下山事件についてパート2

2023-03-16 18:56:39 | 日記

下山氏の死は次のいずれかと考えられた。
①自殺
他殺
②死体発見現場でれき殺された。
③別の場所で殺害され、死体を死体発見現場に運び、レールの上に置いて轢断させた。

GHQG2(諜報部)は反共、共産党へのダメージを狙い、国鉄労組左派=共産党による②を装った。(同時に、謀殺がG2によるものとばれたときに、当時敵対していたGS(民政局)からの非難をかわすために①も装った。(と松本氏は推理している))

ところが検死所見が「死後轢断」であったので、①、②は否定された。また死体発見現場の所見も次のように、③を示唆する所見であった。

1.衣類(特に下着、靴下)に、植物油(ヌカ油)、染料色素など、死体発見現場にないものが大量に付着していた。
2,死体発見現場にネクタイ、眼鏡がなかった。上着、ワイシャツは別に運ばれ、死体に被されたようであった(ネクタイ、眼鏡、上着は替え玉が着けた)。1)
3.「(靴下は油でべっとり濡れているのに、靴の内側には油がついていなかった)1)ことは、死体発見現場では死体は靴をはいていなかった証明になるようだ。死体が靴をはいていないのに、靴が車輪にひかれてこわれたということは、左右の靴は何者かの手で2本のレール上に別々におかれたことを意味するものと考えられてよい。」2)
4.死体発見場所の上手にルミノール反応で血痕が多数見つかった。1)2)

検死所見やルミノールによる血痕検出は、専門家でない謀殺者にとっては予想外のことだったかもしれないが、これだけ綿密な謀殺計画を実行した側にすると、1〜3はあまりにも、うかつな失敗だったのではないか。特に1は殺害現場を特定する重要な手がかりとなる証拠なだけに、なぜ新しい下着に替えなかったのか大いに疑問である。また参考文献もこのこと(油、染料の着いた下着をそのままにしておいた理由)については全く述べられていない。

 

1)日本の黒い霧、松本清張著
2)謀殺、下山事件、矢田喜美雄著

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