「文化の日」を前に思う・・・・私たちは、「言い伝え」を遺せるか

2014-11-01 15:55:26 | 「学」「科学」「研究」のありかた

背の高いアメリカセンダングサなどに囲まれていたからでしょう、背伸びして咲いています。


[追記追加 11月3日 9.30]
「百舌の高啼き75日」ということわざ(諺)があることを、先日書きました。ある気象予報士の方のお話です。
百舌の啼く声が聞こえるようになると、あと75日もすれば霜が降りるぞ、ということのようです。百舌が啼くようになったら、農作物の霜の対策を考えなければならない時期だという、農業をなさっている人びとに蓄えられた「知恵の言い伝え」なのだと思います。
気象予報士の方の話では、調べてみると、実際には75日ではなく、地域により幅があるそうで、75という数値そのものに意味がある訳ではないようでした。要は、そのくらいの余裕を持って準備しておけ、冬は近いぞ、という「教え」なのです。
数値にのみ意味を認めたがり、何でも数値化してそれを最高の指針としたがる現代の人びとの間では、こういう諺は決して生まれないでしょう。

数日前、散歩から帰って、玄関に入ろうとしたとき、扉がガタガタと音を立てているのに気付きました。体では感じられなかったのですが地震でした。家内に、今の地震だよね、と話したところ、地震を感じる直前に、林で雉が啼いた、とのことでした。
地震の前に雉が啼く、雉が啼くのは地震が起きる知らせだ、ということは、古代から言われているようです。
   「歴史のなかの大地動乱――奈良・平安の地震と天皇」(保立道久著)に、そのあたりの事例が紹介されています。
   この書を読んだ感想が下記です。
   「歴史のなかの大地動乱――奈良・平安の地震と天皇」(保立道久著)を読んで

こういう「言い伝え」がある、ということは、そういう「事態」を多くの人びとが実際に経験していて、その結果「言い伝え」として成り立った、と考えてよいでしょう。
「雉が啼く」という現象の後、「地震が起きる」という現象が、並行して起きる、しかもそういう並行現象が度重ねて起きている、そこから人びとは、雉が啼いたら地震がくるかもしれない、と思うようになったのです。日頃の「観察」が「認識」へと昇華したのです。
もちろん、雉が地震の因ではありません。しかし、人びとは、雉の能力に感じ入ったのです。雉は日本の「国鳥」となっていますが、もしかしたら、そう見なされるには、その姿の美しさもさることながら、天変地異を人よりも先に知ることのできる雉への畏敬の念があったのかもしれません。

このような「諺」、「言い伝え」は数多くあります。
このような自らの経験の結果生まれた「諺」、「言い伝え」が多数存在するということは、往時の人びとは、「身の回りの事象を、日常的に、よく観察していた」ということの証左である、と言ってよい、と思います。
「ことわざ(諺)」「言い伝え」とは、辞書には次のように解説されています。(「新明解国語辞典」)
   ことわざ(諺):その国の民衆の生活から生まれた、教訓的な言葉。
   言い伝え   :先祖から口づてに伝わってきたこと。昔から多くの人びとが口で伝えてきた話。伝説。
往時、人びとの暮しを支えてきたのは、おそらく、こういう「言い伝え」であった、と考えてよいでしょう。暮してゆく上の「知恵」を、世代を越えて引き継いできたのです。先の霜への準備の時期の示唆などの営農上の「知恵」は、そのほかにも各種あるようです。
住まいづくりの面でも、もちろん、いろいろとあったはずです。成句は忘れましたが、住まいを営む場所の選択に際して守るべき要点を示す「言い伝え」があったように記憶しています。その中に、がけ地、がけ崩れ跡、谷筋、低湿地などは避けるべきことが示されていたように記憶しています。
建物づくりそのものについても同様です。日本という独特の風土で、人びとは、それぞれの地域の特性に応じて、工夫を積み重ねてきたはずです。それが、日本の建物づくりの「技術」なのです。それを支えたのも、代々継承されてきた「知恵」の集積だったはずです。
   この点については、「再検・日本の建物づくり」シリーズでまとめてありますので、ご覧ください。      
ところが、いつの間にか、こういう「言い伝え」「知恵」を「継承する習慣」が途絶えてしまったのです。
何故途絶えたのか?
このような「知恵の継承」を途絶えさせてしまったのは、《科学》の名の下で押し進められてきた各面での「学的理論」だった、と私は考えています。
簡単に言えば、《科学》が、人びとの間に存在した「過去の経験に拠り蓄積された『知恵』」の放擲を奨励してしまったのです。それどころか、《科学》の名の下に、いわゆる《安全神話》と呼ばれる「虚構の言い伝え」をつくりだし、人びとの感覚を欺くまでになっています。

