glimi

生きること:過去と未来とエスペラントと

年末のカードから・・・。

2010-12-30 10:13:11 | エスペラント

 最近クリスマスカードも年賀状も書かなくなりました。ですから戴くものも少ないのです。昨日フランスの友人よりカードをもらいました。そう言えばいつの頃からでしょうか彼はおめでとうと言う言葉を書かなくなりいつも意味深長な詩を書いてきます。

 彼は3人の子どもがいました。2男が日本に興味を持ちパリで勉学している時亡くなったと嘆いていました。いつか日本を訪れたいと魅かれる気持ちと息子の事を思い怖くなる気持が混在すると言っていました。エスペラントをすると言うことは生活経験が全く違う人たちの人生とかかわることになる事もあります。英会話の広告だったでしょうか、1億人の人と話すことができるというのがありました。本当にそうなのか、何を話し合うのかとその広告を誇大広告と感じるのは私だけでしょうか。

 私は日本語に訳するのは上手ではありませんが彼の言葉を紹介します。

 時折、空は暗いのですが、星々は存在しています。

時折、地面は凍てつきますが、美しい雪もあるでしょう。

時折、凍えますが、それでもひとりで、あるいは他の人たちと共に喜ぶ時間を得ようと心を伝えたり出会ったりできます。

時折、外は不愉快であっても、暖をとり、明りを灯し、休息を取ることができる、また愛と友情と幸せに生活できる、心の平和を見出すことができる家は多くあります。

ああ、もし私達が、続かない存在の間も、好機として、私達の瞬間瞬間を考えるために、的を得た考えや積極的見方を守るように注意しているなら、その家は私達の心の中にも存在します

2011年、幸せを求めるあなたの道にあなたが居られるますように

B.B

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花はどこへ行った -serenaさんが読みやすくしてくれました。

2010-12-27 18:09:18 | エスペラント

Kien floroj iris do?

 

1.    Kien floroj iris do?
Jam tempo pasas.
Kien floroj iris do?
Jam tempo for.

Kien floroj iris do?
Junulinoj prenis tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

2.    Kien junulinoj do?
Jam tempo pasas.
Kien junulinoj do?
Jam tempo for.

Kien junulinoj do?
La junuloj prenis tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

3.    Kien la junuloj do?
Jam tempo pasas.
Kien la junuloj do?
Jam tempo for.

Kien la junuloj do?
Ili soldatiĝis tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

4.    Kien la soldatoj do?
Jam tempo pasas.
Kien la soldatoj do?
Jam tempo for.

Kien la soldatoj do?
La tombejoj prenis tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

5.    Kien la tombejoj do?
Jam tempo pasas.
Kien la tombejo do?
Jam tempo for.

Kien la tombejoj do?
Iĝis floroj ili tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

6.    Kien floroj iris do?
Jam tempo pasas.
Kien floroj iris do?
Jam tempo for.

Kien floroj iris do?
Junulinoj prenis tro.
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?





コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛乳せっけん

2010-12-27 10:02:48 | 家族・友人・私

 オリーブせっけんを作り始めてもう10年になります。牛乳せっけんはまだ作ったことがありません。作る時悪臭がでると何かで読んだので試しませんでした。

 ところが先日牛乳と苛性ソーダが反応すると高熱を出すので牛乳を冷やしておき使うと良い。牛乳せっけんはとても滑らかなで使い心地よいという記事を目にしましたので昨日は試作しました。冷たくしようと凍らしておいたら苛性ソーダと混ぜても熱が足りず少しソーダ液を温めましたが・・・。

 前回黒蜜がほとんど使われないままに残っていたので蜂蜜の代わりにたっぷり入れました。黒蜜が液体であることを忘れていました。せっけんが出来上がる時に余分な水分が流れ出し乾燥させるのに苦労しました。使い心地はとても良いので今度は黒砂糖を使ってみる事にしました。

 液は暖かいし粉状の砂糖を溶かすだろうと振りいれたら溶けないものもあって器の底にこびりつくしまつ、途中でそれを泡立器でこそげとり、少量の牛乳で溶かし混ぜ入れました。でもうまくゆきそうです。牛パックで作った器に入れました。年明けまで寝かせたらナイフで切れるようになるでしょう。小さな失敗があってもマアめでたしめでたしでしょうか。

 晴天が続いています。シイタケはうまくゆけば春には芽を出すと思いつつも水だけ補給してやろうとかけて置いたビニールの袋をのけたらなんと1.5センチほどの傘が数個ありました。すごい!でも一つの植えつけられた菌にもしもきのこが一つしかならなかったら1個50円決して安いわけではありません。何個なるのでしょう!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kien floroj iris do? (花はどこへいった)

