ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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教育の広場、第293号、授業アンケート論争で考える

2007年08月03日 | サ行
 2年も前の事を持ち出して恐縮ですが、2年前に朝日新聞の「私の視点」欄で行われた論争について、原理的な問題を考えてみたいと思います。

 それは「学生による授業評価」を巡る論争でした。

 まず、法政大学教授の川成洋(よう)さんが、「記名式で学生に責任を」という題(編集部が付けたのでしょう。以下同じ)で問題を提起しました(2005年04月26日)。

 内容は、題から想像できますように、学生による授業評価がますます盛んになっているが、匿名式のため教師への誹謗・中傷が多く、所期の目的に反している、というものです。

 その最後にこう書いてあります。「授業評価アンケートを続けるのであれば、大学当局には以下の改善を求めたい。(1) 記名制にすること、(2) アンケート内容と回答者の授業出席率や成績との関係を調べること、(3) 教員の人格を傷つけるコメントは厳しく注意し、場合によっては謝罪させること、(4) 教員のプライバシーを守るため、アンケートの取り扱いに特段の留意を払うこと、(5) アンケートを解雇の口実に使わないこと、(6) 教員に反論の機会を与えること」(引用終わり)。

 この投稿で問題にしたいことは、このような大学当局への要望を新聞に発表したということです。これは本来、教授会で話し合った上で大学当局に言うべきことだと思います。それをなぜ新聞に書いたのでしょうか。これが間違っていると思います。

 世の中には「間違っているのではないか」と思う事は沢山あります。それを直接相手に言うのがいつでも正しいとは限らないと思います。どういう場合にどう対処すべきか、これを学ぶことは大人として成長していくための必要条件だと思います。大学教授として相当の研究業績があり、教員のあり方についても多くの発言をしている川成さんがこのような事も知らないとは驚きました。

 新聞に載せるべきは、大学当局と話し合った結果の報告だと思います。

 これを読んで学生の山崎裕子さんが「大学教員の『質』向上に必要」と題する文章を発表しました(同06月21日)。

 それは川成さんがアメリカでの授業アンケートの歴史と現状を否定的に紹介したのに対して、アメリカの大学の経験者からの情報として、もう少し広い視野が必要だと紹介しています。しかし、ここでの最大の論点は記名式反対だと思います。

 山崎さんは次のように述べています。「現在、無記名式で行われている授業評価を記名式にすることの是非はどうだろう。成績をつける教員はもともと優位な力関係にあるわけだから、学生は正直に答えることができなくなるのではないか。米国では『匿名制による公平さ』を前提に無記名式であると聞く。記名式にして学生に『自粛』を求め、教員を手厚く守るという発想は、大学の教育を向上させようという本来の目的からそれるのではないか」(引用終わり)。

 「アンケートは無記名に決まってる。記名にしたら本音が書けない」という考え方はかなり常識化してさえいると思いますが、根本的に間違っていると思います。

 第1に、この考えは、マークシート方式などでの選択式で、数量操作をするアンケートと自由記入式アンケート(ないしそういう欄のあるもの)との区別を考えていない点で粗雑な考えだと思います。

 第2に、塾や予備校のように、自由記入式でも、経営主体が集めて、判断の資料とするアンケートと、多くの大学のように、大学は不介入で直接教授本人にそのまま渡すアンケートとの区別も考慮していない点でも粗雑だと思います。

 第3に、一層根本的には、そもそも記名式で本当の話し合いの出来ない教員・学生関係は本当の師弟関係ではなく、「根本的に間違った関係」である点を考慮せず、それを記名式だろうが無記名式だろうが、アンケートなどで改善出来ると思い込んでいるそういう人間観が余りにも浅薄だと思います。この点は大学側も同じです。

 確かに、授業アンケート「も」1つの手段として授業を改善した(している)大学や学校があることは知っています。しかし、そこでは学長を先頭にして大学全体で授業を良くしようとする意欲と計画があって、その1つの手段であるから、その目的に「少し」役立っているというだけなのです。

