虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

今年もありがとう

2009年12月31日 | Weblog

振り返れば、

何回も何回も同じ間違いを繰り返してきて、

やっと、順序、ということの大切さを知る歳になってきました。

順序を違えると、あまりいいことには繋がりませんし、また悲しみや辛さも倍以上になってしまうことも分かってきました。

「これでいいのかな、ホントにこれでいいのかな」

と、自分に問いつつ前に進んで生きたいと願っています。

 

おいでいただいた方々、コメントを頂く方々、今年もありがとうございました。

来年も、よろしくお願い申し上げます。

どうぞ良いお年を!!!!

 

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晦日

2009年12月30日 | Weblog

ペルーにおけるクスコは観光の中心的存在だが、一度行けばもう行きたいとは思わない。

好きな人には、たまらない魅力があるだろうが、

古いものに興味がない人には、遺跡があるだけの話で終わってしまう。

3度クスコとマチュピチュを訪れたことがあるが、教会と遺跡ばかり、しかも3度とも高山病にやられて、つまらなかった。

スペインに旅行したときも、やたら教会巡りで、絵画以外は退屈の一言だった。

そういえば、中南米を征服した当時のスペインは宣教師をつかって、ペルーを征服した。スペイン人は、ペルー人に何をしたんだろうか。

ペルーを自国と同じように発展させるための教育だとか政治だとか、当時の英知を伝えたんだろうか。

結局は、大量の金を横取りしただけのことではないのか。

いまだにペルーや中南米には読み書きのできない人々がいる。それをスペインの責任とはいえないかもしれないが、

スペイン、アメリカ、イギリスなど当時の列強が、植民地化した国で栄えている国はなさそうだし、識字率は低いし、貧富の差も激しい。

 

ペルーにドロボーが多い理由を、友人の日系人が、

「だいたい、ペルーに来たのはスペインのドロボー集団だから、しょうがない」

と、冗談交じりで教えてくれたが、案外事実なのかもしれない。

 

30年以上もまえ、ビバリーヒルズにある世界の高級店をめぐったことがある。

0が二つも違うようなものばかりで、

手も足も出ず、ハンバーガーを食べて帰ってきたが、高級店を散歩するというか、ベビーカーを押している金髪の白人女性と出会った。僕の方を見て、ニコっと笑みをくれた。それが、滅茶苦茶美しくて、しばし見とれてしまったことがあった。そのとき、気後れしてしまって、一種劣等感にさいなまれた。

自分より、いいものを着て、いいものを身につけ、優雅に、しかも背も高く、美しく、とくれば、高級フランス料理を、何本もフォークやナイフが並んで、わけの分からないコップや皿がセットされているレストランで、食事しているようなものだ。

落ち着かない。

 

この逆の話だったかもしれない。

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コイユリティ神

2009年12月29日 | Weblog

よく訪問するブログに、ペルーのコイユリティについて書かれてあった。

これについては、まったく知らなかったので、ペルーでガイドをしている友人に訊ねてみた。

ガイドの友人も知らなくて、詳しく調べてくれた。それによると、

 

コイユリティのスペルはQoyllur Rit'i。神様の名前。Quyllur Rit'i とは星又は雪の輝きという意味である。Quechua 語の専門家によると、アンデス文明が起源ではあるが、この謎めいた名前からキリスト教徒の影響の大きさが伺われるらしい。

20年位前まではクスコ地方で全体的に行われていた農民達の謙虚なお祭りであったが、

今日ではそれぞれの村落から1~2グループのダンサーを結成して、荒涼とした標高4,600mの谷間で行われる。そこが奇跡が現れた聖地とされている。

富士山より1000mも、まだ高い。

このお祭り(Fiesta)は日時は定められてはおらず、通常は5月末か6月の前半に行われ、日曜日から次の火曜日までの間とされている。
場所はMawayani 村のSinakara 谷である。


何千人というダンサーや何百というグループが谷間の斜面を日中から夜間にかけて踊りまわったり、花火をあげたりで谷間全体が激しい騒音と煙で包まれ、大地が揺らぐようである。


