Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

湘南色の115系を求めて新潟や奥多摩路へ

2012年08月27日 23時58分07秒 | その他
今月に入ってから仕事も落ち着いてきましたので、3週間程前の週末に103系などの撮影で、広島、大阪へと参りましたが、その後の週末も湘南色の115系を求めて新潟と青梅線に運行された快速「むさしの奥多摩」号の撮影に行って参りました。

昨年、房総地区で活躍していた113系も209系によって置き換えられ、113系が一掃されましたが、最近では東海道線や高崎線・東北線にE233系が投入され、房総各線に対しては引き続き209系が投入された結果、これらの各線区で活躍していた211系が長野や新潟などで活躍している115系と置き換わるのではないかと推測されています。国鉄時代に製造された115系も既に30年以上が経ち、いよいよJR東日本の115系の活躍も数年で見れなくなるのではないかと思い、ムーンライト信州を使って長野経由で、新潟へ向かってみることにしました。

10日朝早く、ムーンライト信州で松本でまずは降車し、松本運輸区内に留置されている車両を観察したのち、篠ノ井線下り始発列車で長野へと向かいました。この列車は115系の2+3両の5両編成で、終点の長野に到着すると分割作業を行ったのち、直江津方3両は信越線妙高高原行きとなり、松本方2両は行先が「回送」と表示されていますが、車内には数人の乗客が座っておりました。妙高高原行きが発車したのち、この回送表示の2両がすぐに直江津方面へと発車していきましたが、この列車は皆さんもご承知のように長野総合車両センターの職員輸送用の列車でした。
2年ぐらい前までは7番線の隣にスカ色のクモユニ143、1両をよく目にしていましたが、現在ではそのクモユニ143による職員輸送も廃止されてしまったのか、115系などによる輸送に変更されているようです。

下の写真は115系2両編成による長野総合車両センター行き職員輸送列車です。
私は松本からこの2両編成に乗車し、長野到着後、回送列車になりますとの車内アナウンスにもかかわらず、座ったままの乗客がいましたので、いぶかしく観察しておりましたが、この回送列車が職員列車になるとは最初は想像ができませんでした。


長野地区の115系も撮影しておきたいところですが、長野地区と同様に115系王国の新潟地区が今回の目的地ですので、すぐに直江津経由で新潟へと目指しました。新潟地区の115系は運用範囲が広く、今回、私が最大の獲物と考えていた湘南色の115系2編成(N2、L6)がどこを走っているのか知る由もありませんので、まずはその湘南色がどこにいるのか確認することが先決でした。ということで運用範囲の端から確認すればどこかで目撃できるのではないかということで、直江津から信越線経由で新潟を目指すことにしましたが、まず長岡で留置されているL6編成を発見し、新潟車両センターにおいては3+3に組成されたN2編成を難なく発見することができました。
今年7月号のレイルマガジンに115系の運用表が掲載されていましたので、その運用表を元に推測をしてみることにしました。運用は4両編成のL編成で13運用、3両編成のN編成で27運用におよびますが、その中で先程のそれぞれ2編成の状況から、その後どの運用に充当されるのか推測できたのですが、私の運用の見間違いにより思わぬ失敗をしてしまいました。(この失敗談はのちほど)

新潟駅に到着するとまずは有名な撮影地ですが越後線の信濃川橋梁へ行ってみることにしました。私は新潟で撮影する場合、新潟駅から徒歩でこの信濃川橋梁で撮影することが多いのですが、駅からあまりにも遠いのでレンタサイクルできるところはないかと探してみました。新潟駅万代口を出て左側1分ほどのところに「にいがたレンタサイクル」があり、3時間まで100円で借りることができました。歩いて行くとなると30分近くかかるのですが、自転車では僅か5分ちょっとでこの橋梁に到着しました。時刻は14時ちょっと廻っていましたが、撮影地に着いてみると光線状態は白山駅側(左岸側)から撮影しないと順光にならないため、下流側に一旦下って大回りする形で橋を渡り、白山駅側へと向かいました。(最初から列車で白山駅で降車したほうが良かったかもしれません)