なぜこのような話を書くか。それには訳があります。
先日、「伝統木構造の会」の方が、お見えになりました。
そこで、奈良今井町の高木家の耐震性を「限界耐力計算法」により解析した結果について教示いただきました。
結論から言うと、「限界耐力計算法」で解析したところ、高木家の架構は、耐震性なし、という結果が出た、とのことでした。

木造軸組工法の建物の耐震性の確認法として、現在、法令で認められているのは、従来からの「壁量規定による確認法」のほかに、平成20年の法令の改訂に伴い、「許容応力度計算」「限界耐力計算」による方法が推奨されるようになっています。
   註 それぞれの方法の概説(私なりの理解によるものです。誤解などがありましたらご指摘ください)
   壁量計算法:地震時の水平力及び台風時の水平力に対し、建物の床面積及び外壁見付面積に応じた量の耐力壁が必要という考え方。          
            必要壁量は、規定された壁係数を床面積または見付面積に乗じて算出。地震力と風圧力に必要な壁量の多い方(安全側)を必要壁量とする。
   許容応力度計算法:鉛直荷重、水平荷重に対して構造物の応力を求め、これにより生じる各部材の応力度が、その部材の許容応力度以下になるように
                 設計する方法。
   限界耐力計算法:限界耐力とは、建築物が地震発生時に、その地震力にどこまで耐えられるかという指標。
               「許容応力度計算」で基準値を求めていた方式を改め、「限界耐力計算」で得た計算値:指標を基準値にして設計する。
   いずれも、外力に抵抗するために、架構の各方向(通常は直交する二方向)にその力に抵抗する部分(耐力構面:耐力壁)を設ける考え方が「前提」です。
   この「前提」についての私見は、下記で書いています。そこで紹介した日本建築学会の「一般向け解説」は、《噴飯もの》ですので、是非お読みください。
      「現行法令の根底にある『思想』」
今井町・高木家は、19世紀末建設の商家です。
この建物は、下記に詳細を書いてありますが、建設以来、約150年の間に、何度も大地震に遭っています。しかし、地震に拠る被災はまったく認められません
ということは、この建物の架構は耐震性があったということになります。ところが、その事実を、限界耐力計算法は認め得なかったのです。
つまり、その耐震性「評価」法は、事実・ reality に対応していない、ということを意味している
のです。
同様に、建築学会の推奨するいわゆる「我が家の耐震診断」法によって「診断」しても、高木家は要耐震補強建物になってしまいます。
       「耐震診断・・・・信用できるのか」
       「『耐震診断』は信用できるのか・補足・・・・高木家の地震履歴」

この歴然たる事実、法令と実際との齟齬は、往時のつくりの建物が多く現存する地域、特に関西では、悩みのタネであるようです。この地域で、いわゆる「伝統工法」の架構についての構造計算法、設計法の確立に向けて、いろいろな試行がなされているのは、この齟齬の解消のための「格闘」「努力」と考えてよいでしょう。
京都や金沢では、商家建築:いわゆる町屋のつくりかたを、現行法令の下で如何にしたら継承してゆくことができるか、研究が進められているようです。この方がたの「格闘」「努力」には、頭が下がる思いです。

しかし、その一方で、何世代も、何年もの間、無事であったことが事実として明らかなのに、その継承のために、何故このようなエネルギーを費やさなければならないのか、不条理をも感じざるを得ないのです。
何世代も、何年もの間、無事であったものの「存在」を、素直に認めることのできる「理論」が、何故存在しないのか、ということです。これは、根本的な「疑義」なのです。