その谷間に行き着くには国道から歩くか馬で8Km 進まなければならない。夜間は非常に寒く、日中は高地の太陽光線の強さで、難儀する。ところが、多くの人々が参集する。

それは、Qoyllur Rit'i 神は偉大であり、沢山の人々の願いが叶うとされているからだ。願いは極めて世俗的で、欲しいもの、必要なもの、良い結婚相手とのめぐり合い、病気治癒などだ。

万年雪の雪解け水は病気を治す力があるとされ、治癒できると希望をもった沢山の人々がやって来る。


ダンサーのグループは 聖地にやってくる人々を誘導する。

Qoyllr RiT'i はクスコのお祭りの中ではお酒を飲まない珍しいお祭りであり、酔っ払いは嫌われ、酔っぱらいを管理して罰をあたえる人達はダンサーの中で毛糸で編んだマスクと獣毛のマントを付けてアンデスの熊を表わし、Ukukus 又は Pablos と呼ばれている。

雪解け水は聖なる薬とされており、夜明けの寒さに耐えながら下で待っている人たちにその氷を手渡すという義務がある。

しかしながら昨今の温暖化の影響か、氷河が減少して、氷の持ち出しもそれも禁止されてしまうらしい。

 

かなり大きなお祭りだが、初めて知った。

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掃除をする

2009年12月27日 | Weblog

子供のころと、いまでは時間の経ち方が違う。

物理的には、おなじでも感覚的にまったく違うのは、なぜだろうか。

困ったことや、悩んだことも、今思えば屁みたいなことばかりで、

世の中に、自分と家族の健康以外に、それほど大事なものがあるとは、思えない。

 

今日は、普段やらない場所を清掃しよう。

それなりの格好で清掃すれば、お正月も迎えられるだろう。

 

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幻想

2009年12月26日 | Weblog

子供のころ、ホームレスを、聞いたことはあるが、見たことがなかった。昔は乞食といったが、ホームレスと同じように仕事がなかった、というより働くことをしなかった。もっとも、人前に出てくることもなかったが。すくなくとも、集団はなかった。

あのころに比べると、文明は格段に進歩し、食べ物も豊かになった。

子供のころ、バナナは、滅多に見なかったし、食べることなどまずなかった。

一度だけ、浜松市の繁華街に出たとき、果物屋のおばさんから、黒くなったバナナをもらったことがある。

よほど、欲しそうに眺めていたのだろう。

 

文明が進んで、衣食住が豊かになって、高学歴の人々が増えて、しかも、いろいろな宗教や教えが世の中に出て、それにもかかわらず、

いまは、ホームレスが珍しくなくなった。自身の人生哲学でなっている人も、いるかもしれないが、意に反して、しかたなくという人が大半であろう。

珍しくない、どころかホームレスがいるのが当然の時代になってしまったかもしれない。

こうなると、危険な臭いがする。

 

文明が進んでも、衣食住が豊かになっても、高学歴の人々が増えても、しかも、いろいろな宗教や教えが世の中に出ても、

みんなが、安心、安定、安全に暮らすことはできない、

これを知る。

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美味しいものは少しだけ

2009年12月25日 | Weblog

アンティクーチョという、ペルーやボリビアで食されている串焼きがある。

基本的には牛の心臓を特別なソースに漬け込んで、炭火で焼く。

日本人には喜ばれそうな味だ。

心臓を一口大に切って、にんにく、酢、唐辛子(アヒー)、コミーノ(クミンか?)そのほかの香辛料を混ぜてつくったタレに漬け込んで、それを炭火で焼く。

焼く臭いが食欲をそそる。

ペルーではかなりの人気をほこる。もちろん専門店も多数ある。

ところが大量の香辛料をつかうため、食べた後がちょっときつい。

リマ市の国立競技場の近くに、アンティクーチョ屋が軒を連ねている。それぞれのお店には独特の味付けがあって、どこも盛況だ。

友人に連れられて、何度か食べに行った。

最初は、美味しかったので、たくさん食べてしまったが、

二度目からは、美味しいものは少しだけ、を心がけた。

 

