二人のピアニストに思う

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小学唱歌の古典的意味

2013-05-19 17:52:55 | 歴史
言語というものが、時間(歴史)的 に、空間(地域)的 に、
             変化する
、のは常識である。  だが、
キャズ君らが、 ▲ 外国コトバの乱用:[C-309]
                  などに書いてることだが、
そのために、同時代の自国民同士の間で、自国語を用いてさえも、
          正確な意思疎通が困難になる場合がある、
   と改めて指摘されると、 些か意外の感に打たれる。
言語が、歴史的に、地域的に、変化するのは自然だが、
  人間の寿命くらいの時間で、または、普通の生活圏
    くらいの距離内では、あまり変わっては困るし、
  また事実、その様なことは無いのだと、私は思い込んでいた。

どうもその様でないことが多発して、それが話題になるように
   なったのは、比較的最近のことのように、 私は思っていた。
最近は交通手段や広域通信手段などが発達したお陰で、このようなこと
   (情報伝達の歪み)が意識されるようになったように思っていたが、
   そうではなくて、大分前からそれを意識する人が居たのを知った。
その様なことの起きないように、義務教育段階で国語教育が
   行なわれてきたのだが、その「手段である教育」自身さえも、
   昔から、中々難しかったのを知った。

言われてみれば当然のことのようにも感じるが、私は迂闊にも、
      身辺整理をしていて出てきた、旧い切抜き
   を見て、 そのことを初めて知った。
この件に関して、85/7/12に桶谷秀昭が書いた文章で、非常に面白い
   のだが、この印刷物はを何処から切抜いたのか分からない。
私自身も忘れていた文章なので、此処にメモとして残すことにし、
   同時にこれを見るチャンスの無かった人に紹介したい。
以下は、殆ど原文のままの孫引きである。

     ★ ★ ★ ★ ★

嘗ての小学唱歌は日本全国で共通に学習したので、全ての国民が知っていた。
その中に、「村の鍛冶屋」(大正元年につくられた)、 があった。
          その第二節は、以下のようである:
   あるじは名高き  いっこく老爺(おやじ)
   早起早寝の  病(やまい)知らず。
   鉄より堅しと  ほこれる腕に
   勝りて堅きは  彼がこころ。

昭和17年の国民学校では、歌詞の一部の字句が改められて、
          次のようになった。
   あるじは 名高 いっこく
   早起早寝の  病(やまい)知らず。
   鉄より堅と  じまんの
   打ち出す刃物に  心こもる


この改定の意図は、文語体を排して口語体で教える、というものだった。
改定された(傍線の)部分を比べてみると、
表現のめりはりで、口語体は文語体にはるかに及ばない。
口語体の方は、きわめて品下った説明口調でしかない。
文語体が、鍛冶屋が刃物を打つのは、腕で打つよりは魂で打つのだ、
       という思想を謳っているとしたら、
口語体の方は、腕自慢の打つ刃物には心は籠っている、
     と言っている。
これはもう、文体のみならず、思想が違うのだ。
もっと煮詰めていうなら、
心が技術を支えている(文語体)という思想と、
技術が心を支えている(口語体)という思想
     との違い、がある。

       ★ ★ ★ 
総力戦の最中の昭和17年にこの改定が行われたのは面白い。
戦時下の教育が精神主義一辺倒だったと現在言われているが、
   心よりも技術を優位に置く合理主義が強調されている、
   この改定が行われたのは、興味あることだ。
戦後の文部省唱歌はこの改定口語体歌詞を引き継ぎ、
   その後、それも時勢に合わないと捨てられたのだが、
   昭和17年の時点で変質が行われたのだ。
例えば、文語体歌詞は、幸田露伴の「一口剣」の世界に繋がっているが、
改定口語体の方は露伴文学の雰囲気から断ち切られてしまっている。
今日(注:1985年)の、青年の国語力の惨憺たる現状
   何に由来するか、という問題の一端をいっている。
       ★ ★ ★ 
過去の全てを現在の物差しで律し去って万事足れりという考え方が、
民間の教科書会社なりその関係者にあるとしたら、考え直す必要がある。
「煙たなびくとまや」、に生まれ育ったことを懐かしむ感性、
   の現実的基盤が失われているということなのだ。
感性の次元で「とまや」を分からせるのは難しいだろう。
しかし、かつての日本の漁民のくらしの歴史的知識として
     「とまや」を説明することは難しいことでない。
それを知っていることは、やがてある日、- - -。

     ★ ★ ★ ★ ★

以上が、85/7/12に桶谷秀昭が書いた文章の概略、である。
そして、毎度の通り、
   彼の大切な指摘は活かされることなく歴史に埋もれて、
   現在(2013)の惨憺たる教育状態が、21世紀に残された
のであった。

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