前回に引き続き、今回は鎌倉時代中頃のオ)「龍岩寺」と、少し間が空いて室町時代初期の、方丈建築最古の建物であるカ)「龍吟庵方丈」、そしてキ)「桑実寺(くわのみでら)」に使われている継手・仕口を見ます。
私の観ているのは「龍吟庵方丈」だけで、図面もこの建物だけ手元にあります。「龍吟庵方丈」については、大分前に「基準寸法」の話で触れていますが、柱間寸法:1間=6尺8寸としていた時代の建物です。また図版もそのときと同じです(「建物づくりと寸法-1・・・・1間は6尺ではなかった」参照)。
オ)の「竜岩寺」の例は「軒桁」「母屋桁」の継手に使われている「鎌継ぎ」で、「角鎌」になっています。
この図だけでは柱との位置関係が分りませんが、おそらく持ち出した位置で継いでいるのではないでしょうか。横3.6寸×高さ3寸という断面からみて、化粧の部材だと思われます。
キ)の「桑実寺の」例では、「頭貫」に、斜めの鎌の「鎌継ぎ」と角型の「鎌継ぎ」の2種類の「鎌継ぎ」が使われています。
2種類使う理由が特にあるようには思えませんから、担当者の任意の判断ではないか、と思います。
中世になっても、「古代鎌」と呼ばれる「角鎌継ぎ」を、あいかわらず使う工人がいたのでしょう。
また「頭貫」の柱への納め方は、図から判断すると、柱の「太枘(ダボ)」で固定しています。これも古代の、しかも初期の方法です。
キ)では、「床根太」「軒桁」そして天井の「格縁」にも「鎌継ぎ」が使われていますが、どれも大きく力のかかる場所ではありません。
なお、「軒桁」の上端に彫られている小穴は、「面戸板」を納めるためのもので、丁寧な仕事です。
一方、足固めには「足固貫」が使われ、「継手・仕口」は「大仏様」で多用されている柱内で「鉤型付きの相欠き:略鎌」で組む方法がとられています。
おそらく、この「桑実寺本堂では、工法について一定の方針があったのではなく、仕上りの姿だけあって、それを何人かの分業で、手法は各自に任せ、その結果、古今の方法が適宜に使われ混在したのではないか、と思えます。
カ)の「龍吟庵方丈」では、「付長押」が室内の意匠に積極的に使われています。
中央の室では、内法上から3段の「付長押」が設けられています。それぞれの「付長押」の内側には、図では分りにくいですが、「貫」が設けられています((「建物づくりと寸法-1・・・・1間は6尺ではなかった」の図版には、位置を示してあります)。
「付長押」は柱の外側に設けられます。そのため、かならずどこかに継目が表れますから(継目が柱の芯位置になるように継がれます)、この継目をきれいに見せる必要があります(書院造では、「付長押」に、各柱ごとに「釘隠し」が飾られますが、これも継目隠しの役があったと考えられます)。
一番の問題は、木材の収縮で、継目に隙間が開いてしまうことです。
木材は一般に長さ方向に縮む傾向がありますから、それを防止するために、このきわめて狭い箇所で「鎌継ぎ」を設け、2材を引張り寄せることにしたのでしょう。
この細工には、きわめて精密な加工が必要で、道具にも相当なものが使われていたと考えられます。
小屋組の「束柱」は「貫」で固められ、その「継手」には、「鉤型付き相欠き:略鎌」が使われています。梁行、桁行の「貫」は段違いに設けられているため、柱内で交叉することはなく、梁行、桁行とも「継手」だけで組まれています。
ここまで見てきたように、「鎌継ぎ」は、中世には、主要構造部ではなく、化粧:見えがかりになる箇所の継手に使うのが普通になっていた、と見てよいようです。
次回もこの続きを。