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心にしまいこむテーマ

2009年12月24日 | Weblog

昨夜のテレビ番組は面白かった。

幽霊からUFO、超能力を取り扱った。

おもしろ、おかしくするのが番組だろうから、それぞれの専門家のコメントはどうでもいいが、

写るはずのない人物が映ったり、そこにいるはずのない人が、気味悪く出てくる。本物だとか、出所をナレーションしていないので、よく分からないが、

おかなかった。

自分の頭で説明できないことに、人間は不安を感じたり、恐れを持ったり、パニックに陥る。

そこをどうしても説明しようとするのが人間だ。

今は、心霊研究家とか胡散臭い霊の見える人に頼るしかないが、

もうそろそろ科学者がでてきてもよさそうな気がする。

 

UFOも、面白かった。

月に行った宇宙飛行士の一人が、

「宇宙人は地球に来ているし、UFOも存在する」

と断言していた。

自分も、UFOはあるだろうと、思う。

 

肯定派には、いわゆる学問の専門家がいないので、

自分の頭で理解できないことを、なんとか説明しようとするが、

自分で分かっていないから、説明はどうしても素人っぽくなるし、普通使用しない言葉をつかう。

これは、もう最初からとんでもないハンディーになる。

かくして、多くの場合は、「ああ、そうですか、あははは」で終わってしまう。

 

一つくらい、真面目に、科学的な知識で、

視聴者が写した不可解な映像を説明して欲しいなと思う。

が、これは無理だろうなと思っている。

ひそかに信じていても、当分は、大きな声では言えないテーマなのか、

それとも、密かに心にしまいこんでおくものなのかもしれない。

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うきうきする天気

2009年12月23日 | Weblog

風は少なく、太陽は輝いて、いい天気。

光が朝から差し込んで、部屋がとても暖かい。

気分もうきうきしてくる。

こんな日は、やはり外出だ。遠くに出かけるわけじゃないので、その辺りをぶらぶらしてみよう。

平和な日本だ。

いつまで続くかわからないが、その間を素直に楽しもう。

生まれ先を選べないので、生まれついた先で、努力に関係なく人生が決まってしまう国もある。気の毒だと思う以外に、なにもできない。

同じ地球なのに、同じ人間なのに、わずかにテレビを通して知るだけだが、一方では、摩訶不思議な気がする。

 

日記@BlogRanking     クリスマス飾りつけ完成

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におい

2009年12月22日 | Weblog

ペルーの山岳地帯に住む人々は、身体を洗うという習慣がない。

シャワーを浴びなくても、空気が乾燥しているせいか、別に臭くはない。

ところが、リマに下りてくると、途端に異様な臭いを発するようになる。

この臭いは、比べるものがないので、説明しようがないが、

慣れない人には、吐き気をもよおす強烈なものだ。

 

ペルー人の出稼ぎ労働者が、日本のお祭りや、旅行の際にドライブインに立ち寄ると、異様な臭いで吐き気を覚えるという。

それは、イカ焼きだそうだ。

多くの日本人はイカの焼ける臭いに、食欲を感じるが、

多くのペルー人は、そう感じない。

 

臭いには、不思議な感じがある。

子供のころ、よその家に行くと、その家独特の臭いがあった。

自分の臭いは分からないが、他の臭いには敏感だ。

「他の臭い」には、臭い以外に、様々な文化、習慣まで含まれてしまう。

イヤ、逆で、文化習慣は臭いを包含する。

日記@BlogRanking       サンタクロースのイラスト 

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好きなもの

2009年12月21日 | Weblog

他人が好きなものは、それが、食べ物であれ、趣味であれ、あるいはまた思想であれ理解できないので、大切にする気持ちが必要なんだろうけど、

なかなか難しい。

友人ならば、理解できないものを好きでも、友人を大切にすればいいわけだが、

他人となると、

先に、何で?、と考えてしまう。

それらしい説明を受けても、理解はできない。

 

友人に、若いときから自動車レースに出ていたセサルという同い年のペルー人がいる。

とにかく、お金もあったので、日産の車に凝って、日産車を買って、やたら市中を飛ばしていた。運転技術もかなりあった。

今でも、日産の車しか乗らない。

レースにもよく参加していた。もちろん公認のレースだ。

死と隣り合わせのだから、親、兄弟はみんな心配で、やめさせようとしていたが、最後はあきらめていた。

 