まず目撃できたのが、後追いですが弥彦線用の115系で、以前からこの時間帯に新潟行きの列車が設定されています。


データイム、越後線にはE127系が多く運行されていますが、14時以降になる115系の列車が多く、かつ2編成を組成した列車が多いため、新潟地区に在籍するあらゆる115系を見ることができます。塗装も現在の白地に緑帯の新潟色とリニュアール編成の新新潟色が程好い比率で在籍しているため、下の写真のような新新潟色+新潟色の編成をよく見ることができます。


運用表から私なりに推測した結果、4両L編成の湘南色は16:50に新潟駅へ戻ってくることはわかっていましたので、その湘南色を確認するため自転車を返却し、新潟駅へと行ってみました。1番線にはその編成が停車しており、その隣の2番線にも新新潟色の115系が停車していたのですが、吉田側を確認してみると3両N編成の湘南色が併結されており、予期もせぬ湘南色のツーショットが見られました。どうも私はこのN編成湘南色の運用を見間違えてしまったようで、偶然にもこのようなシーンを拝むことができるとは思ってもいませんでした。(写真だけですと高崎支社のどこかの駅にも感じますが)


しかしながら、このN編成は越後線にそのまま充当されましたので、先程まで撮影していた信濃川橋梁に居れば、順光で湘南色を先頭とする見事な姿を撮影できたのですが、それが出来なくなり非常に悔やまれます。そのような絶好なチャンスを逃した悔しさは残りますが、次の日の朝もこのままの編成でこの信濃川橋梁を渡りますので、晴れなければある程度綺麗に撮影できるのではないかと行ってみました。多少曇っていたものの薄日が射す中、リベンジとまでいきませんが撮影することができました。


この日、L編成は朝のみの短い運用に充当されましたので、このN編成のみを追いかけたのですが、内野で折り返したあとは新潟行きとなり、新潟駅で1時間30分ほど留置されたのち、長岡行きとなりますが、いずれも編成の先頭に湘南色編成が位置しません。しかしながら、この編成は長岡での留置後、分割され単独編成で新井行きに充当されましたので、その姿を狙ってみました。


ということで今回は新潟のリバイバル湘南色115系を中心に追っかけてみましたが、今後もしばらくはこの湘南色が活躍すると思われますし、予備車に余裕がなくなれば先月まで見られたように高崎から湘南色の3両を借り受け、新潟の湘南色3両編成(N編成)と組成した上で、毎日同じ変則運用に充当されるようなサプライズを期待しつつ、形態的にもバラエティー豊かな新潟地区の115系の姿をできるだけ多く撮影しておきたいものです。

最後に先日19日も大宮~奥多摩間に運転された快速「むさしの奥多摩」号を撮影してみました。
2006年以来の湘南色115系による運転となり、私としても喜んでおりましたが、秋の臨時列車でも快速「むさしの奥多摩」号が運転されることになり、今度は豊田のスカ色115系6両編成が充当されるとのことです。


奥多摩からの回送においては立川方の表示が古里まで「回送」であったものの、この石神前~二俣尾間では嬉しいことに「快速」という表示でした。


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103系を求めて西へ

2012年08月16日 07時29分23秒 | 他線区の103系
PNRの話題を3回に渡って述べて参りましたが、本日から国内の話題について述べていきたいと思います。
この8月に入ってから仕事も落ちつき、時間的に余裕が出てきましたので、今月の4日~6日にかけて、いまだに現役で走っている103系を求めて広島、大阪へ行って参りました。地元の町田を通る夜間高速バスを利用し福山で降車したのち、18きっぷを利用してまず向かったのがいつものことになりますが広島でした。広島に着いて驚いたのは末黄色と呼ばれるJR西日本で進めているコスト削減のための1色地域色化が進んでいることで、115系ではかなりの数でこの色の車両が多く、瀬戸内色と呼ばれるクリーム色に青帯の車両はすっかり少なくなったような気がします。また、主に可部線で使用される105系についても広島色と呼ばれる白色に青帯と赤帯のカラーの車両が多いのですが、比率的には115系に比べて少ないと思いますが末黄色が登場しており、このおなじみの広島色は数年以内で見られなくなることが予想されるため、可部線の安芸長束へと行ってみることにしました。
するとまず目撃したのが後追いになりますが、下の写真の広島色+末黄色の4両編成で、早速このような末黄色への過渡期の姿を撮影できました。
いずれはこの広島色は見られなくなり、全て末黄色に変更され、私としては更に広島へ行く気力が失ってしまうのではないかと思われます。


