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ありがとう119系、さよなら119系

2012年03月21日 02時12分49秒 | その他
1月下旬の東海道線211系の記事以来、仕事のほうが忙しくなり更新ができず、大変申し訳ありません。
仕事のほうが忙しいだけで、健康上は問題なく過ごしておりますが、私の性格上仕事に集中してしまうとどうも趣味のほうに没頭できないものですから、その点お許しいただけたらと思っております。
仕事のほうは今でも忙しい状況が続いておりますが、ようやく少しずつ撮り鉄もできるようになってきましたので、少しずつ気になることをブログ上で紹介していきたいと思います。
と言っても日本国内でしたら、今話題になっていることがブログや地元の方々のホームページで紹介されていますので、特に私のほうで取り上げなくても良いのではないかと思いますが、私も久しぶりに撮り鉄などを行ってきましたので簡単に紹介させていただきたいと思います。

本日は今年3月で引退する飯田線、中央線で活躍した119系を取り上げたいと思います。
皆様も既にご存知のようにダイヤ改正前の3月16日で定期運用が終了し、水色のE4編成が今月実施されているイベントで運行されるのみとなりましたが、そもそもこの119系は飯田線の旧型国電を置き換えるために国鉄末期であった1982年(昭和57年)暮れに登場し、約30年に渡って伊那谷の主として君臨してきました。この当時、通勤形では201系が新製されていた頃で冷房装置が搭載されているのはあたり前でしたが、地方路線の車両置き換えに対しては国鉄の財政事情を反映しているのか宇部・小野田線や可部線、福塩線の105系、身延線の115系2000番台の新製配置に際しても冷房装置は搭載されておらず、新型車に置き換えられたものの夏の暑い時期は床下の抵抗器からの熱風とともに熱風地獄を味わったものでした。
しかしながら、私にとっては105系も今回紹介する119系も電動機が103系と同じMT55とあって、103系の音好きにとっては何とも嬉しいもので、119系が登場した当時、夏は窓を開けて天竜川の景色や伊那谷の景色を楽しむと同時に119系のサウンドを堪能したものでした。

ということでデビュー当時の写真を2枚ほど掲載しますが、この当時、119系はMc Mc T'cの3両編成とMc T'cの2両編成が用意され、101系の改造によって登場したクモユニ147を引き連れて活躍したいました。


下の編成はクモユニ147+Mc T'c+Mc T'cでしょうか。身延線に登場したワインレッドの115系2000番台でもクモユニ143を引き連れた姿を目にすることができ嬉しいものでした。左に写っているのはやはり旧型国電の置き換えで配置された165系です。


続いて湘南色の115系が飯田線から引退する2008年3月にあわてて木曽駒ヶ岳といっしょに撮影できる七久保のカーブへ撮影に行った時のものです。今改正前にもう一度この場所で定期列車を撮影したいと思っていましたが、仕事の忙しさと119系の運用との絡みで巡り合わせが悪く叶いませんでした。


ならば3月10日、11日に飯田~伊那市間に運転される「ありがとう119系記念号」だけでもと思い11日始発列車で各駅停車を乗り継いで、上片桐へ行ってみることにしました。ろくに下調べもせずに伊那松島から飯田への送り込みの時間がわからなかったのですが、木曽駒ヶ岳といっしょになんとか撮影することができました。


この辺は順光とあってギャラリーが集結し大変な賑わいで、伊那谷東側に聳える南アルプスと絡めて撮影されている方が多いようでしたが、私もヘタクソながら撮影してみました。


列車通過後は飯田寄りにある鶴部のカーブで待ち構えていたのですが、冬型の気圧配置が強まり、雪雲が中央アルプスを越えて時より雪が降り、南アルプスにはその雪雲が届かないようで、向こう側に見える南アルプスの山々が明るいというアンバランスな状態になってしまいました。


昨日20日も豊橋へ行ってみましたが、18日から31日までの土休日に豊橋~豊川間に運転される「119ファイナル号」を撮影してみました。
豊橋~豊川間は撮影する場所がありませんので、新城への回送を撮影するため東上~野田城のカーブで狙うことにしましたが、線路沿いの畑では菜の花が咲いているとあってこの菜の花を絡めて撮影されている方が多いようでした。


新城駅で停泊中の119系を撮影したのち、タイガーロープが僅かにない牛久保駅近くで待ち構えることにしましたが、豊橋~豊川間ではほとんどタイガーロープがあり撮影には不向きのようです。


下の写真はダイヤ改正前の12日に撮影したもので、豊橋~豊川間のシャトル列車は119系単行が使用されていましたが、改正後は119系は充当されることがないようで、もうこのような姿を見ることができないかと思われます。


ほとんどの119系が西浜松に集結し、廃車を待つばかりのようですが、私としては寂しいかぎりです。飯田線で唯一国鉄型が使用されている長野色の115系に頑張ってもらいたいところですが、首都圏の211系の置き換えが行われているところですので、その211系が信州エリアに進出するようなことになれば115系も廃車に追い込まれますので、私にとってはますます寂しくなります。

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2 コメント

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サヨナラ119 (201系四季彩号)
2012-03-21 23:49:32
こんばんは。119系は青22号がピッタリですよね。僕が、初めて飯田線を全線乗った(昭和57年5月)時はまだ旧国が活躍していました。乗車車両はクモハ50008でした。ナノ115がまだ活躍することを願っております。
さよなら119系 (井上)
2012-03-22 00:48:56
201系四季彩号様、ご無沙汰しております。
そうですね。私も119系に採用された青22号は飯田線沿線を流れる天竜川の水の流れということで、とてもお似合いの色で気に入っておりましたが、コーポレートカラーを推し進めるJR東海は何でもオレンジを基調とするカラーや湘南色に変更し、今でも残念に思っております。それでも1編成だけ青色の姿で復活し、身延線の時においても何を間違えてしまったのか茶色に塗ってしまい、その後ワインレッドカラーで登場しましたので、ファンに対しても感謝を現しているのではないかと思っております。
ところで私もこの119系が登場した時期に飯田線全線を通して119系に乗車したことがありますが、既に旧型国電の姿を見た思い出が残っておらず、もう少し早くにでも飯田線を訪れていたならばと少々後悔しております。
長野総合車両センターの115系もあと何年活躍してもらえるのかわかりませんが、最後は信州色もしくは新潟地区と同じように湘南色カラーで復活し、飯田線や中央西線で活躍する姿も見てみたいものです。

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