3月9日のNHKテレビで「証言記録:兵士たちの戦争」シリーズの中の「レイテ島(2/28放映分)」の再放送があった。
昭和19年11月1日から70日間の戦争で、日本兵士8万人が戦死、と言うよりも虐殺のような死に方を強いられたフィリッピン・レイテ島の戦争を描いたものである。
ことの発端は誤報である。
昭和19年10月19日の台湾沖航空戦で米海軍の大艦隊を日本の航空部隊が襲い、空母19隻など57隻の米国軍艦を轟撃沈したと大本営が発表した。
実際は米艦は一隻も沈んでいなかった。
何故、このような途方もない誤報が生じたのか。
その事情こそが、日本を無謀な戦争に突入させ、既に敗戦が決定的になっての後も戦争を継続させて数百万人の国民の生命を奪った根本原因であった
ことは、現在ではよく知られている。
前回の記事、▲日本民族の合理性と東条首相(3)
に紹介した、”東条英機暗殺の夏”(吉松安弘著)、という本に、
昭和19年6月2日から7月23日までの50日間の、国内上層部の動きが克明に綴られている通り、その時点で日本の敗戦は決定的になっていた。
さらにその数ヶ月後の、昭和19年10月19日の台湾沖航空戦で多数の米国軍艦を轟撃沈したとの大本営発表は、
・ ・ 私等のようなチンピラでも、当時、信じなかった。
それなのに、誤報を信じた大本営は好機到来と考えて、満州から陸軍第一師団13000人を11月1日にレイテ島に送り、兵士達は食料も武器も補給されぬままに、その97%が惨殺された。
その様子を生存者の証言で綴った番組を、視聴者の要望に応えて、NHKが再放送したものであった。
私等の世代の者は聞いた憶えのある話題が多かったが、私自身は知らなかった話が一つあった。
それは某大隊長が、余りに無謀な戦闘で部下が死んでいくのを救う目的で部隊の撤退を命じたため、自身が責任を取らされて処刑された話である。
同様な指揮官としては、インパール作戦で部下を全滅から救うために、自身は死刑を覚悟で撤退させた烈師団長・佐藤幸徳中将のことが知られている。
他にもこうした軍人は居たに違いない。
1945/8までは、日本にはこうした人間、
自分の生命を犠牲にして部下の生命を救おうとした上司、
が居た事を、
我々は語り継いでいかなければならない。
★ ★ ★ ★ ★
註:念のために、・・(3月10日に間に合わなかった)
私の記事に既に何度か書いているように、此処暫くは頂いたコメント、TBをの多くを削除させて頂いているが、その理由は前に書いた通りであるからご理解願えると思う。
この件でメールでご連絡を頂いたものに付いては大部分はご返信を差上げた心算である(御返事をせずに済ませているものは、書いても既に記事の中で書いたことの完全な繰り返しになると、私が判断した分です)。
私が心配なのは、送って戴いたTBが何故か私のブログに反映されないケースである。
私としては本当に有難く思えるものが当方のブログに入らずにいて、私はそれを知らず、送った方は私が削除したと受取る場合があり得る。
前回の記事:▲日本民族の合理性と東条首相(4)、のN氏の場合が将にその実例で、若しもN氏がコメントで連絡をして下さらなかったら、私は全く気が付かないで居た。
今回の記事の主要部分もN氏の場合と同様で私のブログに入らなかった情報であった。
3月10日に間に合うようにとのご配慮でご連絡頂いたのに、少しプライベートな事情で時間が取れなくて済みませんでした。
その様な危険はあるが、当面は現在の様なやり方を継続させていただく心算なので、来訪される方はご理解ください。
昭和19年11月1日から70日間の戦争で、日本兵士8万人が戦死、と言うよりも虐殺のような死に方を強いられたフィリッピン・レイテ島の戦争を描いたものである。
ことの発端は誤報である。
昭和19年10月19日の台湾沖航空戦で米海軍の大艦隊を日本の航空部隊が襲い、空母19隻など57隻の米国軍艦を轟撃沈したと大本営が発表した。
実際は米艦は一隻も沈んでいなかった。
何故、このような途方もない誤報が生じたのか。
その事情こそが、日本を無謀な戦争に突入させ、既に敗戦が決定的になっての後も戦争を継続させて数百万人の国民の生命を奪った根本原因であった