その後は、3両編成の103系が3本、辛うじて広島地区に運行されていますが、その姿を撮影すべく、定番になりますが呉線の新広~安芸阿賀間の黒瀬川へ向かいました。3本ともに写真のとおり瀬戸内色であり、現在ではこの広島にしかありませんが分散クーラーのWAU102を搭載し、近年、トイレ設置工事が実施され、かなり貴重な存在となっています。
今後、この103系にも末黄色が登場するのか、それともこの103系だけは瀬戸内色のまま残るのか気になるところですが、いずれにしてもこれらの103系、製造から約45年になりますので、別の車両に置き換えられてしまうのではないかと心配しております。


広島地区で活躍する103系は主に呉線の快速「安芸路ライナー」で活躍しますが、今年3月のダイヤ改正で停車駅が変更され、改正前では天神川に停車していたものの改正後では通過となり、また、山陽線との分岐駅である海田市と吉浦に停車するようになりました。また、快速「安芸路ライナー」の運行間隔がほぼ30分毎となりましたが、その分各停が30分毎から1時間毎となってしまい、快速の停車しない駅では不便になってしまいました。
ということで、黒瀬川での撮影後、どこで撮影しようかと思っていたところ快速の停車する坂で下車し、これも定番になってしまいますが、下の写真のとおり国道の歩道橋から撮影してみました。
ここは大型のトラックが通過すると列車を被らせてしまうため運しかないのですが、ご覧のとおり列車のうしろにちょこっとトラックが写っており、完璧な写真を撮るのであれば何回も足を運ぶしか方法がないようです。


ある程度103系を撮影したのち、可部線の上八木~中島間の太田川橋梁へ行ってみました。
かつてでしたら4両編成の103系が撮影できたのですが、現在では4両編成の103系は廃車され、D編成の3両編成も可部線では運行されていないようですので、103系好きな私としては寂しくなりました。何が走っているのかとちょっと来てみましたが103系の代わりに現在では113系が多く乗り入れるようで、カフェオレの113系の姿も見られました。


また、この撮影地では夕方が順光となりますが、西側に山があるため4日の時点で17時30分頃には山の影になりましたので、この季節17時以降の撮影はきびしいかもしれません。


8月6日の広島平和記念式典やプロ野球がちょうど開催されていたため、広島での宿泊はほぼ無理かと思い、4日夜は岩国に宿泊し、5日朝は山陽線内で103系を撮影してみることにしました。山陽線内では唯一103系が広島(1921M)岩国(1923M)由宇、由宇(538M)岩国(540M)広島の列車に充当されることから、その姿を狙うことにしました。
まずはこれも定番ですが大竹駅の近くから狙ってみました。


そして、大竹駅まで走って後続の列車で乗り継いで、由宇からの折り返しを南岩国駅から狙ってみました。
この列車はご存知の方も多いかと思いますが、上下線ともに岩国駅で列車番号を変え、15分ほど停車しますので、撮影&乗車を楽しめる列車で非常に有難い列車です。


ちょっと話しが長くなってしまいましたので、あとは短めにまとめます。
5日夜、大阪に移動し、6日朝はこれも私のいつものパターンになりますが、関西線から乗り入れるウグイス4+4の区間快速103系を撮影してみました。


