昨日、2009/8/16、第64回の終戦記念日には、新聞もテレビも多くの終戦関連記事を報じていた。
昨年も、この日の私の感想は
▲[2008/8/14] 終戦の日とメデイアの無見識
に書いた。
正確に比較したわけでないが、私の受けた感じとしては、今年の方がメデイアは、比較的真面目に多くの報告をしていたように思う。
戦争被害者の体験談などを克明に集め、昨年よりも、新聞は多くの紙面を割き、テレビは多くの時間を充てて、それを伝えたように感じた。
語り継ぐ体験を持つ人たちが減っていく中で、現役の人たちがそれなりに努力していることを、私は評価したい。
しかし、私の感想としては、やはり、
あの時代を体験していな人たちの限界、
を感じないわけにいかない。
★ ★ ★ ★ ★
悲惨な体験談話を、紙面・画面で体験者本人の口から聞く人たちは、
戦争とは憎むべきことであり、絶対にしてはならないことだと、感じ取るであろう。
しかし、聞いて分かった心算の人の理解、には限界がある。
その例として、今から20年以上も前の、某大新聞のコラムを思い出す。
コラム執筆者である父親が、息子に阿川 弘之の作品を読ませたところ、
本を返しに来た息子に、
[ひとつ分からないのは、往年の中学生が整列して、「軍人を志願する者は一歩前に」、と言われた時に、
本当は行きたくもないのに、何故一歩前に出たのか理解できない]
と言われて絶句した、という話である。
世代を越えての体験の伝達の難しさを、端的に表現したコラム、として、忘れられない。
★ ★ ★ ★ ★
昨日の新聞、テレビを見た多くの人々は、(そして、書いた人だって)
あの戦争は、負けるべくして負け、
そのあとは自然、必然の流れとして、平和な生活が出来、
戦後の経済的繁栄に潤う社会、が出来た
と、考えている、のではないかと思う。
実は1945/8/15に玉音放送が行われて後にも、なお戦争継続の動きがあった。
(昨日のテレビでも、当事者の懐古談に語られている)。
若しも、放送の前日に玉音録音盤が強奪されたり、当日の放送室での際どいタイミングでの対応が失敗したりしていたら、
1945/8/15の終戦は無かった、かもしれない。
そうなった場合、その後の日本の状況がどうなったか、は、
いろいろな憶測をする人が居るけれども、本当のところは分からない。
行かざりし道、なのである。
敢えて、現今のパレスチナやアフガニスタンなどの状況から想像するなら・・・
恐らく、狂信的な軍人が戦争を継続して、
1945年の秋に九州に原爆が一つ、翌年の春に関東に原爆が一つ投下されて、
日本人の過半数は死に、国土は占領され、ソ連、中国、朝鮮に分割統治されて、
それでも狂信的なゲリラ戦は継続して、21世紀の現在でも、
絶えず自爆テロが頻発している、のではないか。
その様にならずに、64年前に終戦することが出来て、
経済的繁栄に潤う社会が出来たのは、僥倖であったと思う。
その様に考えるのは、私が「一歩前に」を記憶している世代だからであろう。
★ ★ ★ ★ ★
戦勝国の米国でさえも、戦争を体験した世代の人間は原爆投下が必要であったと考えているのに対し、より若い世代では考えが違うという。
まして日本では、その時代を知り、歴史が最悪の進路を辿らなかったことを理解できる人も、
「原爆投下は仕方なかった」、と言っただけで厳しい社会的圧力に晒される環境の中で沈黙しているし、
現時点で現役社会人であるメデイア関係者にはその様な思考は皆無である。
恐らく、若い彼らは、1975年の昭和天皇の、
「原爆投下は、市民には気の毒だったが、やむを得なかった」、
の発言を知らないのであろう。
戦後間もなく、『風にそよぐ葦』を書いた石川達三は、
「葦をなぎ倒した風」、を軍部ではなく、大衆世論だ、と考えていた。
人間集団というものは、変わらないものである。
エノラ・ゲイ元乗組員が原爆投下についてのオバマ大統領の「道義的責任」発言を批判したことを、
