最近、『読売新聞』が興味深いニュースを報じました。
●中国当局「知識人礼賛許さぬ」―体制批判に危機感(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20041218i114.htm
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一部を引用しますと、
▼中国の胡錦濤政権が、真正面からの体制批判を公にするのもためらわない行動的な知識人、「公共知識分子」をスター扱いし、その言論をメディアが大きく扱う風潮を批判するキャンペーンに乗り出した。
▼南方日報系の中国誌「人物週刊』が9月に「中国に影響を与える公共知識分子50人」を選んだことがきっかけで、これらの知識人の言論を礼賛することが、無制限の政権攻撃につながりかねないとの危機感を反映したものだ。
で、「知識人礼賛許さぬ」の端緒となったのが上海の『解放日報』に出た論文のようです。
▼上海市共産党委員会機関紙「解放日報」は11月15日、「『公共知識分子』という概念の実質は、知識分子と党、大衆との関係を離間させるものだ。知識分子は労働者階級と大衆の一部であり、党の指導下にある」との論文を掲載し、「『公共知識分子』は独立したオピニオンリーダー」との見方を厳しく非難した。
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「公共知識分子」なんて言葉があったんですねえ。毎日ニュースサイトをのぞいているのに、全然知りませんでした。
『解放日報』の論文も検索して読んでみました。検索で出たURLがとてつもなく長いので、
(1)まず同紙のサイトに飛ぶ。
http://www.jfdaily.com.cn/
(2)画面右側の検索欄に「公共知識分子」と入力し、類別を「解放日報2004年」にして検索ボタンをクリック。
(3)ヒットした中で、2004年11月15日の「吉方平」氏によるものがそれです。
あ、そういう手順を踏まなくてもこの記事は転載されていました。何たる不覚。
●新華網地方版(2004/11/15/11:03)
http://www.sh.xinhuanet.com/2004-11/15/content_3220724.htm
●大手ポータルtom.comニュースサイト(2004/11/15/08:31)
http://news.tom.com/1002/20041115-1538718.html
●『人民日報』(2004/11/25)
http://www.people.com.cn/GB/shehui/1063/3011381.html
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しかし何というか、微妙な転載のされ方ですね。政府の意を受けて書かれたと思われる論文なのに、江沢民の牙城たる上海から発信されていて、tom.comと「新華網」はすぐ掲載したものの、「新華網」は地方版の「上海」に飛ばないと読むことができません。また、『人民日報』へ転載されるまでに10日もかかっています。
「中国当局『知識人礼賛許さぬ』―体制批判に危機感」
という割には、気合が入っていない感じがします。本当にキャンペーン?「らしくない」でしょう。ヤル気あんのか中央宣伝部、と言いたくなるような不徹底ぶりです。
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でも、流れとしてはしごく当たり前の展開ですね。「強権政治・準戦時態勢」を以て強いリーダーシップで難局を乗り切ろうとする胡錦涛政権じゃないですか。有力な反日サイトをいくつか潰して、尖閣諸島奪回を目指す民間団体の行動を封じて、ネット上の言論統制強化を打ち出し、国家分裂を企てたネットゲーム(笑)と伝統文化を冒涜するCM(笑)を排除、テレビから流れる内容(番組・CM)に対しても審査を厳しくする。……とくれば、知識人の言論統制に着手しない方がおかしいのです(※1)。
最近になって急に各方面での統制が強まった観があるのは、以前にも書きましたが、胡錦涛が重要な外交舞台を一通り消化したことで、今度は内政に本腰を入れ始めたからだと私は思います。
結構行数をもらっているんですから、記者氏にはせめて上の内容の要点ぐらいはかいつまんで書いてほしかったですね。