2010-12-26 08:28:57 | エスペラント

 年末にしておかねばならないことの一つが換気扇の掃除です。いつでもできる事ですが、いつでもと言う時間は私には決して来ない時間です。ですから昨日は換気扇の掃除に取り組みました。なんと汚れの激しいこと、時間がかかりそうなのでテレビをつけると私の好きな『オズの魔法使い』( エスぺラント版:La Mirinda Sorcxisto de OZ)の主題歌オーヴァー・ザー・レインボーが聞こえてきたのでつけっぱなしで仕事をしました。

 次の番組はフォークソングでした。特にベトナム戦争中にアメリカ兵士たちにも歌われ、今も反戦歌として歌われ続けている『花はどこにいった』の歴史は素晴らしかったです。

 この歌のヒントを作詞者がロシアの作家ショーロホフの『静かなるドン』に出てきたコサックの子守歌を元にして作ったということも驚きでした。日本語訳は確か分厚い2巻からなっていました。これを買った友人がこれはあなた用の本と持って来た時には驚きましたが寝る間も休んで読みました。もう50年前のことです。そして最後の情景はコサックの女性がでドン川の川岸でひとりで出産するという強烈な場面と記憶しています。暗い戦争と社会の荒廃の中での子どもの誕生はまさに未来の象徴でした。

 この歌の日本語歌詞は知りません。エスペラントで覚えたのです。それもすっかり忘れていました。そこで探したら見つける事が出来ました。歌ってみませんか。

kien floroj iris do?
Jam tempo pasas.
Kien floroj iris do?
Jam tempo for.

Kien floroj iris do?
Junulinoj prenis tro;
Ĉu nepre tiel plu?
Ĉu nepre tiel plu?

Kien junulinoj do?
La junuloj prenis tro.

Kien la junuloj do?
Ili soldatiĝis tro.

Kien la soldatoj do?
La tombejoj prenis tro.

Kien la tombejoj do?
Iĝis floroj ili tro.

http://kantaro.ikso.net/kien_floroj_iris_do

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すみれくらぶのクリスマス会

2010-12-25 09:43:20 | 福祉と教育

 22日(水曜日)すみれくらぶのクリスマス会が、横浜YWCAの1階にある花花カフェで行われました。すみれくらぶの会合に出席するは久しぶりです。すみれくらぶは精神に障害を持つ女性が家に閉じこもりがちなので、その人たちの家庭以外での居場所を作ろうと『かもめサポート』が始めた会です。くらぶができた頃は私も足繁く通っていたのですが、最近は単発のバザーとかに参加するだけとなっています。そんな訳で知らない顔のメンバーも増えていました。

 花花カフェは働きたいと思いながらまだ自信が無い人たちが社会参加の準備とをする場としてYWCAにかもめサポートが協力して立ち上げました。8月に横浜YWCAは横浜市精神障害者適応訓練事業協力事務所の認定を受けました。詳しいことは『ゆうゆう』精神保健ジャーナル58 に載っています。http://www.hobunsya.com/yuyu/yuyu.htm 『ゆうゆう』に興味のある方はご覧ください。

 クリスマス会の昼食は花花カフェの従業員とボランティアが調理しました。私は会費500円を払い料理をいただきました。横浜市中区区役所や社会福祉協議会のケースワーカー、ボランティアセンターの職員も招待されてはいましたが、彼らも会費を徴収されました。これはすみれくらぶ始まっていらの伝統なのです。集まりにおいては利用者もボランティアも平等に会費を支払うことになっているのです。メンバーの一人は招待されたのにお金を払わすのは気の毒ねと苦笑いしておりました。

 病気の人が働くということはとても大変なことです。調子が悪くなった時サポートする人が常にいなければなりません。最近ボランティをする人が少ないそうです。それにボランティの資質も誰でも良いという訳にはゆきません。心穏やかな人が良いのです。その点私はここでのボランティアは向いていないように思います。

 花花カフェは以前紹介したことがあると思います。当時は週2回12時~16時でした。今は月曜日~金曜日、週5日11時~16時となりました。おまけに無線LAMも導入されていました。とても静かですが、客がいなくては訓練にもなりません。是非ご利用ください。夏には中には休むこともできます。YWCAの場所は球場横にある『ホテル東横イン』のすぐ近くです。花花カフェは1階の奥まった場所ですの入りにくいかもしれませんが、ゆっくりと過ごせますのでぜひぜひお越しください。