その後、東海道線の塚本駅へ移動し、205系の並びが撮影できるのかと期待しておりましたが、下り列車が遅れて来たものの何とか撮影できました。
右側は更新車で、今後、他の3編成にも更新工事が施行されると思いますので、このカラーバージョンでオリジナルの姿は貴重になるかと思います。
また、皆さんご存知かと思いますが、この205系は平日の朝のみの運用であるため活躍の場が少ないようですが、今後も東海道・山陽緩行線に引き続き充当されるのか、それとも他の路線で運行されることになるのか注目しております。


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その他のPNRの話題

2012年08月15日 18時54分10秒 | フィリピン
PNRのキハ52と203系の話題を続けて述べて参りましたが、特にこれ以上話題とも言えるほどのものがありませんので、本日でPNRの話題は最後とし、次回から国内の話題を提供したいと思います。

まずはMayon Limited De LuxeとしてManilaのTutuban~Bicol地方のLigao間を今年の3月16日よりキハ59「こがね」が運行開始されましたが、7月上旬、自動車と衝突し、キハ59-511が脱線し、車体右側側面の乗務員室寄りと中央部の窓ガラスが破損しました。以降、Mayon Limited De Luxeは運休となりました。詳しい事故の状況については、インターネットで検索しても記事がないことと、この件について担当者にお聞きしませんでしたのでわかりませんが、毎年9月に開催されるNagaのPeñafrancia祭までに修復し、運行を再開させたい意向のようです。

下の写真が窓ガラスが破損してしまったキハ59「ごがね」で、先頭のキハ59-511の窓側ガラスが破損し応急処置がされているものの、他の2両については破損等ないようです。結婚式の2次会やビール納涼大会などでも最適ではないかと思っていたのですが、3月の本格的な運行開始から僅か4ヶ月でMayon Limited De Luxeは運休となってしまいました。


Tutuban~Biñan間に運行されているCommex12系ですが、先日も述べましたように203系が7月10日から充当されたものの、私がマニラに滞在した7月20日から24日は再びボロボロ12系客車が充当されておりました。編成については詳細に確認しておりませんが、下の写真のとおり4両編成が充当されておりました。先々週、マニラ首都圏を襲った台風からの吹き込みによる大雨により3日間ほどTutuban~Alabang間のコミュターとともに運行ができない状態が続いておりましたが、運行開始以降、Commex運用に203系が充当されているようです。

左側の列車はBicol Expressで、右側の列車がCommexに充当されているボロボロ12系客車です。
今後のボロボロ12系客車の去就が注目されますが、しばらくはスクラップを免れるのではないかと推測しています。


ということで3回に渡って簡単にPNRについて報告させていただきましたが、次回9月訪比の際にはPNRはもちろんのこと時間がありましたら、最近ご無沙汰しているLRTについても報告させていただきたいと思います。

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マニラ首都圏のコミュータートレインに抜擢されたキハ52国鉄色

2012年08月12日 17時15分50秒 | フィリピン
先日の203系の話題に引き続き、本日はキハ52の話題に参りたいと思います。
PNRには計7両のキハ52が在籍しており、新潟色のキハ52-102,120,121,123はTutuban~Ligao間に運行されているMayon Limited Ordinaryに充当されていましたが、度重なる乗用車との衝突事故を繰り返し、6月22日朝、Bicol地方のIrigaにおいては、トライシケルというフィリピン特有のサイドカーの付いた乗り合いバイクと衝突し、小学生を含む5人の死者と8人が怪我をするという傷ましい事故が発生しました。度重なる事故の影響か部品が必要となり、ついにはそのうちのキハ52-123が部品供給用となり、床下の部品から取り外しが行われているようです。

下の写真はついに部品供給用となってしまったキハ52-123で、残りの3両はGMお気に入りの色である青+金帯のまさにブルートレイン色に変更されています。ブルートレイン色に変更された3両は、7月21日にTutubanの駅で目撃したものの撮影せず、23日のPNR事務所訪問で撮影できるかと思いきやMayon Limited Ordinaryに充当されていたことをすっかり忘れていましたので撮影できませんでした。見たい方はこのブログにリンクさせていただいている「地味鉄庵」様の7月26日の記事をご覧いただければ、すっかり変貌してしまった姿をご覧いただけます。


