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青い塗装の寝台特急「ブルートレイン」。青色には沈静、癒やしの効果があり、いかにも寝台列車にふさわしい。欧州の王室が好むロイヤルブルーにちなむ、という説がある。フランスの夜行列車も「ル・トラン・ブルー」(青列車)だった。
そのブルトレが死語になりかねない。北海道新幹線の開業に合わせ2015年度末までにすべて姿を消す見通しだ。本県と首都圏を結ぶ唯一の寝台特急「あけぼの」は、一足早く来春のダイヤ改正で廃止されるとか。
かつて、あけぼのは「出世列車」と呼ばれた。寒村を出て都会で一旗揚げた成功者が、土産を山ほど抱えて個室のA寝台に乗り込み、古里に錦を飾る。昭和のにおいが残る列車である。
学生時代、東京からの帰省は安価な座席急行を使った。「走るホテル」と称されたブルトレは憧れの的。「はくつる」「ゆうづる」…。社会に出ても満足に利用できないうちに、本県ゆかりの寝台特急は次々消えた。
高度経済成長時代から、夢や希望、哀愁を乗せて北の鉄路をひた走ったブルトレは、時代の空気も運んだ鉄道遺産である。その軌跡に人生を重ね合わせる人も多かろう。九州一周の旅を売り物にする豪華寝台列車に人気が殺到する中、上野発、青森行きの夜行列車が歌の世界だけになるのは、やはりさみしい。
急行の夜行列車にもずいぶん乗ったね。博多駅から翌朝、鹿児島に着いたり、鳥取大山スキー場や、高校の修学旅行も関西、東京へ床に新聞紙敷いて寝たりして(笑)。次に高級感のあるブルートレインにも関西や東京にも随分乗ったものだ。
関西で仕事に就いての往復も全部ブルートレインだったのに、1975年(昭和50年)3月10日に岡山駅 - 博多駅間の山陽新幹線が開通した時には、嬉しかったが、夜行寝台だと日曜日の夜中まで博多で過ごせたのに、夕方の新幹線に乗らなければ関西に戻れなくなった時には寂しかったものだ。
でも、北海道新幹線の2015年は新函館駅までなんだよな。札幌駅までの開通は、ウィキペディアによると、当初2019年度までの完成を目指していたが、巨額な費用がかかることなどから工期が24年間に延びたため、2012年8月の着工を経て、2035年度の開業を予定しているとか、北海道は忘れられている感じだね。え~っ営業主体は北海道旅客鉄道になっている。これじゃーますます経営を圧迫するのじゃーないかな?
修学旅行専用列車もありましたし、子供の頃は蒸気機関車も走っていました。
随分時間がかかりましたが、乗車する機会も少なかったのでしょう、心がウキウキして、退屈することなど全くありませんでした。
寝台列車は値段の安い3等車で、寝台は3段式の最上段、それこそ屋根裏部屋のようで、大変窮屈でしたが、興奮してなかなか寝付けなっかたことを思い出します。
所帯を持ってから子供が小さいころに、4人個室を利用したことがありますが、子供の大はしゃぎようは尋常ではなかったです。
飛行機や新幹線の旅では味わえない、旅情を肌で感じることができましたが、リニア新幹線って必要なんですかね、皆さん望んでいるのでしょうか。
中3の夏に参加しましたが、その列車は団体列車でSLでしたね。
御殿場線で煙をたなびかせながら列車が山を登っていく様子も思い出されます。
寝台車も普通の客車よりは居心地いいですが、寝られないものですね。
でも、たいがい帰りはすぐ眠りにつきます。
屋根裏部屋にも乗りましたね(笑)。
個室の寝台列車は子供は嬉しいでしょう!
飛行機の国内やリニアは、もう旅ではないですね。
以前に通っていた自由律の句会で作った句で
「文明という破壊 利便という金縛り」
をも思い出しました(笑)