大層非常識な発言をしているように、日本の新聞が伝えているのは、その表れである。
、然し、1945/8/15の終戦に失敗して、日本が
上記に私が推測したようになっていた場合、
其処で生まれたとしても尚、
そのメデイア人種は、昨日と同じ記事を書くであろうか。
8/15にメデイアが掘り下げて検討すべきであった問題は、
何故、1944、或いは1943年の時点で、
既に勝算は皆無だった戦争を、終結することが出来なかったのか、
ではないのか。
其処を掘り下げるのが、次の戦争を防ぐのに最も大切ではないのか。
★ ★ ★ ★ ★
今回のエントリーに関連する、今までに私が書いた記事を、下に集めて見た:
▲[A-81]:[2008/3/12] 戦争を知らないわが孫に(2)
▲[A-80]:[2008/3/10] 戦争を知らないわが孫に(1)
▲[A-79]:[2008/2/8] 日本民族の合理性と東条首相(4)
▲ [A-78]:[2008/2/7] 日本民族の合理性と東条首相(3)
▲[A-68]:[2007/11/5] 日本民族の合理性と東条首相(続)
▲ [A-67]:[2007/10/26] 日本民族の合理性と東条首相
▲[A-65]:[2007/09/28] 瀬島龍三「幾山河」
▲[A-62]:[2007/08/28] 終戦62年と柳澤恭雄氏の死
▲[A-55]:[2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(6)
▲[A-54]:[2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(5)
▲[A-53]:[2007/07/8] 久間事件・戦後を問い直す(4)
▲[A-52]:[2007/07/7] 久間事件・戦後を問い直す(3b)
▲[A-51]:[2007/07/6] 久間事件・戦後を問い直す(3a)
▲[A-50]:[2007/07/5] 久間事件・戦後を問い直す(2)
▲[A-49]:[2007/07/4] 久間事件・戦後を問い直す(1)
昨年も、この日の私の感想は
▲[2008/8/14] 終戦の日とメデイアの無見識
に書いた。
正確に比較したわけでないが、私の受けた感じとしては、今年の方がメデイアは、比較的真面目に多くの報告をしていたように思う。
戦争被害者の体験談などを克明に集め、昨年よりも、新聞は多くの紙面を割き、テレビは多くの時間を充てて、それを伝えたように感じた。
語り継ぐ体験を持つ人たちが減っていく中で、現役の人たちがそれなりに努力していることを、私は評価したい。
しかし、私の感想としては、やはり、
あの時代を体験していな人たちの限界、
を感じないわけにいかない。
★ ★ ★ ★ ★
悲惨な体験談話を、紙面・画面で体験者本人の口から聞く人たちは、
戦争とは憎むべきことであり、絶対にしてはならないことだと、感じ取るであろう。
しかし、聞いて分かった心算の人の理解、には限界がある。
その例として、今から20年以上も前の、某大新聞のコラムを思い出す。
コラム執筆者である父親が、息子に阿川 弘之の作品を読ませたところ、
本を返しに来た息子に、
[ひとつ分からないのは、往年の中学生が整列して、「軍人を志願する者は一歩前に」、と言われた時に、
本当は行きたくもないのに、何故一歩前に出たのか理解できない]
と言われて絶句した、という話である。
世代を越えての体験の伝達の難しさを、端的に表現したコラム、として、忘れられない。
★ ★ ★ ★ ★
昨日の新聞、テレビを見た多くの人々は、(そして、書いた人だって)
あの戦争は、負けるべくして負け、
そのあとは自然、必然の流れとして、平和な生活が出来、
戦後の経済的繁栄に潤う社会、が出来た
と、考えている、のではないかと思う。
実は1945/8/15に玉音放送が行われて後にも、なお戦争継続の動きがあった。
(昨日のテレビでも、当事者の懐古談に語られている)。
