閑話・・・・今は民主主義の世か?

2007-01-11 02:13:44 | 論評
 防衛庁が防衛省になった。このことについて「不安」を感じるのは、新聞の投稿欄などを見ていると、その多くは60代後半の方々のようだ。幼少時に「戦前」を知っているからだ。第一、自衛隊の前身「警察予備隊」の誕生の経緯さえ、すでに話題にならない。

 戦後、日本は「民主主義国家」になったという。
 「民主主義」とは、「人民が主権を持ち、人民の意思をもとにして政治を行う主義」のこと。では、今の日本は「民主主義」国家だろうか?本当に人民が主権を持ち、その意思をもとに政治が行われているか?
 そうではないことは、先般来問題になっている《タウンミーティング》なる「催し」、あるいは《有識者》による各種《審議会》を見れば明らかだ。つまり、これらは皆、《人民の意思を尊重しているかの装いを見せるための装置》なのだ。

 よく、江戸時代、徳川幕府の時代は「封建主義」、すなわち「支配的な立場にある人が、下の者を、文句を言わせずに服従させるやりかた」がまかり通った時代と言われ、暗い時代と言われる。
 しかし、いろいろ調べてみると、そういう話の大半は、明治新政府が「為にした」作り話が多いように思える。
 たとえば、江戸時代の新田開発(地域開発)や、あるいはいろいろな分野での卓越した技術の誕生などを見てみると、江戸時代は一般庶民が自由に発想し、自由に振舞える今よりも数等「民主」の時代であった、という感を禁じえない。
 これに対し、昨今の政治を見ていると、今の世の方が数等「封建的」に見える。時の政府が、一般庶民の自由な発想を禁じ、一律の方向に向うことを指示する。しかし、その指示が誤っていても(誤っていることが明らかになっても)、絶対に責任はとらない。それは、昨今の「構造計算偽装問題」の結末を見れば明らかだ。「偽装」を見逃した行政の「責任」は不問のまま終ってしまった。
 始末が悪いのは、その施行が、常に、一見《民主的》な装いをとっていることだ(《審議会》《公聴会》や《タウンミーティング》がそれ)。

 江戸時代なら、多分、こんな政治が行われたなら必ず「一揆」が起きたに違いないが、明治以来の政治は、それを押さえ込む手段も同時に《民主的に》つくり上げてきたと言ってよいだろう。これは新たな「封建時代」の到来と言ってよいと私は思う。 

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