 ここ数年大評判の金沢工業大学やもっと前から授業改善に取り組んでいる東海大学など、みなそうです。

 第4に、これが根本ですが、授業を監視し、それの向上を図ることは学長(経営者)の仕事でり、義務なのです。教師は学長の指導に従う義務があります。学長は自分の大学でどういう授業が行われていて、どこに問題があるかを知って、それを改善するように持っていく義務があります。

 逆に言うならば、ほとんど全ての大学での授業アンケートは学長が自分の責任を個々の教員に転嫁するための手段なのだと思います。

 では、お客さんであり消費者である学生はどうしたら好いのでしょうか。

 大学が授業アンケートをしてくれるのを待っていないことです。主体的に行動することです。インターネットがあるのです。自分たちで、大学の真ホームページを作るべきだと思います。それを作らないのは情けないと思います。

 いま、多くの中学校などについては「裏」ホームページ(学校裏サイト)とやらがあって、いじめの手段に使われているそうです。断っておきますが、私の提案するのはそれとは違います。「真」ホームページです。

 そこには、全教員の研究業績を調べて掲載し、授業についても調べて評価して、それを掲載するといいと思います。もちろんいわゆる「教員」ではなくなって、経営にタッチしている(行政職になっている)学長以下の幹部についても、その職歴や活動実績、研究業績や経営方針等を調べて評価するべきだと思います。

 その場合、特に評価において大切な事は「ルールを明記する」ことです。例えば、

 (1) 批判的な意見については、載せる前に本人に知らせて、考えを聞く。

 (2) 本人が、非を認めて、是正するという返事なら、載せない(その後の追跡調査は学生の方でして、是正されていないなら、再度注意する)。

 (3) 反論すると言うなら、批判者に通知して、了解を得て、両方を載せる、

といったことです。

 根拠のない誹謗・中傷を投稿した学生には反省文を書かせる。そして、その後1年間、投稿を受け付けない、というルールも必要でしょう。

 議論になった場合の決着の付け方も決めて発表しておくといいと思います。論争は2往復でいったん止めるとか、感情的な言葉を使った文章は載せないとか。

 こういう経験を通じて「話し合って解決出来る領域は小さい」ということを知り、それはなぜかと考えるようになったら、大学教育の目的も半分は達せられたことになるでしょう。

 こう考えると分かるように、実に、これは本当は大学教育の重要な1部なのです。必修授業の1つにしてもいいくらいです。

 しかし、大学自身がこういう認識にまでたどり着くには時間がかかるでしょうから、学生が自分たちでやることです。現に、就職活動ではこれに似た事をして情報交換をしているのではないでしょうか。授業について、学長のリーダーシップについて、こういうホー
ムページをなぜ作らないのでしょうか。

 さて、山崎さんの発言を受けて、教員側から3つ目の発言がありました。それは防衛大学の准教授の木下哲生さんの「学生諸君に『誠実さ』求む」(同08月12日)というものです。これは「授業評価は、授業の改善に非常に有効」としながら、やはり匿名性に便乗した誹謗・中傷を取り上げています。これは繰り返しません。

 最後に、こう書いています。「大学の教員は論文や他大学での教育実績などの審査を受けて採用され、昇任する。その際には職場の長ら推薦者も必要となる。そのイスは決して安楽なものではないのである。大学の教員は、研究面・授業面共に、まじめに自らを高めることを目指している。それを志さない教員は論外である」(引用終わり)。

 これでは前提が違ってしまいます。この「論外」な教員が沢山いて、多くの授業がお粗末で学生も世間も困っているから、それを何とかしようとして、授業アンケートが始まったのです。この前提を否定するなら、何のために議論したのか分かりません。

 私の個人的な感じで言うならば、大学の教員の2割は精神異常者、6割は学力低下教員、15%が並の教員で、残りの5%がようやく優秀、つまり教授の名に値する教員です。

 しかし、それにしても、学生はともかくとして、教授や学長にこの授業アンケートの問題を正しく解決する力がないとは本当に情けないことです。企業について言うならば、本当に役に立つ顧客満足度調査をし、それをどんどん改善して行けないとしたら、そういう企業は衰退するでしょう。


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