若しも、放送の前日に玉音録音盤が強奪されたり、当日の放送室での際どいタイミングでの対応が失敗したりしていたら、
1945/8/15の終戦は無かった、かもしれない。
そうなった場合、その後の日本の状況がどうなったか、は、
いろいろな憶測をする人が居るけれども、本当のところは分からない。
行かざりし道、なのである。
敢えて、現今のパレスチナやアフガニスタンなどの状況から想像するなら・・・
恐らく、狂信的な軍人が戦争を継続して、
1945年の秋に九州に原爆が一つ、翌年の春に関東に原爆が一つ投下されて、
日本人の過半数は死に、国土は占領され、ソ連、中国、朝鮮に分割統治されて、
それでも狂信的なゲリラ戦は継続して、21世紀の現在でも、
絶えず自爆テロが頻発している、のではないか。
その様にならずに、64年前に終戦することが出来て、
経済的繁栄に潤う社会が出来たのは、僥倖であったと思う。
その様に考えるのは、私が「一歩前に」を記憶している世代だからであろう。
★ ★ ★ ★ ★
戦勝国の米国でさえも、戦争を体験した世代の人間は原爆投下が必要であったと考えているのに対し、より若い世代では考えが違うという。
まして日本では、その時代を知り、歴史が最悪の進路を辿らなかったことを理解できる人も、
「原爆投下は仕方なかった」、と言っただけで厳しい社会的圧力に晒される環境の中で沈黙しているし、
現時点で現役社会人であるメデイア関係者にはその様な思考は皆無である。
恐らく、若い彼らは、1975年の昭和天皇の、
「原爆投下は、市民には気の毒だったが、やむを得なかった」、
の発言を知らないのであろう。
戦後間もなく、『風にそよぐ葦』を書いた石川達三は、
「葦をなぎ倒した風」、を軍部ではなく、大衆世論だ、と考えていた。
人間集団というものは、変わらないものである。
エノラ・ゲイ元乗組員が原爆投下についてのオバマ大統領の「道義的責任」発言を批判したことを、
大層非常識な発言をしているように、日本の新聞が伝えているのは、その表れである。
、然し、1945/8/15の終戦に失敗して、日本が
上記に私が推測したようになっていた場合、
其処で生まれたとしても尚、
そのメデイア人種は、昨日と同じ記事を書くであろうか。
8/15にメデイアが掘り下げて検討すべきであった問題は、
何故、1944、或いは1943年の時点で、
既に勝算は皆無だった戦争を、終結することが出来なかったのか、
ではないのか。
其処を掘り下げるのが、次の戦争を防ぐのに最も大切ではないのか。
★ ★ ★ ★ ★
今回のエントリーに関連する、今までに私が書いた記事を、下に集めて見た:
▲[A-81]:[2008/3/12] 戦争を知らないわが孫に(2)
▲[A-80]:[2008/3/10] 戦争を知らないわが孫に(1)
▲[A-79]:[2008/2/8] 日本民族の合理性と東条首相(4)
▲ [A-78]:[2008/2/7] 日本民族の合理性と東条首相(3)
▲[A-68]:[2007/11/5] 日本民族の合理性と東条首相(続)
▲ [A-67]:[2007/10/26] 日本民族の合理性と東条首相
▲[A-65]:[2007/09/28] 瀬島龍三「幾山河」
▲[A-62]:[2007/08/28] 終戦62年と柳澤恭雄氏の死
▲[A-55]:[2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(6)
▲[A-54]:[2007/07/14] 久間事件・戦後を問い直す(5)
▲[A-53]:[2007/07/8] 久間事件・戦後を問い直す(4)
▲[A-52]:[2007/07/7] 久間事件・戦後を問い直す(3b)
▲[A-51]:[2007/07/6] 久間事件・戦後を問い直す(3a)
▲[A-50]:[2007/07/5] 久間事件・戦後を問い直す(2)
▲[A-49]:[2007/07/4] 久間事件・戦後を問い直す(1)