一方、国鉄色のキハ52-122,127,137は今まで予備として待機することが多くありましたが、Tutuban~Alabang間で運行されている韓国Rotem製車両の不調により、最近では充当されることが多く、Tutuban発車基準で5:05,7:05,10:05,13:05,16:05に充当されているようです。
私がPNR事務所へ訪問した7月23日も13:05と16:05発にキハ52が充当されている姿を目撃し、PNRの上層部の方に頼み込んで16:05発のキハ52の乗務員室へお邪魔させていただきました。

ということでTutubanからSan Andresまで乗車することとし、今回、私のお供をしてくれたのは2人の地元の鉄男君と鉄子さんで、鉄男君であるM君は21日にTutubanの駅でお会いし、23日も午前中にTutuban駅に行ってPNRの事務所を訪問するよと伝えていたものの、結局、私がTutuban駅に到着したのが午後1時でした。しかしながらこのM君、朝から私の到着を朝飯も食べないでずっとTutuban駅で待っていたようで、私が列車でTutuban駅に到着すると私をすぐに発見し、何か悪いようなことをしてしまいました。(そのあとは昼食をおごったのですが、このM君、細身の体でありながら、ご飯が無料のためか3杯もおかわりしていました)

下の写真は16:05発に充当されたキハ52とAlabangから到着したばかりのRotem製DMUで、ホームにはお供をしてくれた鉄男君ことM君と鉄子さんの姿です。
それでは出発時間も近づいてきましたので、キハ52の乗務員室へお邪魔しましょう。
貫通扉はご覧の通り冷房が付いていないため開けっ放しで、走行写真を撮影する上で奇麗な姿を撮影できませんが、これもフィリピンならではということなので致し方ありません。


16:05、キハ52はTutubanを定刻に出発しました。車内をお邪魔させていただくと、下の写真のとおり席はほぼ埋まっていました。


地図をご覧いただければすぐにわかりますが、Tutubanを出発するとしばらく北にまっすぐ進みますが、1kmちょっと走ったところでAlabang方面の南方線は北へまっすぐ進むCaloocan方面の線路と分岐し、90度東へと向きを変え、90度曲がりきったところでCaloocan方面からの線路と合流します。(デルタ線が形成されています)
かつてはCaloocanとAlabang方面を結ぶ列車が設定されていましたが、現在ではTutuban~Caloocan間の軌道整備がほぼ終了し、高床式ホームも設置されたもののこの区間を行き来する列車はCaloocan工場とTutubanヤードを回送する列車のみで、運行開始の目処はたっていないようです。


しばらくするとLRT1号線のBlumentritt駅が見え、そのLRTの下にはRizal Ave.がこのPNRと平面交差しています。
踏切は全て自動化されていませんので、踏切の番人は連絡を受けて、列車が近づく30秒前ぐらいに横断する自動車に制止を呼びかけますが、中には頑固なドライバーも多く、制止を振り切って列車と衝突する事故も多く発生しているようです。(Buendia Ave.踏切の番人との会話の中で)


最初の停車駅であるBlumentritt駅のホームにはたくさんのお客さんの姿が見られます。果たして全員乗車することができるのでしょうか。


乗り込み開始ですが、無難に全員乗車できたようで私も一安心です。
また、PNRにおいて韓国Rotem製DMUは3両編成のうち進行方向先頭車が女性専用車ですが、このキハ52も同様に先頭車が女性専用車となります。おかげで男性陣は後方2両のみに乗車できるという何とも肩身が狭いですが、このフィリピンにおいては女性上位やかかあ天下(under the saya=スカートの下)の社会がアメリカの影響なのか早くから構築されています。(結婚して亭主関白を押し通す男性はフィリピン人の嫁さんはもらわない方がいいかと思います)


無事に全員乗車できたものの車内は既に乗客達でいっぱいのようで、乗務員室後方の客室へカメラの向けようがありません。
仕方ないので運転士にカメラを向けるとテンガロンハットを冠ったエグザイル風のキザなあんちゃんでした。PNRの職員には日本の鉄道会社と同じでどちらかというと地味目な人が多いのですが、このような垢抜けたドライバーがいるなんてビックリです。


