古河のまちを歩く・・・・江戸~明治の名残りを味わう

2007-07-15 22:42:50 | 建物づくり一般

 古河の町なかを散策する機会があった。
 古河は茨城県最西端の町。利根川を挟んで埼玉に、渡良瀬川を境に群馬・栃木に接する。
 水運の要所でもあり、奥州への街道の要所でもあり、文物もここを通過し、一帯を差配した古河藩の下、ここに独自の文化が醸成された。

 雪の結晶図譜『雪華図説』を編んだのは古河藩主・土井利位(としつら)、そして「解体新書」以前に『解屍編』を出版したのは、藩医の河口信任である。

 上掲の建物の主、鷹見泉石(たかみ・せんせき)は、天明5年(1785年)古河の生まれ、古河藩の家老を務めた人物。
 洋学に深い関心を持ち、長崎出島のオランダ商館ともつきあいが深かったという(オランダ商館長ブロンホフから、ヤン・ヘンドリック・ダップルという西洋名をつけてもらったほど)。
 彼の収集した資料は、ペリー来航、間宮林蔵の北方探検等多岐にわたり、それら資料3000余点は、現在重要文化財に指定され、「古河歴史博物館」に収蔵・保存されている。

 上掲の建物は、鷹見泉石の最晩年の住まいを改修したもの。
 瀟洒で、気張ったところのない好感のもてる建物。洗練された、武骨さのとれた書院造。
 襖を開けると全部が見通せる室の並び、その南と東に矩折りにつづく縁は実に気持ちよい。縁の前には、手の程よく入った樹木がいっぱい。蒸し暑い日だったが、ここでは涼風が吹き渡る。まさに夏向きの日本のつくり。
 残念ながら、今は、法令にがんじがらめにされ、こういうつくりはなかなかつくりにくくなった。その一方で、省エネなどというあほらしさ・・・。

 古河の町なかには土蔵造、石積みの蔵、そして煉瓦蔵が目立つ。かつての商業の繁栄の名残りだろう。
 作家・永井路子の旧居は、土蔵造、いわゆる蔵座敷。ここも中は涼しい。石積みの三階建の蔵は、今はわが国唯一の篆刻美術館として活用。登録文化財に指定されているとのこと。

 そして、数ある煉瓦蔵。この材料の煉瓦は、古河の北隣の町、栃木県野木町にあった「下野煉化製造所(しもつけれんがせいぞうしょ)」の製品。ここは、埼玉県深谷の「日本煉瓦製造」とともに、明治の煉瓦建築の煉瓦を一手に引き受けていたと言っても過言ではない工場。
 もちろん現在は製造していないが(日本煉瓦製造も、最近、ついに煉瓦の製造を停止した)、その煉瓦焼成窯「ホフマン窯」は、重要文化財として保存されている。その特異な形は、一見の価値がある(いつか紹介の予定)。

 これまでいつも、古河の町なかは素通りしてきたが、もう一度訪ねて、じっくりと観てみようと思う。

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