医学の世界に「疫学」という「研究分野」があります。風土病、流行病などの原因追究などから始まった分野のようです。
その方法は、いわゆる「公害」の状況確認の際にも応用されています(公害裁判で、「疫学的証明」という立証法が認められているとのこと)。
疫学とは、現象を具に観察することを通じて、ある事象、現象群に通底する「論理」「理」を見つけ出す方法と言えばよいでしょう。つまり、「現実」「 reality 」の「観察」が基点なのです。
私は、この研究方法は、「実態」「 reality 」にきわめて即した方法だ、と考えています。
なぜなら、目の前に存在する「現実」「reality 」に基づくことを前提にしているからです。
考えるまでもなく、「現実」「reality 」の「存在」を説明できない仮説・推論は、意味がありません
   言い方を変えれば、机上での研究仮説・推論に於いても、「現実」「 reality 」との相称性の確認を、常に、問い続ける必要がある、ということです。
   昨今の「研究」「理論」には、「現実」「 reality 」に対応しない simulation で考えられたと思われる例が多いように思えます。
   「実物大実験」なども然りです。多くは、「結論先にありき」のご都合主義以外のなにものでもないと言っても過言ではありません。
   このような「研究・学問」が蔓延るのは、研究者・専門家・学者の「研究倫理の欠如」、と言ってよいでしょう。
   だいぶ前に、理系の教育機関の教師の方が、「心ある技術者」育成のために、として、次のように語っていました。
   すなわち、「誤った前提の上にいくら精密な推論を重ねても、結論は無意味であることを、きちんと教育しなければならない」と。
   これについては下記をお読みください。
    「buzzcomunicationをこそ・・・ある教師の苦悩」
   世の中一般に、数値で示すことを「厳密」と見なす風潮が見受けられます。それは、誤りです。このことについては、下記で触れています。
    「厳密と精密」

冒頭に例として出した「ことわざ:諺」や「言い伝え」の類は、人びとの日常の「 reality 」の「観察」が結果したものであって、その意味では、人びとは、日夜、期せずして「疫学的研究」を行っていた、と言えるかもしれません。それは、研究のための研究ではありません。日常の暮しのための日常的営為だったのです。そして、それこそが、現代の人びとが亡くしてしまった大事な「習慣」である、と私には思えます。
私たちは、はたして、次の代に、有用、有効な「言い伝え」「ことわざ」の類を、遺すことができるでしょうか?

「日本の建物づくりでは壁は自由な存在だった」というシリーズは、いわゆる「耐力壁」に相当する「壁」の存在しない建物、しかもそれでいて数百年天変地異に堪えてきた建物を集めてみたものです。
手元に「資料」がある事例の中でも、これだけあるのです。しかも、いずれも「耐震診断」を行なえば、「要耐震補強」になるものばかりです。
要は、長期にわたり健在であるという「歴史的事実」と、机上の「計算結果」、そのどちらを「真実」「真理」と見なすのか、という点について、scientific な判断が求められる、ということです。
何度も書いていますが、震災などの被災に際して、「被災事例の調査」のみが行われるのが常ですが、並行して「被災しなかった事例の調査」をも行うのが scientific な姿勢ではないか、と私は考えます(下記参照)。
   「地震への対し方-1・・・・震災調査報告書は事実を伝えたか」

私たちは、私たちが前代から引き継いできた「謂れのあるものごと」を、私たちの日常の観察を通じてあらためて確認しなおす作業を行い、さらに補足発展させ、次代へと引き継ぐ作業を行い続ける、それが私たちに課せられた義務である
、と私は考えます。
その時初めて、「伝統」:「前代までの当事者がしてきた事を後継者が自覚と誇りをもって受け継ぐ所のもの」:が、「伝統」として活きてくるのではないでしょうか。
そしてまた、「言い伝え」も途切れることなく伝承され、また新たな「言い伝え」も生まれる可能性があるのです。

言うまでもありませんが、「耐力壁理論」などが、「言い伝え」になってはならないのです。
そのような悪しき状況・事態を避けるには、私たちが、私たちの「感性」に信を置き、常日頃の暮しの営為のなかで「感じていること」を、ありのままに表出し続けること、おかしいことをおかしいと言い続けることだ、と私は考えています。
すなわち、私たちの「感性」で、諸現象を具に「観察」し、事態を「認識」し続け、知ったこと、思ったことを、互いに伝えあうことです。唯々諾々と長いものに巻かれていてはならないのです。“ buzzcomunication”こそが肝要なのです。 


民の力の結集を訴える文化の日の信濃毎日新聞社説を信毎web から転載させていただきます。[追記11月3日9.30]


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする