と総合化 (布施 弘)
2010-07-24 09:14:09
『「個々の項目についての専門家」が、こともあろうに、「全体」にかかわることにまで関わってくる。たとえば、住まいの根幹は《断熱》であるかのようにそればかり強調する「専門家」がでてくる。・・・それによって生まれたものが私たちのまわりを埋め尽くす。私たちは、それが「当たり前だと思ってしまう」。このいかんともしがたい悪循環・・・。』

現代科学のどの分野でも、ますます細部に向かって分割され、それぞれの細部が深くまで探究されています。そして数量化(数学化ではなく)しようとしているように思います。それが現代科学の特徴でありましょう。
もちろん、それが必要なことはわかります。とくに私どもの様な防災関係者にとっては、地すべりが発生すれば、とにかくそれを止めなければならない。そのためには、対象(地すべり)が数量化されていなければ、「計算」できないのですから。
まだ私が地すべり屋の現役であったころ、あるコンサルタント会社の担当者が地すべり対策工事を設計している場に出会いました。その会社は国内外で活躍している会社です。設計図では地すべり対策としてクイ打ち工事が採用されていました。その同じ図面では、地すべり地の地質が礫層であることを示していました。
「あの~、その地すべりの原因はなんだとお考えですか」私。
「地下水の滲透です。梅雨時に水位が上昇してすべりました。」担当者
「それなら、水を抜き、水位の上昇を防ぐの先ではないのですか」
「クイで止められます、計算でそうなっています」担当者の答えは明確であり、断固として迷いがありませんでした。
それ以来、その会社を信用していません。

たしかに細分化され、その知識は深くなっています。個々の専門家が増え、全体を見る人がいなくなっています。ご指摘の通りです。この傾向は、今後ますます進むことでありましょう。
その先はどうなるでしょうか。私は楽観しています。いずれは、いつのことが現在では見当もつきませんが、総合化されます。1979年の拙著「地すべり論」の前書きで、現在は細部にわたって分割されていること、しかしいつの頃か、研究者と「実務家」との融合・統合化が始まる旨を指摘しています。これはいまでも変わらず確信しています。
 http://www016.upp.so-net.ne.jp/landslide


ところで、先生のお考えの原点はどこにあるのだろう、それに興味を持っていました。
『学生の頃、「矛盾論」を読みかじったわが師』を反面教師にされたということです。その教師が『「本質」などという存在しないものに拘るな、とのたまわれた』のであるなら、その教師を反面教師にされたことが納得できます。「本質」は存在しますから。

「進化」ということばは、古生物を含めた生物界の「発展」、つまりダーウィンが用いた以外の使い方をしない方がいいと思っています。「進化」を社会現象に無思慮に用いた結果、社会科学に多くの混乱をきたしました。
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歴史主義の貧困 (筆者)
2010-07-24 17:44:18
「社会現象」を、単純に、史的「発展」で(進化論風に)見る研究がいっとき流行りました。それを痛烈に批判した書物ポッパー著「歴史主義の貧困」を読んで、すっきりしたことを覚えています。そういう傾向は洋の東西を問わないようです。
返信する
定性的なモデリングこそ (下河敏彦)
2010-07-25 08:00:09
 下山先生、お久しぶりです。出雲平野の写真がありますが、このような写真をみると私はほっとします。わたしなりにもう一言付け加えるとすれば、この家屋の列は自然堤防にそっている。八岐大蛇伝説の残る斐伊川の洪水堆積物の形成した高まりにそって立地しています。それは、高いところに住んで洪水の難を少しでも逃れるための生活の知恵で、富山県砺波平野の山村など、代表的に見られる景色ですね。Architecture without Architects の著者は日本人ではないのでそこまで突っ込まなかったのかもしれませんが、これこそ私のブログのタイトルにしているDesign with natureだと思います。

布施先生が例示されている地すべり対策のような話も、いまも残念ながら聞こえることはあります。しかし、だんだんと改善される風潮もあります。ひとことで言えば”お金がないからです”。投資余剰がないと、必要最小限、すなわち本質的な部分、確信をついた対策を行おうと
いうことになります。私の知る大手建設コンサルタント会社も、これからは現場を実直に歩く砂防を会社の売りにしていこうという話も聞きました。ただ、実は地すべりや土石流といった現象は、研究者の方が現場にあまり出ずに「計算」をして「論文」を稼ぐ、定量的>定性的の傾向が強いように思います。

『その地の風土・環境に適応した暮し方に合う空間をつくること』に関してひとこと言えば、『現地を指針』にしているということができるでしょう。いまは指針のための指針が多く、山は崩れたが指針に応じたのだから間違ってないなどど、免罪符のようになっていることもあると聞きます。シナリオやモデリングなどどいう横文字もよく聞きますが、つとめて”定性的”な観察・描写の結果であるべきと思います。
返信する
定性的把握と現場・現地 (筆者)
2010-07-25 09:48:29
お久しぶりです。

建築の世界では、現場・現地を見ても、定性的に把握する人は少ない傾向にあります。言ってみれば、行間の読めない人。
何故かというと、建築にかかわる人の多くは、「形」に目が行き、その「形」の成り立ちに目が向けようとしないからです。

一方、机の上で考える人でも、定性的に捉えられる人もいます。
要は、観者の「ものの見方」次第、そのように思っています。

たとえば、冒頭の写真、道が曲っていますが、それが何故か、建築の人で考える人はきわめて少ない。それは「地理学」の話で建築ではない、というわけらしいです。
私は、建築は「ここからここまで」などと考える気は毛頭ありません。
そんなことしたら、いにしえの人びとに対して失礼だ。彼らは、全部観てましたから・・。

今後もお読みいただきコメントをいただければ幸いです。
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