下山事件パート3、文献1〜3による事件のまとめ(証言、証拠に基づく推理)

2023-03-23 20:01:41 | 日記

敬称は略

GHQG2(諜報部、CIC)-その下の特務機関(旧日本軍人による組織)は、反共の目的で、下山を殺して、れき殺に見せかけ、これを国鉄労組左派急進派=共産党の仕業にして、共産党にダメージを与えようとした。同時に替え玉を使って、自殺にもみせかけた。その理由は、GHQ高官に内緒の謀殺計画であったし、G2の仕業とばれたとき、当時敵対していたGHQCS(民政局)による非難をかわすためだった。1)2)下山事件の首謀者はアジア産業(三越のそばにあった)社長のYであった。著者の祖父がYと関わっていた。3)

1949.6/1
下山が国鉄総裁に就任
GHQは反共対策と、経済合理化政策(ドッジライン1949.3)のために、国鉄職員の10万人解雇を日本に求めた。だが下山はそのGHQの真意(反共対策としての労組の共産党員、左派急進分子の追放)を知らず、人員整理はあくまでも経済的なものと思って、労組に同情的に、労組の立場に立って解雇名簿を検討していた。そのため下山は、国鉄労組内のことに精通した情報提供者Xと日本橋で頻繁に接触し、労組内の情報収集していた。

7/2
昼、銀座の韓国本部に李という男が現れ、下山殺害計画がなされようとしていると話した。

7/3
0AM、GHQG2の交通担当シャグノンが下山邸に来て激怒し、7/5前に解雇通告しろと言ってきた。1次解雇通知リストにシャグノンの要求した人物が入っていなかったことに憤慨した。

7/4
1PM、下山はXと合おうとしていたのではないか。1)
3PM3万人の解雇名簿発表

6pmには日本橋白木屋近くで40分間姿を消している(Xと合おうとしていたのではないか)2)

7/5
下山は、9:30AM頃に三越で、情報をもらうためにXと合う約束をしていた。

推理:ところがXと会えず、Xの代理人という人たちに、近くにXがいるからそこに行きましょうなどといわれて、日本ナンバーの車に乗り込み、某所でアメリカナンバーの車に乗り換えさせられ、殺害現場まで誘拐された。1)

証言:
元CIA支部勤務 宮下英二郎氏の証言:
下山を三越へ呼び出し、誘拐したのは占領軍G2の姫路CIC2世将校グループで、この連中に下山を引き合せたのは元関東軍情報将校Kだった。Kは満州に行って関東軍情報部員で終戦を迎えた人。CICに出入りする一方、国鉄整理では下山への情報提供を吉田首相秘書の村井(初代内閣調査室長)から頼まれていたともいう。

元読売新聞記者鎗水徹氏の証言:
下山を乗せた車は米軍車(第8軍情報部軍属のスタントン所有の黒のナッシュ47年型)であった。HOら国鉄労組急進分子らは情報屋として下山と会っていた。GHQに利用されて下山誘拐の片棒を担がされた。2)

11:20AM下山は三越地下で3〜4人連れと目撃され、車に乗せられ、11:30AM頃、国会議事堂近くで、後の佐藤首相の秘書の大津氏に目撃されている。この後、米軍キャンプで乗り換え、殺害現場に到着した。この途中で、上着、ワイシャツ、ネクタイ、眼鏡、靴を脱がせられ、それらを替え玉が身につけ、1:45PMから五反野付近を歩き回り、人々に目撃されるようにして自殺シナリオを作った。9:00PMに生きている下山を乗せたアメリカ車が、死体発見現場近くの工場勤務者に、目撃されている。検死による死亡推定時刻9:30PM頃に、腋窩の動脈損傷で失血死させられた。この後死体発見現場まで運ばれ、レール上に置かれ、7/6、0:19死体発見現場通過の列車(869列車(8分遅れで田端駅を出た。また前照灯が暗かった。死体発見現場通過は2分遅れた。意図的に照明を落とし、田端出発を遅らせたのだが、予想より早く轢断地点に来たので、上着、ワイシャツ、靴を着ける時間がなかったらしい。それで上着、ワイシャツは死体にかぶせるだけ、靴は別個にレール上に置かれた。)に轢断させた。殺害場所について、警視庁2課、検察の捜査では、下山の衣類に付着していたヌカ油、染料の両方を扱う場所として、足立区、荒川区、墨田区、北区の荒川沿いの工場に絞られた。ところがこのとき、GHQG2の圧力がかかって、2課の課長が異動させられ、翌年3月には5名を残し2課の刑事が異動させられ、これ以上の捜査ができなくなった。

ちなみに、実際の7/5の下山の予定は
10AMから人員整理問題の会議
11AMGHQに報告
であった。

1)日本の黒い霧、松本清張著
2)謀殺、下山事件、矢田喜美雄著
3)下山事件 最後の証言、柴田哲孝著

 

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下山事件についてパート2

2023-03-16 18:56:39 | 日記

下山氏の死は次のいずれかと考えられた。
①自殺
他殺
②死体発見現場でれき殺された。
③別の場所で殺害され、死体を死体発見現場に運び、レールの上に置いて轢断させた。