今、彼の息子がレースに夢中だ。

「おい、あまり、飛ばすなよ」

と、心配そうに息子に注意していた。

 日記@BlogRanking     プレゼントのイラスト

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厄介

2009年12月20日 | Weblog

ペルーの国は、インディオとスペイン系の混血をチョロと、時に侮蔑をこめてこう呼ぶ。普通はメスティーソと言う。

侮蔑といっても、それほどきついものではなく、時に可愛さを併せ持つ。

ペルーだけではなく、ボリビアなどでもチョロと言う。

男性がチョロで女性はチョラ。

侮蔑というのは、社会的地位が低い、田舎もの、教育程度が低い、あるいはよりインディオに近い姿かたち、などの意味合いだ。

フジモリが大統領選挙で、トレドと争ったときは、「チョロとチーノの戦い」とマスコミでは称された。

普通にマスコミにものる言葉でもある。

チーノとは中南米で、東洋人全体を、時に侮蔑的に呼ぶ言葉だ。 

ペルーでは、いまでも、平気でこの両者の言葉を日常的に使用する。

 

スペイン語には、相手を罵倒する言葉に、多くの種類がある。

スペイン語だけではなく、フランス語、ポルトガル語、イタリア語の兄弟語にも同じようにある。

それぞれの言葉には、ランクがあって、これを言ったら殴り合いの大喧嘩、どころか刺されてしまうこともある、という激しいものから、普通に使う軽いものまで多種多様だ。

この言い方に慣れないときは、言われても実感がないので、腹も立たないが、その環境の中では、かなりきついだろうと思う。

以前、ジダン選手が頭突きをくらわして、サッカーをやめてしまったが、

あのとき言われた言葉が、これだ。

事情を理解できるひとは、よく頭突きだけで収めたと、思ったことだろう。

 

日本語には、それほど種類はないが、

「バカ」と言っても、言い方、トーンで判別する。これで、愛情から軽蔑まで表現してしまう。

こちらのほうが、実は、厄介だ。

ジダンが聞いた言葉には、軽蔑、侮蔑以外はなにも表現できないから、

明確に理解できる。

これに当たる、誰もがつかう日本語は存在しないが、

そのかわり、心の中で、軽蔑する。

厄介だ。

日記@BlogRanking     ベルと飾り

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アルパカのコート

2009年12月19日 | Weblog

どこに生きようが、人間の営みはそれほど変わるわけもなく、 悩みや問題も同じようなものだ。

ペルーは貧富の差が激しい。

金持ちは、とんでもなく金持ちだ。とはいえ、フェラーリーを10台も持っているとか、世界に別荘を20も30も持っている人は人は知らないが、

晩御飯を飛行機に乗って、マイアミまで食べに行こう、という程度の金持ちなら知っている。

大半の貧しい層は、とんでもなく貧しい。電気も水道もない。藁で作った掘っ立て小屋程度の家に住んでいる。

 

友人に、テーラーがいる。カルロスという。彼は、昔、飛行機に乗ってマイアミまで晩御飯を食べに行ったほどの金持ちだった。

それをカジノで、何年もかけて全てを失った。

残ったのは、豪邸だけだ。

 

彼にアルパカのコートをつくってもらった。

アルパカは暖かい。一度着用すると手放せない。300ドル程度だった。

ビクーニャでも作らないか、という。原価でいい、とも言う。原価でいくらだと訊くと、1万ドル。

原価でも手が出ないので、あきらめた

せめてビクーニャのマフラー程度ならと、店を覗くと、500ドルもする。

当然、分不相応と、あきらめた。

カルロスは、昔のとんでもない金持ちだったころを懐かしむことがない。

アルパカのコートを作って生計を立てている。男性用、女性用どちらでもある。

儲けたお金は、またカジノで浪費する。

来年、ペルーに行ったら、またアルパカのコートを、カルロスに頼もう。 

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大掃除

2009年12月18日 | Weblog

大掃除って、いつ頃から習慣化したんだろうか。

習慣というか、文化というか、伝統というか、なんと表現したらいいのだろうか。

以前にも書いた覚えがあるが、

習慣、伝統、文化は時間の長さで決まるのではないか。

それぞれの定義はなんだろうか。

 