ところで、知識人への言論統制は突発したものではなく、予告編がありました。最近、反体制派知識人の筆頭格である大物評論家の劉暁波氏(一九八九年の天安門事件でも学生の理論的指導者のひとりとして活躍)が拘束されています。ほどなく釈放されたんですけど、いきなり大物の劉氏を拘束してみせたのは、当局による一種の示威行動、まあ知識人への宣戦布告というか絶縁宣言というか、とにかく「これからは容赦しないぞ」というメッセージだと思います。
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言うなれば、胡錦涛が「強権政治・準戦時態勢」確立に向けて着々と手を打っているというところでしょう。ただ、ここにきて「李登輝氏訪日」という要素が出てきたために、胡錦涛がこのまま順調に足固め(軍の掌握を含む)をしていけるのかどうかが微妙になっています。悪くすれば政情不安という事態も出てくるでしょう。これは胡錦涛が失脚するというのではなく、胡錦涛が当初目指していた政策運営が思い通りに進まなくなるために、国内が混乱するかも知れないということです。
胡錦涛政権の最大のテーマは「トウ小平と江沢民の尻拭い」であり、20余年にわたる改革・開放で蓄積された対立軸の緩和ないし解消です(※2)。別の言い方をすれば、
中共の延命措置を講じる。
……といったところでしょうか。それをやり遂げてなお余力があるなら、第二段階では統治者としての本格的な党勢回復を目指すでしょう。そういった手当てが政情不安で遅れるというのは、中共にとっては致命的な意味を持つことになります。
ただそういった事態は、李登輝氏が来日して、温泉でのんびりして、無事帰国の途に就いてからの話であり、目下のところ事態は流動的な段階にあります。「李登輝」カードが胡錦涛政権にどういう化学変化をもたらすことになるのか、そんな予測なんて私にはできやしません。最近書いたように、胡錦涛政権の対日路線に修正が加えられているかも知れません。他の点でも何事かが起きているかも知れません。状況によっては今までのイメージを一度捨ててしまって、胡錦涛政権を再定義する必要が出てくるかも知れないのです。
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ところで『読売新聞』のこの記事は、
「胡政権に政治改革を期待する声が強かった急進改革派の知識人の間には、失望感が広がりつつあるようだ。」
という結語になっていますが、これはちょっと……。例えば、
「今後の動向が注目される」
とか、共同や朝日が好むフレーズ、
「中国の反発は必至だ」(笑)
などと同様、紋切り型に属する終わり方ですねえ(私が「お楽しみはこれからです」で締めるようなものです)。
で、記者氏が書くように、その「急進改革派の知識人」がかつて胡錦涛政権に政治改革を期待し、現在は失望しているというのなら、その人たちは愚鈍が売りの御家人にも劣る、目が節穴のボンクラばっかりということになります。
急進改革派の知識人……海外のサイトで文章を発表している劉暁波氏をはじめとした御歴々を指しているのでしょうか。例えば「民主論壇」や「大紀元」の評論欄で作品を読むことのできる人たちです。だとすれば9月の第16期四中全会以降、私が見てきた限りにおいて、彼らが胡錦涛政権に政治改革を要求したことはあっても、期待をかけたことは全くなかったと思います。期待していないので、失望もありません。
彼らとは別種の、当局の監視のつかない中国国内在住の知識人が失望しているというのなら、胡錦涛政権に対する認識不足も甚だしい、知識人ならもっと研究せい(記者なら事実を的確に書け)、と言いたいところです。
ああ、紋切り型にケチをつけてしまったために、うまく締めることができなくなってしまいました(笑)。
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【※1】その次にやるとすれば、紙媒体(新聞・雑誌・小説・ルポルタージュなど)への統制強化でしょう。
【※2】当ブログ「新華網の『新防衛大綱特集』が示すもの」(2004/12/13)
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国民は、お仕着せの大衆運動に乗らないとみたのか、あるいは悪のりの虞れありとみているのか・・・。
「整風運動」とは、現代中国に関する造詣の深い方とお見受けします。
記事全文を読めばわかりますが、キャンペーンと表現しているのは記者であって、中国当局が何か言い出した訳ではないんですよね。
