虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

よく似ている

2024年04月27日 | Weblog
ペルーでの生活で注意するべき話は、たくさんあるが、

なかでも政治と宗教の話で、この二つは「言い合い」になるだけで、

分かり合えることはない、という結論は、はなから決まっている。


日本語には、というか、日本にはレリジョンという概念は存在しないから、

結局レリジョンに、「宗教」という言葉を翻訳で使ったわけだが、そのせいで、仏教も一神教も、ヒンズー教も、

新興のキリスト教系も仏教系も、なんでもあり教系も、

宗教という言葉で表現してしまうことになった。

これは一種の不幸で、まるで違うものを一つの言葉でくくるのは誤解を招くことになる。


指摘されることの一つに、生まれたら神社、結婚はキリスト教式、亡くなったら仏教にお世話になるのが日本だといわれるが、

こういったことも、宗教とひとくくりにしたことの表れだろうと素人なりに考えている。


ある人から、キリストの死を考える集まりがあるからと、誘われたので、参加した。

壇上で話す人は、まだ若い人だったが、口調は穏やかで、言い聞かせるような、共感するような話し方だったが、

一種、背筋が寒くなる感覚があった。

普段とは、普通とは違った雰囲気だった。

そう、いって見れば、昔、行ったことのあるおかまバーのお姐さんがしゃべる話し方と同じだった。



共産主義は信じないし、一神教も信じないのは、理由は至極簡単で、

いままで、一番人を殺してきたからで、

当たりは慈愛に満ち、言葉は穏やかだが、

その裏側が、よく似ているからだ。


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