虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

恐怖の国

2017年02月25日 | Weblog

失いたくない文化や習慣、国民性がある。

男系で継承されている天皇も同じで、大切な伝統だろうと思う。

現代的な考え方を当てはめるには、慎重になるべきだと思う。

 

文明や文化、よき習慣や味わい深い伝統などは、積み重ねの上に成立するもので、長い時間がかかる。


文明は少し概念が違うが、これらに共通した条件は「時間の経過」で、その長さによる。

人々に受け入れられないものは廃れ、いいものだけが次代に伝えられていく。

最初は、誰かがはじめてのだろうか、それが流行になるのだろう。これまでに生まれた流行は数知れず、今日まで生き残って、文化になり、伝統になり、習慣になる。

ミニスカートが、高校生のころに流行した。

もう、半世紀も前の出来事で、お菓子のポッキーのような足に、短いスカートをはいたツイギーが有名だった。

これは廃れることなく、今日までしぶとく残っている。

短いスカートは、習慣の範疇に入るだろうと思う。

 

北朝鮮による日本人拉致事件は、憲法9条が、一つの原因だろうと指摘する識者がいる。

一方、そんなことはないと否定する識者、議員もいる。

素人はどちらだろうかなと思うが、

何をしても、日本は外国に武力を行使できないとなれば、「安心」して、なんでもやるだろうと想像する。

憲法9条は拉致の原因ではないとする意見の理由を聞きたいが、それを述べている人がいない。


それにしても、同胞を次々殺害するって、恐ろしい国が存在する。

またこれを擁護する考えの人もいるってのが、さらに恐ろしいと思う。

恐怖の国、北朝鮮。

ほんの少し前、この国を賛美したマスコミがあった。

 

 

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禍根を残す

2017年02月22日 | Weblog

沖縄の新聞二紙は、かなりヒドイということを動画知ったが、

沖縄の人々は、これまでも、これからもそれを読むんだろうか。

新聞とは名ばかりで、どこかセクトの機関紙のようだ、という。

新聞は、読まなくとも、別に困らないが、単に一種、習慣なのだろうと思うが、

沖縄県人はどう思っているんだろうか。

 

韓国の反日憎悪教育、韓民族優越教育のヒドサは、動画でもかなり指摘されているが、

これを何十年も続けていれば、狂ってしまうのも無理からぬことで、日本との冷静な話し合いなど成立しない。

朴大統領が、韓国5000年歴史の優越性や、1000年変わらない憎悪発言は、これをよく表している。

そこには羞恥心などかけらもない。

一種の拷問が韓国では行われている、そう思う。

 

ペルーに日本人が移住したのはもう100年以上も前で、過酷な苦労をしたという。

ブラジルより10年も早い。

ペルー人から、日本人の評価を聞くと、正直、勤勉、まじめ、よく働く、信用できる、などをあげる。

何万人もいれば犯罪者だっているだろうに、そう評価を受けるまでは、それなりの積み重ねが要る。

ペルーは大部分がカトリックで日曜日には休む。お店をしない。

ところが、カトリックとはいえ、日本人は休まない。休まなければ、周囲の人には便利だ。

政情が安定していれば、それでも、いいが、ペルー人の店からは非難を受ける。

もちろん、このごろは全く違って、日曜日でもどこでもお店はやっているが、当時は、まだ牛肉は月の半分しか販売してはいけない貧しい国の時代だった。

 

ペルーは、貧富の差が激しい。公務員は給料が安い。

先生、警察官、労働者がストをうつ。デモを行う。

デモになれば、大衆は店を襲う。

襲う相手は日系の店が多かったという。

この頃はないが、それでも、ストでは、かなり暴力的だ。

つい最近の反トランプ大統領デモでも店を破壊している。

現代の、先進国アメリカでも、デモ隊は、まるで関係のない店を破壊する。

 

現代でも、日本人に対する評価は変わっていないが、一つ条件が付いている。

仲良くしているペルー人いる。

日本にも来ている。大きな畑をもっている。今は引退しているが、先日訪問した時、自家製のワインをいただいた。

彼に、同じ質問をした。

「日本人は、本当に正直、勤勉、嘘をつかない」

などと、歯の浮くようなことを言ったが、

「ただし、日本から日本人だ」

そう言った。

 

放置は将来に禍根を残す。

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頭と経験は違うよ

2017年02月18日 | Weblog

死刑制度に賛成とか、反対とか、自分の身に起こらなければ、なんとも言えないが、

それぞれの状況に差がありすぎて、かなり難しい。

 

あいつ嫌いだから、自分の地位を脅かすとか、おかしなことを主張しているとか、利用価値がなくなったとか、

こんな理由でやっちまえ、なんていう国が存在するのは、

なんとかならないかと思う。

 

