日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 「ひとつだけ」というものが、私には二つだけ、あります。いずれも香港在住で地元ゲーム誌にコラムを連載していたころの話です。

 とりあえず「ひとつだけ」といえば、矢野顕子の初期における名曲。……と、すぐ反応できる人が当ブログを読んで下さる皆さんの中でどのくらいいるかはわかりませんが、この歌のことです。↓





 あれは1997年の5月のことだったと思いますが、有名クリエイター飯野賢治氏率いるワープというゲーム会社が「リアルサウンド」という新作をセガサターンというゲーム機対応で発売することになりました。

 飯野賢治氏というのは知る人ぞ知るYMO狂でして、当時、東京の外苑前にあったオフィスに行くと、いつもYMOの曲が大音量で社内に流れていたものです(テンションを高めるためなのか、いつもライブ音源だったような気が)。

 「リアルサウンド」はテレビゲームなのに画面が終始真っ黒という型破りなもので、ラジオドラマ風のマルチエンディングゲームとでもいうべき作品でした。途中の選択肢で何を選ぶかによってストーリーが変わり、結末も変わります。

 で、そのゲームの主題歌として採用されたのが上記「ひとつだけ」。私はすぐに「ああ、あれか」と飯野氏がYMO狂であることを踏まえて納得したのですが、職場の連中はゲーヲタでゲームの攻略が上手なために編集部員に採用された、という奴らばかりなので、YMOを知る者など一人もいません。

 私はヒマなときはいつもシーケンサーをいじくり回していましたから、

「御家人さんはどんな音楽を聴くんですか?」

 と聞かれたりします。

「俺か?まあヒカシューとか……」

 などと、わざと濃いものから入っていくと意外なことに即反応があり、

「ああ、ピカチューですね」

 とゲーオタらしい解釈をされてしまいます。orz

「いや違うんだ。プヨプヨという名曲があってな……」

「ああ『ぷよぷよ』。パズルゲームですね」

 と、お決まりのオチ。せっかくだから例の動画をまた出しておきますか。





 他にもZELDAが好きと言ったら任天堂のゲーム(ゼルダの伝説)にされてしまったり、列車を運転するゲーム「電車でGO!」などは、

(タイトーの糞野郎が戸川純の楽曲から名前パクリやがったな絶対)

 と思ったり。↓





 ……「ひとつだけ」に話を戻しますと、ゲームの主題歌になったと聞いて、

「ほら、これが『リアルサウンド』のやつ。最後に流れるのかな。俺も好きなんだよこの曲は」

 と言いながら編集長に聴かせてやりました。編集長君は興味津々で聴き始めたのですが、だんだん奴の表情が凍り付いていき……曲の途中でイヤホンを外して私に手渡すと、

「御家人さんは、こんな音楽を聴いているんですか?」

 これが音楽ですか、という表情で言われてしまいました。この男はゲーヲタ以前にアニヲタであるため、聴く音楽はアニソンばかり。

 さらに輪をかけてセラムン好きで、その関連グッズなど部屋を埋め尽くすコレクションの数の凄まじさに地元週刊誌から写真入りで取材された経験まである奴ですから、私の側からいえば治癒不可能なんだろうなあ、ということになります。私はアニソンはアニソンで音楽だと思っているんですけどね。

 ともかく連中との間に横たわるこの辺の溝の広さと深さといったら話になりません。そういう環境下で長年仕事をしてきた結果が私の寿命を縮める一因になったのではないか、と思うほどです。

 ――――

 もうひとつの「ひとつだけ」は他愛もないことですが、このことばかりは臆面もなく自画自賛してもいいんじゃないかな、というケース。

 私は1995年秋に『ファミ通』香港版(当時)を出していた企業に翻訳者として入社し、香港ゲームメディアの一員となりました。ですから当初は日本語の原稿を中国語に翻訳する仕事に携わっていたのですが、

「せっかく日本人だし」

 ということで、別にコラムを書かされる破目になりました。私はその会社に入ってプレイステーションとは何か、セガサターンとは何か、RPGとは何か、ということを初めて知ったクチなので泣きたくなりましたが、社長命令とあれば仕方がありません。

