トラス組・・・・古く、今もなお新鮮な技術-1

2007-01-04 12:40:54 | トラス組:洋小屋

 会津・喜多方では明治30年代から(註:明治30年=1897年)小屋組にトラス組が用いられていたことを以前紹介した。
 トラス組の技術は明治の近代化にともない日本に紹介された技術で、日本では古い農家建築の合掌組以外にはその例がない。

 註 合掌組 陸梁(ろくばり)上に三角形に合掌を組むトラスの原型。
         合掌材には主に丸太が使われる。
         合掌の尻は陸梁の両端に穿った穴に差される。
         本来は真束(棟位置の束)はないが、設ける場合もある。

 トラス組は、小断面の、しかも少ない量の材料で、大きく梁間をとばすことができる方法だが、最近の日本では見かけることが少ない。木造の大架構というと、大断面の集成木材を、鉄骨造では大断面のH型鋼を使う例が多いようだ。
 多分、トラスは小屋裏に隠すもの、見せるものではない、と思われているからかも知れない。
 たしかに、明治以来、木造はもとより鉄骨造でも、校舎や講堂などに使われることが多かったトラス小屋組は、大抵が天井を張られ、外からは見えないのが普通だった(先に紹介した「旧丸山変電所」は、変電所施設であるため、鉄骨トラス表しである)。
 現在でも、各地にのこっている第二次大戦前に建てられた学校の校舎や講堂(体操場)の天井裏に、トラス組が隠されているはずである。

 上に載せたのは、「旧日本銀行京都支店」の建物の断面図とトラス組の写真。
 この建物は、二階建て一部地下一階、煉瓦組積造、小屋組をトラス組、スレート・銅板葺きの屋根の建物(煉瓦は、化粧煉瓦を含め、地階4枚、一階3枚半、二階3枚のイギリス積)。

 設計は、当時日本銀行の工事顧問だった辰野金吾(工部大学校第一回卒業生)と日本銀行技師長・野宇平治。明治39年(1906年)に竣工(会津・喜多方で、さかんに木骨煉瓦造の建物が建てられ始めたころである)。

 このトラス組は、工部大学校で教授されていたいわば「正統」のトラス組の例と言えると思われる(煉瓦積も同じく「正統」と言えるだろう)。

 現在、この建物は、「京都府立平安博物館」として公開されている。
 所在地は、京都市中京区三條通高倉西入る菱屋町。一帯は、明治期の商業活動の中心地。その他にも同時期の建物が多数残っている。

 この建物の由来等の解説は「重要文化財旧日本銀行京都支店修理工事報告書」に拠った。なお、調査の結果、外壁まわりの基礎、床束礎石には大きな沈下は見られなかったという(京都市内は、盆地ゆえ、一般に地盤は悪い)。

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