桜が満開です。

2022-04-25 16:10:00 | 日記
クリニック前の公園の桜が満開です。




例年よりちょっと早いです。今週末からGWで10連休です。今年はコロナ自粛の鬱憤ばらしで、観光地でどっと人出が増えるでしょう。しかし私は休みません。この連休で総合内科専門医試験の集中勉強をします。2回も延期された試験、今年こそは実施してほしいです。
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共産・志位委員長、主権侵害あれば「自衛隊使い命と主権守る」…自民「今までと180度違う」

2022-04-12 15:05:00 | 日記

読売オンラインから

自民党の小野寺五典・元防衛相は「共産党は自衛隊に対して厳しいことを主張してきた。今までと言っていることが全然違う。憲法違反と言いながら、180度違った評価だ」と指摘した。公明党からも「参院選対策ではないか。『自衛隊を持つべきではない』と言っているのにおかしい」(ベテラン)と疑問の声が出た。


共産党は今回の発言について、安全保障法案のときには集団的自衛権に猛然と反対したので、「個別的自衛権は存在している」などと逃げている。


「なぜ左翼は社会を変えられなかったのか」の著者池田氏はこう書いている

「人間に自然権として自衛権があるように、国家にも自衛権があるのは当然で、個別的か集団的かと言う区別はない。これが合わないなら憲法改正するのが当然だ」


また、共産党は従来、護憲の立場で、自衛隊は違憲であると主張し、憲法改正に反対してきた。また池田氏の著書から引用するが

「立憲主義とは憲法の条文を守ることではない。立憲主義の本質は「国のかたち」にある。

立憲主義は国のかたちを守る手段であり目的でない。守るべきは国民の生命財産なのであり憲法がそれにそぐわないのであれば改正することが立憲主義である。」


また前に書いたブログを再掲します。

ウクライナ情勢に関連して、日米同盟の抑止力について、本当に日本を救うのかと懸念している国民が増えているとあった。だが数年前の日米同盟の強化のための集団的自衛権の行使を決めた安全保障法案に対して反対したのはリベラルの人たちだったのではないか。リベラルの人たちは戦争反対というが、そんなの当たり前なんです。そうした主張する人たちは平和ボケしている。日本が平和でいられるのはただなんとなく平和でいられるわけじゃない。平和はただ唱えるだけじゃ実現しないんです。日本が中国や北朝鮮の攻撃を受けないのは日米同盟があるからなんです。


要するに、憲法9条を

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、自衛のための武力行使を行う。

② 前項の目的を達するため日本国は自衛隊という戦力を持つ。


と改正するべきである。




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リベラルの人達の主張する、原発ゼロに異議あり。

2022-04-03 15:21:00 | 日記

私は以前からずっと疑問に思っていたことがあるんだけど、福島第一原発の事故について、人災であって、電力会社側は一切の弁解をせず、全面的に謝罪をしている状況についてである。だがどう考えてもあの原発事故は基本的に天災である。なぜなら単純な話だが大震災が起きなければ原発事故は起きなかったからである。あの日あのような地震が起きてあのようなケタ外れの大津波が押し寄せてくることを想定した人は誰1人としていなかったのであるあのような想定外の津波(=不可抗力)の被害に対しての対応としては、あれが限界だったのではないか。

大川小学校の件も同じだと思う。ある掲示板で、なぜ裏山に避難しなかったのかと言う話が出ていた。だがそれは結果論なのであって、我々はあの想像を絶する(まさに想定外の)津波を見ているから裏山に逃げると言う発想が生まれるのであって、小学校の先生たちは災害時のマニュアルに則って校庭のグラウンドで待機していたのだと思う。大川小学校は内陸に4キロの地点にあるのである。小学校の先生たちは津波警報はもちろん聞いていたんだろうけど、4キロ内陸まで津波が川を遡上し、さらに堤防を乗り越えて3階建ての小学校を水没させるような津波がやってくるとは夢にも思ってなかったに違いない。それで大川小学校の件に関する裁判も学校の責任を認める判決となった。この大震災に関連しておきた被害の責任を施設の管理者(幼稚園や老人保健施設に対しても同じような裁判があった)に追求するのは酷だと思う。