言論統制が各面で進んでいるのは事実ですが、仰る通り、腰の引けた転載ぶりからして、当局が知識人を目の敵にして特に力を入れているとは考えにくいのです。
記者の方も色々忙しいんでしょうが、1000万を超える膨大な読者を意識して、もう少し的確に記事を書いてほしいと思うのです。
ごく自然にふらーりと参拝してしまえばとめようがないだろうし。
そもそも私人が何処の神社に参拝しようが問題ない。
塾長が参拝して問題にならなかったらならなかったでそれはとても良いことだし。
李登輝氏による靖国参拝、私も是非お願いしたいところですが、氏はあくまでも台湾の政治家。それで民意が離れてしまうようなことがなければ参拝してほしいですね。でも今回は東京に来ないんですよね。ならせめて旅先で日本の有力政治家との偶然の出会いがあってほしいところです(笑)
他にも高雄市長が成田から入国していますし、他に民進党の大物も来日するようですら、何らかの行動で日本との結びつきの深さを中国に顕示してほしいですね。
李登輝氏にはやはり桜の季節に東京に来てほしいです。できればそのときに靖国へ是非。
当方、中国語は全くだめなので、オリジナルソースに当たることはできません。
そもそも英語ですら、結構怪しい。そんなこんなで、中国の動静には興味はあるものの
ネタ元は、こちらをはじめとするネットです。これからも、ご無理をなさらずに、
継続していただければうれしいです。「中国観察」のおもしろさに目覚めてしまった
者の勝手な期待なのですが・・・。
最新の「溜池通信」http://tameike.net/index.htm によると
台湾選挙の結果、東アジアの大情勢は中国有利なっている、とのこと。
ここ最近の日本の外交攻勢が、もしこういう認識の元に行われているとしたら
わが害務省も少しは、仕事をする気になったのか?などと考えています。
腰の引けた整風運動の件は、出所が呉の国ということや、以前の人民解放軍のエントリーで
述べられていたことを考え合わせると、ターゲットは、公共知識人ではなく
胡錦涛政権なのかもしれませんね。
とまあ、いろんなことが考えられて、いやぁ。本当にチナヲチっておもしろいです。
「溜池通信」拝読しました。これはプロの方が分析されているのでしょうか?実に興味深い内容で、またとても勉強になります。
東アジアの大情勢が中国に追い風、という見方はできます。ただそれは内政が安定して、経済も大崩れしていない、との前提によるものでしょう。胡錦涛が軍部を含む党の実権をしっかり掌握している一方、経済がソフトランディングして安定成長路線に乗る方向で進んでいる、ということです。
ところが「李登輝氏来日」のニュースが流れたころから何だか微妙な空気になってきたようですし、かたや民衆の暴動なども起きています。ブログ(20日)でも触れましたが、四川の国有企業で給与支払いの遅延が原因で数千人規模の騒動(警官隊との衝突)が起きたことが香港紙にバレてしまいました(笑)。給与未払いが原因の騒ぎはこれから1月末ぐらいまで、つまり旧正月の手前まで、「これじゃ年が越せないじゃないか」ということで増えていくことになると思います。ともかく、中国が安定を維持できなくなれば事態は流動的になります。
不徹底な整風運動については、『解放日報』が反発した相手である「中国に影響を与える50人」の記事原文を読んでみないと、いま一歩つきつめることができません。検索しているのですがまだ見つからなくて・・・。
御指摘のように、江沢民が胡錦涛政権に向けて、あるいは広東閥(「中国に影響を与える50人」の掲載紙は広東省党委の系列ですから)に向けて何かやろうとしている、との可能性も排除できません。ただ中国政治の通例として、その場合は同じ主題を持った論文がシリーズ的に次々と『解放日報』から放たれて然るべきで、一発で終わりということはないと思います。
いずれにせよ、中央のメディアが転載にどうも消極的なのと、似た趣旨の論文を出さないことからすると、記者氏が書くようなキャンペーンとしての実質は持たないように思います。胡錦涛政権による言論統制の流れは一貫してますので、知識人に対して締め付けが厳しくなること自体は不思議ではありません。
先程、李登輝氏のビザ発給に関する各社ニュースの見出しを眺めていたのですが、それがずばりこちらに書かれていた「紋切り型」そのもので、思わず吹き出してしまいました。
報道各社毎に、規定の中国ネタ用見出しテンプレートでもあるのでしょうか?