金正男が暗殺されたらしい。

報道では、詳細は不明だが、ご本人は殺されると思っていたというから、注意はしていたのだろうが、

そうそう四六時中緊張ばかりはしていられない。

いつかは隙は生まれる。

どこの誰がどんな理由で、いまどき暗殺だなんて、と思う。

 

昔、ペルーで生活していたころ、強盗にあった。

両替所、米ドルを現地通貨にかえるところだが、同じ場所をつかっていた。

一度におおくはかえない。

200ドル程度だ。

両替所は、かなり頑丈にできていて、日本のパチンコ屋の隣あるあんな大きな窓などはない。

確認して出ようとすると、他の客が入ってきた。

ピストルをもっている。

おかしなもので、ピストルとはわかっているが、自分が狙われたなどとは思わず、そのまま帰ろうとすると、

無言で押し返され、そのときはじめて、ああ、こいつら強盗だなと理解した。

それだけ、状況判断がボケボケだったと、思い知らされた。

頭で理解することと、実際に分かることとでは、天地の開き、まるで異なる事象だと、あらためて思った。

そうなれば、相手の顔を見ず、壁に向かって両手をあげて、好きにさせる。

お金より、車をとられることを心配したが、幸い、というか、車を奪うことはしなかった。


当時のペルーは、ドロボー天国で、警察はドロボーと組んでその上前を撥ねる。

それだけ治安が悪かったし、貧富の差や、経済状況がヒドイ状態だった。

抵抗しなければ、殺されることはなかったし、暴力を受けることもなかった。

まず、殺してからゆっくり奪うやりかたは、いってみればアメリカ型で、残酷だが、

ペルーの強盗は、当時はまだ情けというか、おとなしかった。


戦後の復興は、奇跡だろうと思う。

太古の昔から積み上げてきた日本の伝統や文化、精神性は、自分たちが思ってる以上に、

外国の人々には驚異だろうと思う。

安心安全もその一つで、

安心安全は、だれもが望むものだと思うが、現代では、そうではない人々もいる。

ひたすら日本が混乱、困る、苦しむことを目的としていると、考えざるを得ない政党がある。

気が付いたときに、手遅れ。

そうならないように、できることをしなくちゃと思う。

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桜が咲いている

2017年02月15日 | Weblog

仕事しているマンションのごみ置き場の前にある桜が咲いている。

満開だ。

観光客が眺めて、写真に撮っている。

いい光景だ。

 

この頃の左翼知識人やコメンテーター、民進党の発言や行動には首をかしげる。

以前は、好感のもてる主張もあったと思うが、最近は、論理すら言わなくなった。

実態が白日化してきたのか、余裕がなくなってきたのか、あるいは国民がおいそれと、簡単には信じてくれなくなったのか、

焦っているような印象がある。

あるいは在日の反日、というか日本を批判する主張には、気の毒させ覚える。

思想の柔軟性は、言葉では大事だが、それまでの言動を考慮すれば、おいそれと

「はい、いままでの思想を棄てました」

などとは簡単には言えないだろう、とは思う。

ニュース女子の問題は、騒がなければ、それで終わったものを、わざわざ自分たちの恥部というか、負の部分を知らしめているような気がする。

 

日本の左翼思想家は、どういった国家を理想としているのだろうか。

共産党は、未来の絵を描いて示してくれないから、全く不明だし、

民進党だって、何をどうするって具体案を言わないし、国会質問はどうでもいいことだけに終始している。

共産党は、マルクス主義を棄てたのか、明言していない。


大学の教授、というだけでその主張には一種の権威や正確さを信じたものだが、

もうそれすらなくなった。

頭の中では知ってはいたが、

勉学と人間性、知識の量と、知識はなくとも知恵との違い、それらを、実感のレベルで感じてしまう。

 