 でもゲームそのものを語るなんてことはもちろんできませんから、あれこれ考えた挙げ句、香港在住初期に余暇の趣味としてやっていた中国観察を日本のゲーム業界やゲーム市場に入れ換えてやってみよう、という結論になりました。偶然ながらこれがニッチなテーマとなったのです。

 ゲーヲタ風情に市場動向の分析や今後の予測など、できる訳がありません。しかし1996年の夏になると、プレイステーションとセガサターンの販売競争が過熱してきたところに任天堂がニンテンドー64というゲーム機を発売し、「ゲーム機三国演義」などといわれるようになりました。

 こうなると、どのゲーム誌もこの話題を避けて通ることはできません。……ということで翌年に私を引き抜くことになるライバル誌をはじめ、他の雑誌も「どのゲーム機が勝つか」という記事を掲載したのですが、不思議なことに他誌はいずれも「セガサターン」が勝利するとの予測を立てました。

 その理由というのが、

「ゲーマーの好むソフトが多い」
「周辺機器が豊富だからゲーマーは喜ぶ」
「やっぱり『バーチャファイター』シリーズが客を集めることは必至だし」

 といったものばかりだったので抱腹絶倒させてもらいました。ゲーヲタが取り組むとどうしてもゲーマー視点で判断してしまうところに可愛げを感じたのです。ま、所詮馬鹿は馬鹿な訳で。

 ゲーマー視点がいかに無益かということを数字で挙げると、まず日本のテレビゲーム人口(携帯型ゲーム機を含めず)は約3300万人前後。そして日本におけるテレビゲーム機の市場規模というのは、どんなに売れても2500万台に届かないくらい。それでも2000万台は確実にあります。ところが『ファミ通』などテレビゲームを専門に扱った定期刊行物の毎号の販売部数の総和はといえば、いくら頑張っても300万部を超えることはありません。

 要するに日本のゲーム機市場というのは、ゲーム雑誌を熱心に読んでいるゲーマーがいくら頑張っても、その大勢を左右することはできず、勝敗はゲーマーとは無縁の、全く別の要素によって決せられるということです。それが何かといえば、ゲーマーではないし普段ゲーム雑誌を読むこともないけれど、数でいえば買い手の圧倒的多数を占めるライトユーザーの嗜好ということになります。

 ……という道理を私は説いた挙げ句、馬鹿は挑発するに限るとばかりに、

「勝つのは間違いなくプレイステーション。だってライトユーザー向きだから。お前らゲーム雑誌を読んでるような連中には何の力もないんだよ」

 とコラムで結論づけたところ、読者はもちろん他誌からも例によってゲーマー視点の反論がわらわらと湧いて出たのですが、結果は私が予測した通りに事が運び、プレイステーションの独り勝ちとなりました。

 ――――

 このことをきっかけに私は業界コラムニストとして重んじてもらうようになり、原稿料も大幅に引き上げられました。実際翌年には引き抜かれましたし。……てなことはともかく、このとき私は「ライトユーザー」の翻訳語で適当なものがなく、その存在について紹介する上で非常に不便を感じたため、広東語でゲーマーを意味する「機迷」という単語の対極ということで頭に「非」をかぶせて「非機迷」という言葉を造語しました。

 この「非機迷」を以て、ライトユーザーというものがテレビゲーム機を含む大衆市場にはいるんだよ、こいつらが一番大事な働きをするんだよ、ということを香港の読者や同業者に知らしめました。

 するってーと、この「非機迷」という日本人による造語が、いつしか香港では業界用語として定着してしまい、いまではゲーマーの集う掲示板やブログ、さらにゲーム雑誌ばかりか、地元紙も文化面で平気で使っているのを知って驚きました。

 おヒマな方は、雅虎香港(Yahoo! Hong Kong)に飛んで「非機迷」で検索してみて下さい。大衆紙『東方日報』や、ややお堅いとされる『明報』まで「非機迷」を使ってくれています。たぶん、記者がたまたまかつて私のコラムの読者だっただけのことだと思いますけど(笑)。

 誰が「非機迷」という造語を行ったか、ということが忘れられてもいいのです。業界コラムニストとしての私の名前が忘れ去られてもいいのです。ただ「非機迷」という単語が今でも使われ続けていることに、外国人コラムニストとしては冥利を感じるのです。

 まあ、どうでもいいことではありますけど。

 死期の迫った老人の、昔誇りのようなものだと思って頂ければ幸いです。





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