興味深いです。
そうですか、「紋切り型」でしたか(笑)。ああいう終わり方をするとしっくり来るのか、ひと仕事終えた気になるのか、あるいは本能的なものか(笑)。これは本職の方に聞いてみたいです。
ブログと違って限られた行数・字数の中で勝負する訳ですし、数もこなさないといけませんから、ある程度パターン化してしまうのは無理もないとは思いますが。
ただ政治スローガンと一緒で、あれは多用するうちに思考が硬直してくるんじゃないかと思うんですよね。警察も事実を調書に書くんじゃなくて、調書のパターンに事実をはめ込むでしょう?自戒しておりますが容易ではないですね。
ところでxyn9さんもブログをやっておられるんですね。これからは色々と勉強させて頂きますので、宜しくお願いします。
こちらこそ、今後も購読させて頂く所存ですので、宜しくお願いいたします。(私のは本当にただの“ログ”ですので、何分お気になさらずに・・・!)
> パターン化してしまうのは無理もない
なるほど、そうなると読み慣れた方ならおのずと察しがついてしまいますね。
ちょっと分析したら「関西弁フィルター」ならぬ「朝日フィルター」「毎日フィルター」なんていうのができてしまうかもしれません。
> ただ政治スローガンと一緒で、あれは多用するうちに思考が硬直してくる
そうして読み手側もステレオタイプの謳い文句が並べば「ああ、またか」で思考停止に陥りがち・・・。何とも悪循環ですね。
自分の思考まで定型化しないよう、気をつけたいものです。
これは私の知人の話ですが、『アエラ』という雑誌に一度だけ原稿を依頼されて書いたとき、「アエラらしい文体で」と、散々朱筆が入ったそうです。
だからたぶん新聞にもありますよ、絶対(笑)。
そうなると、ライターはまさに前回の御家人さんのレスにあった警察の調書の喩のように、ひたすら事務処理的に雛形の空欄を埋めるだけの存在という事になりかねませんね。
第一、掲載する側に合わせてライターが書くというのもおかしな話で、何となく両者の関係が狂っているようにも思えます。
ところで、大幅に外れますが、先程ようやくプロフィールにある「六四世代」の真意を知る事となり、今さらながら自分の馬鹿さ加減を痛感いたしました・・・。
そういう呼び方があるんですね。勉強になります。
(ちなみに、それまで「六四世代」の「ろくよん」をnintendo64の「ろくよん」と解釈していて、御家人さんはお若いのに随分しっかりとしたものを書かれる、などと勝手に感心しておりました・・・)
「六四世代」は私が勝手にそう言っているだけで、世間で通用する言葉かどうかはわかりません。
余談ですが、nintendo64もnintendo game cubeも惨澹たる結果でしたね。もはや玩具屋がゲーム機メーカーをやれる時代ではない、ということなんだと思います。携帯機に特化するしかないのでは?
あの2機種はダメだったんですか・・・。一応、新しい携帯用ゲーム機は共に話題になっていましたね。(一方はちょっと困った機能\についても)
詳しくないので突っ込んだ事はいえませんが、いくらハードが頑張っても、やはり結局は今まで同様、その後のソ\フトの充実+キラーコンテンツの獲得が命運を分ける事になるのではないでしょうか。