本シリーズ第一回の記事:▲日本民族の合理性と東条首相、に東条の戦争指導の様子を表す話を紹介した。
これに付いて1/26に、痩せ蛙さんからコメントを頂き、
”東条英機暗殺の夏”(吉松安弘著、新潮文庫)という本があること。
その中の、例えば昭和19年6月3日(43頁)の項に、同様な話があり、東条が、その様な考え方をする人物だったと分る、と教えて頂いた。
その本は、昭和59年2月に新潮社から刊行された作品を、平成元年7月に文庫に収められたもので、可也旧いものなのに、私は知らなかった。
痩せ蛙さんに教えられて読んでみると、日本の敗戦は決定的になっていた、昭和19年6月2日から7月23日までの50日間の、国内上層部の動きが克明に綴られている。
兎角、戦争に関した書籍には、著者の主張に沿った事だけを取り上げたり、不確実な情報を書いたり、ということが目立つものだが、この本は実によく資料を吟味して、確実な事実の積み上げで書かれていることが分る。
あの時代を生き、それに継続して、その後の世間や関係者の動きを見てきた人間として、全て納得の行く事が書かれている。
この本を読んでみると、私の記事で紹介した「気球の話」などは、東条の口からごく自然に出る言葉であり、特別な事ではないのが分る。
日本は裸の王様に指導されて無茶な戦争を継続していたのだ。
文庫本とは言え680頁の、この本を読んで、特に印象深く思った3箇所とその感想を、此処に紹介する。
★ ★ ★
① 東条の心情の真髄は、昭和19年6月23日(232頁)の節にある文章であろう。:
『御信任のある自分の考えは、たとえそれが天皇の意向と反しようが、やはり天皇の意向と反してはいないのである。
何故ならば、自分に天皇の信任があるのだから・・・』
この心情が天皇をも威嚇し、行動を制約していたことは、良く知られているとおり、戦後になって、天皇御自身の言葉で語られたので、間違いない。
私が凄いなあ、と思うのは、私の田舎でも当時、口コミで囁かれた情報で、「東条が天皇に向かって、国民は天皇よりも私を信頼しています、と言ったそうだ」、と伝えられていたこと。
私自身は半信半疑であったが、本書を読んで改めて、「人の口に戸は立てられない」怖さを思うのである。
★ ★ ★
② は昭和19年7月11日(415頁)にある文章。:
『開戦以来、「科学は日本精神を汚す」という議論がのさばり、流れ作業の大量生産方式でさえ、そんな外国式は間違いだ、とされるほどだった。
ところが、戦況が悪くなってくると、それは新兵器を発明できない科学者の責任、と言われるようになった』、
と書いてある。
これが、前の私の記事で紹介したような、東条の言葉となるのであった。
戦後日本でも、自動車・電機などの物作り産業が経済発展を齎したが、その戦士たちは左程良く処遇されず、経済的処遇は官僚・金融等の人に回された。
その結果、現在学校では出来のよい人材は理工系に行かなくなった。
最近になって理系に人材を、との声が聞かれるが、歴史は繰り返すものだ、と思う。
★ ★ ★
③ 次は、昭和19年7月16日(513-9頁)にある、三笠宮の裏切り事件である。
全く勝ち味のない、無意味な戦争継続を止めて兵員、民間人の被害をこれ以上生じないように和平交渉に入るべく、重臣や一部の軍人達が動いた時に、東条に睨まれて犠牲者が出たことは知られている。
吉田茂は獄に繋がれたし、後に東海大学を設立した松前重義は一兵卒として死地に送られた。
陸軍の暴走を抑えるべく動いていたグループの一員であった、三笠宮が皇太后に叱られて仲間を裏切ったことは、私も以前から知っていた。
私の郷里で小坂家は名門で、善之助(第一回衆議院議員)、その子・順造、武雄、孫・善太郎、徳三郎、と続く名前は全国でも知られ処である。
順造が吉田茂と親しかった事もあるかもしれないが、三笠宮の裏切りでこの一族にも犠牲者が出たので、我々は忘れないのである。
現在のアマ・社交ダンスの世界で三笠宮杯が重きを成しているのは、同好者ならば皆が知っている。
以前にも一寸書いたことが有るが、私もある理由で、三笠宮杯争奪競技会の会場で、二階の三笠宮の席の、隣の隣の席に着席させて貰ったことがある。
当然といえば当然ながら、宮からお言葉を戴く事は無かったが、こちらからもご挨拶らしい御挨拶はしないままに、その日を終わった。
この一件が頭にあるからであった。
終戦後遥かに時間が経ってから、三笠宮がこの被害者に侘びを申し述べた事は知っているが、
矢張り、東条の独裁国家であったあの時代を過ごしてきた人間としては、こだわりは残る。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
本シリーズ第一回の記事:▲日本民族の合理性と東条首相、に東条の戦争指導の様子を表す話を紹介した。:要約すると、こうなる。
東条首相は帝国学士院で講演をし:
「米国に空から爆弾を落すには、日本の空に向けて気球を揚げて、其処で半日間静止させて置けば、地球が回転して気球は米国の上空に来る。
そこで爆弾を落せば、良いではないか。 その様なことを考えもしないで、最初から無理だ、と言うから日本の学者は駄目なのだ」
、と言った。