窓ガラスを今日は担当して、磨いた。というか、水のモップで思い切り窓を濡らして、ワイパーで拭く。布などより簡単で、しかも綺麗になる。

簡単で綺麗にはなるが、なんとなく大掃除という観念から遠いような気がしてしまうのは、おかしい。

すぐ終わったので、階段にある金属製の滑り止めを、金属磨きで光沢を出した。

これは、しかし、光沢は一瞬で、一週間もすれば、光沢は消えてしまう。

それでも、綺麗にしたい、という思いはなんだろうか、と思う。

光沢を出すのは、きりがない。いつまでもやっている。これには、なんとなく、

「ああ、大掃除」

だと感じた。

おかしいから、一人で笑ってしまった。 

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結論は決まっている

2009年12月18日 | Weblog

クリスマスをお祝いしないキリスト教徒もいると、聞いたことがある。

門外漢には、理由は分からない。

何度か、キリスト教を勧められたことがある。カトリックなのか、プロテスタントなのか、あるいは他の主張をしている宗派なのか分からない。

腰が低くて、丁寧で、口調も優しかった。

「キリスト教は膚に合わないイメージがなので・・・」

と、丁寧にお断りした。

「またお邪魔してもいいですか?」

といわれた。物腰が優しかったので、

「もちろん、いつでも」

と、応えた。

それ以降、3~4度訪問してくれて、しばらく話し合ったことがあった。

話は社会の問題や、心の問題など、僕には手の焼ける高尚な話題だった。

話をすると、当たり前だが、ごく普通の人と同じだった。

いつでも、腰は低く、言葉は丁寧で、優しかった。

他人に優しい、というか、相手を認めるというか、むやみに否定したりしない態度は、人間社会には、一番必要な気がする。

それでも、言葉では動かないことを知った。

 

政治の世界は、相当な精神力の強さが必要だ、とテレビをみていても分かる。

経験したことはないので、実感はないが、長妻大臣の顔が変わってしまったように感じる。昔のようなハツラツとした、元気な雰囲気から、焦燥感を溜め込んでいるような感じだ。

それほど苦悩、苦渋の選択を毎日しているのだろう。

閣僚の一言は重い。

一言に対する反対派やマスコミ、世論の反応は、中途半端ではない。

自分にはできない。

反論されれば、また反論と際限なく続く。罵詈雑言の類も出てくる。素人なら、すぐ殴り合いの喧嘩になりそうだ。

 

ただ、議論して、よりよい結論を、という姿勢ではなく、

すでに最初から結論は決まっているから、

政治家の議論は「手続き」になる、ことだけは分かる。

一般の社会生活でも、ほぼ同じで、議論から何かいいものが生まれることは、ほとんどないだろう。議論しても、はなからお互い結論は決まっている。

 

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静かなる侵略

2009年12月17日 | Weblog

かつてないほど、日本には外国の人々が生活している。

ブラジルやアメリカは人種の坩堝と形容されるが、今後は混血がどんどん進んで、日本も早晩そうなるだろう。

 

世界の歴史は、お互いに侵略に明け暮れていた。

その記憶が人々には残っている。記憶は、生活に多大な影響を及ぼす。

弥生人が縄文人を侵略したであろうと、考えられているが、

おそらく日本人だけが、侵略の被害の記憶が残っていない人種だろうと思う。

これが多分日本人特殊論の根拠の一つになりうるだろう。

 

侵略は、相手国の女性を犯すか、混血を進めなければ、侵略はできない。

武力で打ち負かせても、そのままでは、とても侵略などとはいえない。憎しみしか残らない。

南米をみれば一目瞭然だ。

ブラジルで、ポルトガルを憎悪しているブラジル人は、おそらくいないだろう。

ペルーやパラグアイ、チリやアルゼンチンで、いまどき、スペインを怨んでいる人に会ったことがない。

 

カリフォルニアは、あと数十年でスペイン語圏になってしまう、と言われている。

静かなる侵略だ。

少子化日本を侵略するのに、武力は要らない。

移住し、日本人との結婚をすれば、合法的にできる。

ましてや選挙権を認めれば、ますます早いだろう。

それが、時代の流れなら、仕方ないことなのかもしれないが、失うものも多いだろう。

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