 最後は宣伝になりました。友人が、コアラの絵のついたなナフキンを沢山縫ってきてみんなに配りました。あまり可愛いので孫に送ると言ったら残りをくれました。久しぶりに仲間とおしゃべりができた楽しいクリスマスでした。

 そう!参加者の中におじさんが熊本でエスペラントやユネスコの活動していたという方や、若い頃YMCAのエスペラント講座に通っていたという方もいました。友人にはここをエスペラントに活用できないかともいわれました。これはたびたび言われるのです。何か始めるとしたらやはり問題なのは私の気力・体力・知力です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんにゃくゼリーの大きさ

2010-12-23 10:15:01 | 福祉と教育

 昨日のニュースでこんにゃくゼリーの大きさを直径1センチに限定するらしいというのを知りました。食べ物の大きさを法律で限定するなんて馬鹿げているとしか思えません。その法律を作るために人が集まり議論する。それには会場費も人件費もかかると思うので税金の無駄使いの一つとしてしてしか考えられません。

 それに長径1センチなら本当に安全と言えるのでしょうか。3男が3歳の時友人が小さいからなめやすいだろうと直径1センチあるかないかの飴玉の袋をくれました。ある時息子のうめき声が聞こえて・・・。

 なんとその飴玉をのどに詰まらせていたのです。両足を持ち逆さづりにして背中をたたき、ようやく吐き出させました。こんな時救急車など間に合わないのです。硬い飴玉ですから吐かせることができたと思うのですが、柔らかなこんにゃくゼリーがはたして飛び出してくれるのかどうか・・・。

 食べ物は保護者の責任で与えるべきでしょう。法律で規制しても親が不注意あるいは無関心な時に事故は起きるのです。自分の子どもにはもっと関心を持ち注意して育てて欲しいですね!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古いノート

2010-12-22 09:29:33 | エスペラント

 エスペラントの本を読む時はなるべくノートをつけることにしています。昔は知らない単語を書き取るだけでしたが、1997年頃友人たち始め10年間継続させた輪読会の中で次第に変化してゆきました。

 このグループは月に2回4人だ始めたのですが途中メンバーの交代、加入ありましたが最後は8名でした。指導者はおらず、まさに輪読でした。一人約1ページを担当し担当した箇所をエスペラントで要約するのが原則でした。他のメンバーがそれに意見や質問をするので、理解できるできないにかかわらず自分なりにしっかりと解釈していなくてはなりません。この輪読会で本を読んだら内容を要約するという癖が身につきました。また面白い表現があるとそれを記するようになりました。書くことであの本にはこんな面白い表現があったと記憶することがでます。この記憶は次に似たような表現に出会ったとき推測しtくたり、調べたりするのにとても役立っています。

 エスペラントという言葉は一字一音ですから読み慣れるととても滑らかで、一つ二つ分からない単語が混じっていてもすいすいと読み進んでしまう傾向があります。私は大雑把な人間ですから気をつけないと精読せずに読み終えたという気分になります。1ページごとあるは数ページごとに立ち止まることはとても重要に思えます。しかしこのような殆ど読み返す事も無いだろうと思えるノートが本を読めば読むほどたまってゆきます。

 最近はノートをやめました。本の途中でノートを変えるのが嫌で新しいノートを使い始めます。するとどのノートにも数枚白いままのページ残るのです。そこでルーズリーフを使うことにしました。しかし、いずれにせよ古いノートはたまってゆくきます。

 捨てるべきか、もう少し保管すべきか。本棚の本の上に雑然と置かれたノートを眺めつつこれらの処分に悩んでいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田沢湖に住んでいた鱒・クニマス

2010-12-17 10:43:03 | 雑感

 絶滅したと伝えられていた日本種の鱒が生存していたというニュースにフラッシュバックしたかのように昔の事を思い出しています。小学生の頃の視覚教育は厳冬でした。田沢湖のある生保内地区玉川温泉から流れる毒で稲が育たずとても貧しい地域でした。私のよみがえった記憶が正しければ○○サンノスケという人物が玉川温泉からの流れを田沢湖に入れ水を中和したので生保内でも稲作ができるようになったという物語も見せられたことがあります。遠足で田沢湖に行った時佐竹公が座ったと伝えられている『御座の石』で30~40程の魚を見つけ父に形状を話したらそれはヤマメだろうと言われました。

 ヤマメが生息できるならクニマスも生息可能かと素人は期待します。

 あの遠足は楽しかったです。刺し巻きで下車し、昔山伏が通ったという山伏峠を越え、湖の砂浜に出て歩き、ポンポン蒸気で御座の石まで往復し、暑いとみんなで下着で泳ぎ、濡れた下着の上に洋服を着て帰りました。汽車が混んでいて愚図愚図していたら、機関士が友人と二人機関車に乗せてくれました。石炭を熱い釜に投げ込む手伝いを必死でしたのも良い思い出です。今なら服務違反でしょうね!