GHQG2(諜報部)は反共、共産党へのダメージを狙い、国鉄労組左派=共産党による②を装った。(同時に、謀殺がG2によるものとばれたときに、当時敵対していたGS(民政局)からの非難をかわすために①も装った。(と松本氏は推理している))

ところが検死所見が「死後轢断」であったので、①、②は否定された。また死体発見現場の所見も次のように、③を示唆する所見であった。

1.衣類(特に下着、靴下)に、植物油(ヌカ油)、染料色素など、死体発見現場にないものが大量に付着していた。
2,死体発見現場にネクタイ、眼鏡がなかった。上着、ワイシャツは別に運ばれ、死体に被されたようであった(ネクタイ、眼鏡、上着は替え玉が着けた)。1)
3.「(靴下は油でべっとり濡れているのに、靴の内側には油がついていなかった)1)ことは、死体発見現場では死体は靴をはいていなかった証明になるようだ。死体が靴をはいていないのに、靴が車輪にひかれてこわれたということは、左右の靴は何者かの手で2本のレール上に別々におかれたことを意味するものと考えられてよい。」2)
4.死体発見場所の上手にルミノール反応で血痕が多数見つかった。1)2)

検死所見やルミノールによる血痕検出は、専門家でない謀殺者にとっては予想外のことだったかもしれないが、これだけ綿密な謀殺計画を実行した側にすると、1〜3はあまりにも、うかつな失敗だったのではないか。特に1は殺害現場を特定する重要な手がかりとなる証拠なだけに、なぜ新しい下着に替えなかったのか大いに疑問である。また参考文献もこのこと(油、染料の着いた下着をそのままにしておいた理由)については全く述べられていない。

 

1)日本の黒い霧、松本清張著
2)謀殺、下山事件、矢田喜美雄著

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帯広市から功労賞を頂きました

2023-03-14 15:50:25 | 日記

開院して15年となり、この度帯広市から功労賞を頂きました。今後も帯広市民、十勝の皆様の命と健康を守るために精進して参ります。

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下山事件について

2023-03-07 20:10:12 | 日記

左翼史を勉強中に「下山事件」がでてきて、たまたま読売オンラインでも下山事件に関する連載記事が掲載され興味深く読んでいた。以前からGHQによる謀殺といわれていた事件であるが、状況から明らかに自殺は考えられない。なぜなら単純に、自殺をしようという人が朝食をしっかり食べて、昼食の弁当を持って出勤し、途中で運転手を待たせて失踪することはないだろう。解雇に思い悩んで失踪するなら、1回目の解雇通知(7/4.3PM)をする前に人知れず失踪するだろう。松本清張氏の「日本の黒い霧」を読んで、なるほど鋭い推理だと思ったし、すべてのつじつまが合う(ように推理したから当然だが)し、おそらくこの推理通りの事件だったのだろう。ただ推理はあくまでも推理であって立証はできていない(というか立証できるような状況でなかった)。GHQ占領下の当時の日本で、GHQ内の捜索はできなかったろうし(実際に他殺説をとった捜査2課と検察の捜査は打ち切られた)、仮に捜査できて立証できてもGHQの関係者を逮捕できるわけがない。
謀殺者GHQG2は、下山氏が国鉄労組=共産党員によって轢き殺されたことにして、共産党など左派勢力にダメージを与えようとした。だが自殺のようにもみせかようとした(替え玉を轢死体発見現場付近をうろちょろさせた。)のはなぜか。その理由は、もしGHQG2の仕業とばれたときに、G2と対立していたGHQGSからの非難をかわすためであった。実際のところは、警視庁捜査1課は自殺と断定した。捜査課と検察は、他殺の線で(それも共産党、労組でなく、GHQを疑い始めた)捜査し始めたので、慌てて圧力をかけて捜査を中止させた。そして警察は自殺と公式発表しなかったし、GHQも自殺との公式発表をさせなかった。なぜなら、GHQG2としては「自殺」と世間に発表されると、GHQG2の本来の目的である労組、共産党による他殺が否定されてしまうので、「公式には(自殺、他殺かは)未断定のまま、他殺の匂いを残し、日共、もしくは過激な国鉄労組員がやったのではないか、という疑惑をいつまでも一般世間の印象に揺曳させるために発表させなかったのではないか」、また警察としては、(東大法医による死後轢断の発表、警察内部で自、他殺説で分かれたこともあり)自殺と発表するのはためらわれたが、「何とか結論めいたものを出さねばならないので、ここでいわゆる「下山白書(自殺説)」による非公式の発表となったものと思える。」と著者(松本清張氏)は推測する。
すっかり下山事件にとりつかれた僕は今、映画「日本の熱い日々、謀殺下山事件」と、この映画のソースである同名の矢田喜美雄氏の著作を見て、読んでいるところです。(3/12でルミノール反応の所まで来ました。)さらに2005に発刊された「下山事件、最後の証人」
柴田哲孝氏著(本著では事件に関わったある会社についての証言を得たとある。おそらくGHQG2が旧軍人に作らせた特務機関が装った会社のことだろう。)も読む予定です。

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