トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-4(改・補)

2007-01-13 10:10:37 | トラス組:洋小屋

 長野県塩尻市の周辺には、興味ある建物が多数ある。
 塩尻は、鉄道で言うと、中央東線、中央西線、篠ノ井線の分岐点、街道で言えば、中山道(江戸~京都)、三州街道(伊那往還:塩尻~伊那谷~遠州)、そして北方へは松本を経て糸魚川へ通じる糸魚川街道(千国道)あるいは長野・善光寺への北国西脇往還(善光寺道)の交差点として栄えた場所。「塩尻」とは太平洋あるいは日本海から届けられる「塩」の最終到着地だから名付けられた、という説があるくらいだ。
 
 このあたりには、建屋を、石置き板葺きで緩勾配の大屋根でくるむ通称「本棟造(ほんむねづくり)」と呼ばれる建物が数多く残っており(今は瓦葺きに変っている)、それらのつくりなす街道筋の街並みも見ごたえがある。
 一般には、「堀内家」が「本棟造」のいわば代表として紹介されている。
 しかし私は、むしろ、「島崎家」と上掲の「小松家」を観ることをお勧めする。いずれも塩尻市の郊外、字片岡にあり、両家は数百メートルほどしか離れていない。

 「島崎家」は「本棟造」の原型と言ってよい建物で、「堀内家」に比べると数等細身の材で造られている。それでいながら、当初の建物を、改修によって約250年以上にわたり住み続けてきた住居である。材の寸面の大小は、そのまま直ぐには構造面での強さと結びつかない、という良い例。

 いわゆる「民家」は骨太と一般に理解されているようだが、骨太になったのは幕末から明治初めの頃のこと。庶民は、無駄に材料は使わない、必要最小限の材で、しかも手近で得られる材料でつくるのがあたりまえだった(《銘木》などという感覚とは縁がないのが庶民)。「島崎家」はその典型と言える建物。

 「島崎家」についてはいずれ紹介するとして、上掲の「小松家」は、「島崎家」の直ぐ近くにありながら「本棟造」とはまったく異なる茅葺の「上屋」だけからなる農家。
 屋内の写真はないので、断面図で想像していただくしかないが、きわめてすっきりしていて、呆気にとられるくらい単純な架構である。一種のトラス組と言ってよいだろう。断面図は、「しもざしき」での断面(右手が「しもざしき」)。

 もちろん、トラスなどという意識のもとでつくられたわけではなく、合掌の垂れ下がりを陸梁からの「つっかえ棒」で支えよう、という発想だ。これは、「現場でなければ生まれない発想」と言えるだろう。机上の知識では、こういう発想は生まれまい(知識としてのトラスが頭に浮かび、こんなのありか、と考えてしまう)。
 註 西欧の各地域の農家の建物にも、同様に、現場で生まれた技が数々あり、
   そしてそれが各地域独特の形状として結果している(これもいずれ紹介)。

 私は、こういう「建築家なしの建築」に潜んでいる溌剌とした発想・技に常に感動を覚える。そこに学びたいと思う。こういう新鮮で溌剌とした発想が、今の「建築家」にできるだろうか?
 最近建てられる建物を見ていると、今の「建築家」の目線は、どこか「建物づくり」とは無縁なところをさまよっているように思えてならない。 

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