列車はこのまま軌道強化された線路を進みますが、整備される前は線路近くまで不法占拠の住宅が建てられ、軌道はデコボコだらけで、所々で排水ができていないためか大きな水溜りができ、列車通過とともにその水溜りの汚い水をかつて私は大量に被ってしまったことがあります。今では見違えるほど立派に整備され、長期的にはNorth Railからの標準軌がこのPNRの真上に建設、もしくは並走する形で建設される計画がありますが、いつのことになるのでしょうか。


いつの間にか私の知らないうちに先程の鉄男君ことM君は乗務員室のマイクを勝手に取り、「España Station, España」と車内アナウンスをしているではありませんか。このM君はもちろん将来はPNRに就職したいようなのですが、時間がある度に乗車し、車内アナウンスを勝手に行っているようで、PNRのスタッフもほぼ彼のことが知られているのか乗車の際、切符はただのようです。日本の鉄道マニアであれば列車を運転する次にやってみたいのが扉の開閉と車内アナウンスだと思いますが、私も次回はPNRに乗車させていただき、英語、フィリピン語、加えて日本語の車内アナウンスに挑戦してみたいと思います。

列車はEspaña駅に近づいてきましたが、この駅でも大勢のお客さんが待っていました。どうも話しを聞くとこの列車の前の列車が運休してしまったため、その乗客達もこの列車に乗るハメになったのですが、車内は既に250%程度の混雑を呈しており、降車があまりなければ乗車することが難しいようです。


やはり降車が少なく、なんとかほとんど乗り込めたものの、乗車を諦めるお客さんの姿も見られ、車掌は次の列車をご利用くださいと促していました。
しばらくすると列車はLRT2号線の下を潜り、Sta.Mesa駅に近づいてきました。
このSta.Mesa駅も先程のEspaña駅と同様で、乗車できないお客さんが見られ、先程よりも積み残しが多く見られました。


Sta.Mesa駅を出たところで、下の写真のようにスケーターの姿が見られましたが、整備される前のようにどこでもスケーターの姿が見られなくなり、私としてはManilaの混沌としたかつての街の姿が失われつつあることを実感しております。


列車はManilaの母なる川Pasig Liverを渡り、しばらくするとPaco駅が近づいてきました。
私も20年ほど前にTutubanと同様にPaco駅は大きな駅であったことをかすかに思い出しますが、新駅舎の建設が途中で長期間ストップしてしまったのか、廃虚化した駅舎が現在も残され、近年のフィリピンの経済を象徴するかのような出来事にも思えます。近くにある日本のキリシタン大名、高山右近の銅像もきっと嘆いているに違いありません。


列車はPaco駅を出発すると大きく左にカーブし、South Super High Way(SLEX)に続くOsmeña Ave.と並走します。
ここから中央線の東中野~立川間のような直線が10数キロに渡って続き見通しがききますので、次に来るTutuban方面の列車が見えたら、その列車でTutubanへ戻ることを予定していましたが、この大きな左カーブを曲がって直線区間に入った瞬間、2km先にその列車の姿が見られ、本来予定していたVito Cruz駅での降車を諦め、1つ手前のSan Andres駅で降車しました。奇しくもこのSan Andres駅は今回同行していただいた鉄子さんの長年育った街でしたが、短い時間ながらも日本の中古車両のキハ52に乗車でき、楽しいひと時でした。



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PNR203系の近況について

2012年08月09日 15時58分21秒 | フィリピン
ご報告が大変遅くなりましたが、先月の20日から24日にかけてマニラに滞在し、23日に少々時間が取れましたので、フィリピン国鉄(PNR)の乗車とPNR事務所への訪問を行いました。
今回はなんと言っても203系が7月10日から本格的に運用が開始されましたので203系の近況報告と、韓国Rotem社製造の新型DMUの調子が悪いということでマニラ首都圏のコミューターにキハ52が抜擢されることが多くありましたので、その乗車記を簡単に報告させていただきたいと思います。

