むかし、もう50年前になるでしょうか、横浜の田舎の児童養護施設に住んでいました。バスは1時間に一本あったでしょうか。食料を売っている店もなく、毎日子どもに何を食べさせるかさえ大変でした。週に3回ほどトラックで来る八百屋さんから野菜だけは買えたのですが!
その近くに自然農法でお米を作っている人がいて昨日はその籾を精米するからと誘われて出かけました。彼は車で、わざわざ昔施設のあったところを通ってくれました。昔停留所名は○○小学校だったのが小学校が移転したので学園の名はバス亭名として残っていました。
バスを降りると田んぼの中の道を歩き傾斜地に立つ施設が着く。一番高いところには木々に囲まれた神社がありました。ですが、地形がすっかり変化し、平地になっていて、地形の確認さえできませんでした。
子どもが熱を出した時は山を越えた荏田という地に開業している医師に往診を依頼するほど不便な横浜の僻地でした。収容されている児童が脱走し、暴力団につかまっているという事件がありました。男子職員総出奪還しましたがみんな報復を恐れていました。いざという時には私と私の子どもたちは自分で守るようにと警棒を渡されたたこと。風呂がなく児童用の風呂に子どもとはいるのですが、お湯が浴槽に満たされない前に入浴したこと。昭和21年に建てられた家屋は立て付けが悪く、真冬でもカーテンが揺れ動くほど風通しが良かったことな思い起こすものの、平地に化した広い道を走り案内されて車の中から眺める景色は記憶と重なることはありませんでした。
福祉関係のボランティア仲間でも漠然と捉えているひともいます。glimeさんの家族がお住まいだったのは、どちらのほうだったのですか。機会がなくて養護施設に行ったこともないですが、成育環境のマイナスをバネにしていってほしいなとは思っています。
施設が街中に移転したのなら、よかったですね。
養護施設は保護者が養育できない、あるいは保護者に養育を放棄された子どもに生活・家庭的教育を与える施設です。ですから乳児院を出た2歳~高校卒業までの18歳までの児童が生活する場です。
昨年、東京に青山に児童相談所ができるということに地元住民が反対しているというニュースを聞きました。相談所に住民がどうして反対するのか理解に苦しんでいます。相談所は一時的に児童を保護することがありますが、子どもに生活の場を与えるわけではないのです。ですから子どもが問題を起こしたり、周囲の迷惑になる行為をするなどとは考えられません。
昔青山にも貧しい人たちが沢山住んでしました。自分たちの地域が高級住宅地だと考え、子ども達の生活を向上させる施設に拒否反応を示す人たちの心が私は理解できません。