観光客であっても、自分が毎日生活する範囲に、電車で大声出したり、前を歩いている人がタンを無造作に吐いたり、

たまたま行ったレストランで、難癖をつけたり、同じ生活区域でゴミの出し方を守らなかったり、

そんな人がいたら、憂鬱になる。

昔、ロスに駐在していた友人がいたが、彼によると、

普通のアメリカ人は、ルールを守らない移民に対して、

「そこに住んでも、何も言わないが、どうか我々の生活範囲には入ってこないでくれ」

こんな感じで眺めている、と聞いたことがある。

つまり、生活習慣が異なり、「鬱陶しい」ことこの上ないが、無言の抵抗というか、何か言えば、やたら差別だと叫ばれることに辟易していたという。

移民や不法滞在が一つの地域でどの程度を占めれば、彼らの言い分が力となり、鬱陶しくなるのか、その割合が分からないが、

知っている人は、よくわかっているだろうと思う。


昔の日本人は糞尿の売買をしていたという。

それで、街中が汚染されることはなかったという。

肥やしにするって知恵だが、日々の生活の中で、情緒を無意識に求める日本人の精神文化でもあったろうと思う。

世の中には、先進国であっても、ほんの少し以前の時代であっても、糞尿を街中に捨てていた国もあったという。

イギリスやフランスでもそうだと聞いた。

朝鮮半島の街中の糞尿まみれの話は、動画で知った。

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情緒

2017年02月11日 | Weblog

食べ物の好みは、それぞれ。

このラーメンはうまいと感じる人、いやあっちのほうが好きだという人だっている。

うまいことを説明しようがない。

カレーはどのように盛り付けても、情緒がない。

素人でも、一流ホテルでもたいした違いがない。

情緒について深く考察した本があるかもしれないが、

日本人の情緒って、意外と世界には役に立つかもしれない。

 

日本人は、おおかた、すべてとは言わないが、清潔な場所を好む。

道路にゴミは少ないほうがいいし、食べ物は衛生管理が行き届いたものを欲する。

他人に不快感を与えるより、好感を持たれるほうがいいと考えている人が多いだろう。

お店の店員さんは、不愛想より丁寧なほうがお客だっていいだろうし、

お客だからと横柄な態度はまずいだろうと、おおくの日本人が思ってるだろう。

こういったことは、世界共通で、当たり前だと思いがちだが、どうも違うような気がする。

 

外交は、難しい。

人類みな兄弟、って本当なら、もともと国内で争いなど起こらないだろうし、

人権を大切にする社会なら、母国を棄てることもないだろうし、

つまるところ、他国の政情不安を、別の国が引き受けるという単純な図式になる。


人権意識を高め、貧富に格差をなくし、文明を積み上げてよりよい社会を築き上げていく、これができれば、問題などは発生しても国内で処理できるだろうに、

世界はそうはならない。

それができている国は、少数だろう。

世界の金持ち8人の財産は、36億人に匹敵するという報道がされたが、資本主義社会では当然の結果なのか、あるいは歪みなのか、わからないが、

それで、人権が大事だとか、争いはいけないだとか、難民は受け入れないだとか、それは通らない理屈のように思える。

 

執拗に追いかける、執拗にこだわるってことは、時に、大切な精神だと思うが、

日本にある水に流す精神も、時に大事なような気がする。

これのお陰でどれだけ人生が豊かになるか、

知らないことは、一種の不幸だろう。

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市場原理

2017年02月05日 | Weblog

絵画を描いているブログを時々訪れる。

この方の絵画は、なにかこっちに迫ってくるので、面白いというか、奇妙な感覚になる。

有名ではないだろうと思う。

絵画は、結局市場原理というか、なにか権威のようなものが作者にないと、世に出ることはないだろう。

多くは、だれか売る人がいて、初めて成立するんだろう。

ド素人の僕では何も価値はないが、

この方の作品のように、世の中には、とんでもない芸術作品が埋もれているんだろうなと思う。

 

芸術って、人の心に伝わってくるのが早い。

言葉は、通じないことが多いが、芸術は何かしらこっちに向かってくる。

これは、しかし、見る側も精神や心を開いているからだろうと思う。

これが言葉だと、一方通行が多い。つまり、言葉は役に立っていないことになる。

 

在日韓国人や朝鮮人は、日本に長い間生活しながら、一部なのか大部分なのかわからないけれど、

その主張では、事態はよくならないと思うことが多い。

あの大学の先生の話でも、何を言っているのか、いいたいのかわからないことがあるが、

それでは、無駄な議論だし、主張だけして、それで終わりになる。

今までは、それでも通じたし、日本も応じている。

お金だってたくさん出しているし、謝罪だってしている。

今はもう今までのやり方では、通じないだろうと思う。

河野談話の河野さんだとか、蓮舫さんだとか、昔の舛添さんだとかが政権をとっていれば、

何を要求しても通るだろうが、

今は無理筋だろう。

 

芸術は双方が、作者と鑑賞者が、心を開いているから、通じるのだろう。

誤解はあっても、そこには悪意は存在しない。

鑑賞者が、頓珍漢な解釈をすることだって、分不相応な理解をすることだってあるだろうが、

それが問題になることはないだろう。

 

民進党って、存在感がまるでない。

頭脳明晰な議員がたくさんいるだろうに、質問している発想は、つまるところ、嫉妬心に帰結する。

だから、なにをいっても、こっちに響かない。


不思議なのは、それほど多くはないが、なんであんな人が当選してくんだと思う。

実に不思議な現象だ。

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