ことは、現在ではよく知られている。
前回の記事、▲日本民族の合理性と東条首相(3)
に紹介した、”東条英機暗殺の夏”(吉松安弘著)、という本に、
昭和19年6月2日から7月23日までの50日間の、国内上層部の動きが克明に綴られている通り、その時点で日本の敗戦は決定的になっていた。
さらにその数ヶ月後の、昭和19年10月19日の台湾沖航空戦で多数の米国軍艦を轟撃沈したとの大本営発表は、
・ ・ 私等のようなチンピラでも、当時、信じなかった。
それなのに、誤報を信じた大本営は好機到来と考えて、満州から陸軍第一師団13000人を11月1日にレイテ島に送り、兵士達は食料も武器も補給されぬままに、その97%が惨殺された。
その様子を生存者の証言で綴った番組を、視聴者の要望に応えて、NHKが再放送したものであった。
私等の世代の者は聞いた憶えのある話題が多かったが、私自身は知らなかった話が一つあった。
それは某大隊長が、余りに無謀な戦闘で部下が死んでいくのを救う目的で部隊の撤退を命じたため、自身が責任を取らされて処刑された話である。
同様な指揮官としては、インパール作戦で部下を全滅から救うために、自身は死刑を覚悟で撤退させた烈師団長・佐藤幸徳中将のことが知られている。
他にもこうした軍人は居たに違いない。
1945/8までは、日本にはこうした人間、
自分の生命を犠牲にして部下の生命を救おうとした上司、
が居た事を、
我々は語り継いでいかなければならない。
★ ★ ★ ★ ★
註:念のために、・・(3月10日に間に合わなかった)
私の記事に既に何度か書いているように、此処暫くは頂いたコメント、TBをの多くを削除させて頂いているが、その理由は前に書いた通りであるからご理解願えると思う。
この件でメールでご連絡を頂いたものに付いては大部分はご返信を差上げた心算である(御返事をせずに済ませているものは、書いても既に記事の中で書いたことの完全な繰り返しになると、私が判断した分です)。
私が心配なのは、送って戴いたTBが何故か私のブログに反映されないケースである。
私としては本当に有難く思えるものが当方のブログに入らずにいて、私はそれを知らず、送った方は私が削除したと受取る場合があり得る。
前回の記事:▲日本民族の合理性と東条首相(4)、のN氏の場合が将にその実例で、若しもN氏がコメントで連絡をして下さらなかったら、私は全く気が付かないで居た。
今回の記事の主要部分もN氏の場合と同様で私のブログに入らなかった情報であった。
3月10日に間に合うようにとのご配慮でご連絡頂いたのに、少しプライベートな事情で時間が取れなくて済みませんでした。
その様な危険はあるが、当面は現在の様なやり方を継続させていただく心算なので、来訪される方はご理解ください。
それも、ビルマ方面軍(軍団長川辺中将)に属する第15軍(軍団長牟田口中将)。その軍団に属する第15師団・祭(師団長山内中将)、第31師団・烈(師団長佐藤中将)、第33師団・弓(師団長柳田中将)の各師団の決定的損耗は戦史上特筆すべきものという。
高木俊郎著「インパール」、同著「抗命(烈師団長発狂す)」、同著「全滅(戦車支隊の最後)」等に詳しい。これらの戦記は牟田口中将の売名行為が無謀な作戦を展開し、大本営もそれに乗った点では同罪とも言える。何れも高木俊郎のインパール作戦を指揮した無能な指揮官牟田口による犯罪的作戦であった事を指摘する。
そう言えば、文芸春秋(平成19年11月号)によれば帝国海軍の無能ぶりも暴露されている。
なお阿川弘之の「大人の品格」には東条英機の頭脳程度に就いても書かれている。
要はこんな無能な指導者が一国の指導的立場に立ったことが何百万の犠牲者を出した悲劇に繋がったと言える。
部下の師団長たちを全員懲罰してまで、自分の売名を遂げようとする牟田口のような人間がいるとは恐ろしい事だと思います。
こう書いてあるのを見て、東京大空襲の日と理解するのは70歳以上の人であり、ブログを見るのは70歳以下が殆どです。 此処に取り上げられているような話題を若い人に語り継ぐ最後の世代の人達は、もう少しくどく、分かり易く書いたほうが良いでしょう。