本日はまず203系の報告ということで簡単にご説明したいと思います。
Caloocan工場において今年1月、Tc203-107に発電機を搭載する工事が実施され、4月上旬にこの発電機を搭載した車両を含めて5両編成で試運転をTutuban~Calamba間で実施されたのち、4月8日にTutuban~Sucat間で初めて運用が開始されましたが、その後の機器調整などにより本格的な運用が実施されていませんでした。
しかしながらようやく7月10日からTutuban~Biñan間の12系客車Commex運用に203系2編成目が充当され、本格的な運用が開始されると、通常、韓国Rotem社製DMUの運用に203系1編成目が順次充当されました。

203系1編成目の編成順序は、Tutuban寄りからM203-14+M'202-119+M203-119+Tc203-107(発電機搭載)の4両編成で、4月時点ではM203-14+T203-113+M'202-119+M203-119+Tc203-107でしたが、2両目のT203-113が抜かれていました。また、Tc203-107に搭載されている発電機の容量は200KVAということで、冷房装置が使用されているようです。
この編成は主にTutuban~Alabang間のコミューター運用に充当されますが、203系充当時にはAlabangでの機回しが不可能であるため、1つ手前のSucat折り返しに変更されます。7月時点で主に充当される列車はTutuban発車基準で7:05か9:05と10:05のようです。203系充当時には駅で乗客に対してSucat止まりであることをお知らせしているようで、ほとんど文句の言う乗客はいないとのことですが、車両担当者との談話の中でもし文句を言う乗客がいたらどうするのですかと尋ねると、数日のうちに忘れるから心配はいらないと、なんともさすがラテン系フィリピン人的な考え方だなと感じてしまいました。

下の写真は左側が1編成目(コミューター用)で右側が2編成目(Commex用)です。お互い手前の車両に発電機が搭載されていますが、発電機の種類、発電機の設置位置が異なります。


続いて、2編成目の編成順序はTutuban寄りからTc203-5+M203-13+M'202-13+T203-9+M203-10(発電機搭載)の5両編成で、発電機は100KVAであるため冷房装置の使用はできず、送風のみ使用となっているようです。
この編成は先程も述べましたようにTutuban~Biñan間のCommex運用に充当されていますが、コミューター区間外のAlabang以南ではホームが高床でありませんので、各車両中央2箇所の側引戸下に乗降用ステップが設置されています。

下の写真は左側が2編成目(Commex用)で、右側が1編成目(コミューター用)で、上の写真の反対側から撮影したものです。


Tc203-5の前面上部の運番、行先表示部分が投石による被害を防ぐためか、鉄板のようなもので覆われています。


2編成目の各車両中央2箇所の側引戸下には乗降用のステップが設置されていますが、ジャカルタのように手掛けがないため、お年寄り、子どもにとっては乗降に際して不便さを感じるのではないかと想像しております。


他の203系については、帯をPNRのラインカラーであるオレンジ色に変更(一部の車両はエメグリのまま)、投石防止ネットが設置されており、200KVAの発電機5台分を注文中ということで、発電機が到着しだい設置工事に取りかかる予定とのことです。
また、車両担当者との談話の中で、7編成分(1編成おおよそ5両)の整備を実施するとのことですが、1編成についてはDOTC(運輸通信省)に供出し、交流モーターへ換装の上、ハイブリッド(畜電池車?)などに改造し、実験を行ったのち、将来的にPNRの7編成分の203系もハイブリッド車両に改造する計画があるとのことで、そのようになれば折り返し駅での機関車付け替えもいらなくなるでしょうと話しておりました。

前回訪比時には、他にも用事がありましたので、残念ながら203系初乗車することができませんでしたが、次回9月頃にも再び訪問を予定しておりますので、Commex用、コミューター用の203系ともに是非乗車してみたいと思っております。

次回はコミューターに充当された国鉄色キハ52の乗車記をお届けします。
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