また原発事故以降、リベラルの人たちを中心(メディアでは朝日新聞が中心になって)に、原発ゼロをヒステリックに訴えるようになった。だがたった一度原発事故が起きただけで、炭酸ガス排出のない、優等エネルギー源を放棄するのは人類にとって賢いことだろうか。原発を再稼働させないで、節電して暑さや寒さに耐え忍ぶのが賢いことだろうかとずっと思っていたところで、池田信夫氏著の「戦後リベラルの終焉」を読んだ。科学的根拠のない原発、放射能の恐怖を誇張して国民の不安をあおったのはメディア(主として朝日新聞)なのだ。池田氏はいろんなデータを詳細に上げて科学的根拠のある説明をしている。詳細は著書を読んでいただけると分かるのだが、


「福島から遠く離れた東京都町田市においてお子さんがよく鼻血を出すようになったと言う事例を挙げ、原発事故が原因ではないかと言う記事を連載した。放射線の大量被曝で骨髄抑制が起きて血小板が減少し鼻血が出ると言う事はあるが、福島から遠く離れた東京都町田市において起こり得ない。」


「汚染水は人体に害を及ぼさない」


「福島第一原発事故による死者は、長期避難によるいわゆる震災関連死であって、大量放射線被曝による急性期の死者は皆無であった。」


「原発事故の確率が300年に1度とし、過去最大の原発事故であるチェルノブイリ事故程度の事故が起こると推定すると、この事故で60人が死んだから、死者の期待値は年間0.2人である。その一方で毎年交通事故で5000人近くの人が死んでおり、喫煙関連疾患で毎年13万人近くの人が死んでいる。」


OECDなどの国際機関は一致して「キロワット時当たりのリスクが最大の電源は石炭火力だ」と結論している。石炭のリスクは原子力の七〇倍以上である。」


OECDの調査で石炭火力の直接被害で、毎年世界で数万人が死んでいる。WHOの調査によれば大気汚染による死者のうち100万人以上が石炭によるものと推定されている。チェルノブイリ事故の死者は国連の報告書によれば60人、WHOによる最大の被害推定でも4000人である。この事故が原子力の歴史50年の中で最大の事故であり、50年で4000人と言う事は年間80人である。年間100万人以上死ぬ石炭とどちらが人類にとって脅威だろうか。しかも石炭火力は地球温暖化による気候変動というもっと大きなリスクをもたらす。そろそろ原発事故の恐怖から目を覚ましバランスのとれた環境政策を考える時だろう。


技術はすべて「反自然」であり、それを100パーセントコントロールすることは可能でも必要でもない。明らかなのは、人間の生活が技術によって安全かつ快適になったということだ。必要なのは科学を拒否することではなく、それをコントロールできるように改良することである。


全く同感である。


原発、放射能の恐怖をあおってるのは朝日新聞、左翼思想者たちだと言うことだ。本著の第6章進化的文化人の劣化で、「(福島原発事故が起きたとき)左翼文化人はそこに新たな反権力のネタを発見して脱原発に飛びついた。日本人は周りの人達が言うことを信じやすく反原発と言う宗教に結集したのだろう。人々を動かすのは事実ではなく感情であり、必要なのは科学的データではなくて共通の敵である


参考文献


『戦後リベラルの終焉 なぜ左翼は社会を変えられなかったのか (PHP新書)』池田 信夫著

「」内が引用箇所です。なお引用箇所は途中を略しています。


コメントを受け付けますが、コメントするときは、まず私のブログをよく読んで内容を理解した上で、感情的でなく論理的な反論をお願いします。例えば原発は危険だと主張するなら、危険だという根拠を挙げて下さい。あと批判の対象は私の主張に対するものであるべきで、人格に対する批判は誹謗中傷にあたりますので注意して下さい。

コメント (2)
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