これに付いて、1/26に、痩せ蛙さんからコメントを頂いたのだった。
これに付いて1/26に、痩せ蛙さんからコメントを頂き、
”東条英機暗殺の夏”(吉松安弘著、新潮文庫)という本があること。
その中の、例えば昭和19年6月3日(43頁)の項に、同様な話があり、東条が、その様な考え方をする人物だったと分る、と教えて頂いた。
その本は、昭和59年2月に新潮社から刊行された作品を、平成元年7月に文庫に収められたもので、可也旧いものなのに、私は知らなかった。
痩せ蛙さんに教えられて読んでみると、日本の敗戦は決定的になっていた、昭和19年6月2日から7月23日までの50日間の、国内上層部の動きが克明に綴られている。
兎角、戦争に関した書籍には、著者の主張に沿った事だけを取り上げたり、不確実な情報を書いたり、ということが目立つものだが、この本は実によく資料を吟味して、確実な事実の積み上げで書かれていることが分る。
あの時代を生き、それに継続して、その後の世間や関係者の動きを見てきた人間として、全て納得の行く事が書かれている。
この本を読んでみると、私の記事で紹介した「気球の話」などは、東条の口からごく自然に出る言葉であり、特別な事ではないのが分る。
日本は裸の王様に指導されて無茶な戦争を継続していたのだ。
文庫本とは言え680頁の、この本を読んで、特に印象深く思った3箇所とその感想を、此処に紹介する。
★ ★ ★
① 東条の心情の真髄は、昭和19年6月23日(232頁)の節にある文章であろう。:
『御信任のある自分の考えは、たとえそれが天皇の意向と反しようが、やはり天皇の意向と反してはいないのである。
何故ならば、自分に天皇の信任があるのだから・・・』
この心情が天皇をも威嚇し、行動を制約していたことは、良く知られているとおり、戦後になって、天皇御自身の言葉で語られたので、間違いない。
私が凄いなあ、と思うのは、私の田舎でも当時、口コミで囁かれた情報で、「東条が天皇に向かって、国民は天皇よりも私を信頼しています、と言ったそうだ」、と伝えられていたこと。
私自身は半信半疑であったが、本書を読んで改めて、「人の口に戸は立てられない」怖さを思うのである。
★ ★ ★
② は昭和19年7月11日(415頁)にある文章。:
『開戦以来、「科学は日本精神を汚す」という議論がのさばり、流れ作業の大量生産方式でさえ、そんな外国式は間違いだ、とされるほどだった。
ところが、戦況が悪くなってくると、それは新兵器を発明できない科学者の責任、と言われるようになった』、
と書いてある。
これが、前の私の記事で紹介したような、東条の言葉となるのであった。
戦後日本でも、自動車・電機などの物作り産業が経済発展を齎したが、その戦士たちは左程良く処遇されず、経済的処遇は官僚・金融等の人に回された。
その結果、現在学校では出来のよい人材は理工系に行かなくなった。
最近になって理系に人材を、との声が聞かれるが、歴史は繰り返すものだ、と思う。
★ ★ ★
③ 次は、昭和19年7月16日(513-9頁)にある、三笠宮の裏切り事件である。
全く勝ち味のない、無意味な戦争継続を止めて兵員、民間人の被害をこれ以上生じないように和平交渉に入るべく、重臣や一部の軍人達が動いた時に、東条に睨まれて犠牲者が出たことは知られている。
吉田茂は獄に繋がれたし、後に東海大学を設立した松前重義は一兵卒として死地に送られた。
陸軍の暴走を抑えるべく動いていたグループの一員であった、三笠宮が皇太后に叱られて仲間を裏切ったことは、私も以前から知っていた。
私の郷里で小坂家は名門で、善之助(第一回衆議院議員)、その子・順造、武雄、孫・善太郎、徳三郎、と続く名前は全国でも知られ処である。
順造が吉田茂と親しかった事もあるかもしれないが、三笠宮の裏切りでこの一族にも犠牲者が出たので、我々は忘れないのである。
現在のアマ・社交ダンスの世界で三笠宮杯が重きを成しているのは、同好者ならば皆が知っている。
以前にも一寸書いたことが有るが、私もある理由で、三笠宮杯争奪競技会の会場で、二階の三笠宮の席の、隣の隣の席に着席させて貰ったことがある。
当然といえば当然ながら、宮からお言葉を戴く事は無かったが、こちらからもご挨拶らしい御挨拶はしないままに、その日を終わった。
この一件が頭にあるからであった。
終戦後遥かに時間が経ってから、三笠宮がこの被害者に侘びを申し述べた事は知っているが、
矢張り、東条の独裁国家であったあの時代を過ごしてきた人間としては、こだわりは残る。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
本シリーズ第一回の記事:▲日本民族の合理性と東条首相、に東条の戦争指導の様子を表す話を紹介した。:要約すると、こうなる。
東条首相は帝国学士院で講演をし:
「米国に空から爆弾を落すには、日本の空に向けて気球を揚げて、其処で半日間静止させて置けば、地球が回転して気球は米国の上空に来る。
そこで爆弾を落せば、良いではないか。 その様なことを考えもしないで、最初から無理だ、と言うから日本の学者は駄目なのだ」
、と言った。
これに付いて、1/26に、痩せ蛙さんからコメントを頂いたのだった。