 30年後、小学生の息子と二人で山伏峠を探しに行きました。道は広くなりけわしい上りも無くなり、あっという間に湖の砂地に到着しました。鱒がいた頃豊かな漁村だったというあたりには今辰子像がたっています。鱒がもし繁殖したらこの辺にどんな変化をもたらすのでしょうか。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスペラントで町おこし

2010-12-15 13:50:41 | エスペラント

 イツの中央部にESPERANTO-URBO HERZBERG: エスペラント市ヘルツベルクという町があります。本当に小さな町です。東ドイツと国境を接していた町でアンネフランクが病死した強制収容所ベルゲンハウゼンからそれほど遠くない所です。昔はビールを作っていたそうですが今は産業もありません。長年ヘルツベルグ駅の駅長だった人物が熱心なエスペランティストで死後土地家屋を含む全財産をエスペラント運動の為に寄付しました。そこでここにエスペラント運動の拠点でき、町はエスペラントを前面に掲げて町おこしを始めました。ハンガリーの小校とは毎年互いに訪問し合っています。その上毎月エスペラント行事や講習会があります。それに参加するためにヨーロッパだけでなく世界から人々が訪れます。ある韓国女性はドイツ人の夫と共に朝鮮ニンジンに関連する店を開き成功しているようです。私も1昨年友人と姉と共にレクリェーションに参加し、昨年はここで開かれたドイツとヨーロッパ合同の大会に参加しました。先日は各国の言葉で BONVENONという言葉を集めているというので『歓迎』と漢字・カタカナ・ローマ字で書いて送れいました。今度は更なる文化的発展を計るために財団を発足さえたそうです。興味ある方は下記の便りを読んでください。

 日本にもこんな町ができて欲しいです。エスペラントの青年国際大会が沖縄で開かれると聞いた時沖縄にこのような町ができたら、寒い関東を脱出し冬は沖縄でエスペラント三昧という暮らしをしたいと思ったのでした。どこかの町が立候補してくれたら嬉しいですね。

Interkultura Centro Herzberg, DE-37412 Herzberg - la Esperanto-urbo 14.12.2010

 

Grandan saluton al la tuta Esperanto-mondo Ni festu la bonajn rezultojn de Esperanto-urbo en la Zamenhof-tago!

 

Lastan sabaton en la kavalira salono de la kastelo Herzberg am Harz okazis la solena inaŭguro de la nova Fondaĵo Esperanto-urbo Herzberg. Aperis ĉ. 30 konataj esperantistoj el Germanio, Koreio, Luksemburgio kaj Nederlando kaj ĉ. 20 reprezentantoj de la regiona politiko kaj de kulturasocioj, kaj lernejestroj.

 

La ĉefo de la nova fondaĵo, urbestro Gerhard Walter mem tre afable salutis la honorgastojn kaj reprezentantojn. Sinjoro Walter emfazis la ĝisnunajn sukcesojn per Esperanto en Herzberg kaj la estontajn celojn por la plua elkonstruado de la ankoraŭ nova oficiala Esperanto-urbo Herzberg. Krom laborego, kompetenteco ankaŭ financado tre gravas.

La prezidanto de Germana Esperanto-Asocio, d-ro Rudolf Fischer informis la ĉeestantaron pri la historio de Esperanto en konciza formo. Li substrekis la gravecon de la nova fondaĵo en la Esperanto-urbo.

Peter Zilvar iom skizis la ĉ. 40-jaran Esperanto-agadon en Herzberg am Harz. Kiel lasta preleganto, Brian Moon el Luksemburgio diris: "Mi volas, ke la Esperanto-urbo Herzberg verdiĝu!" Al la bela festo aldoniĝis muziko: Ulrich Kohlrusch ludis pianon kaj Lumo el Koreio gitaron.

 

Estraranoj de la nova Fondaĵo Esperanto-urbo Herzberg estas Gerhard Walter (urbestro), Dirk Brömme el Herzberg, Otto Kern el Herzberg, Harald Mantz el Osterode kaj Brian Moon el Luksemburgio. La sukceso, disvastiĝo de Esperanto en vivanta urba medio estas sukceso de la tuta Esperanto-movado. Ni kalkulas je ĉies kunago!

  La ĉefa celo de la fondaĵo estas subtenado de kulturaj, interkulturaj kaj internaciaj agadoj por la interkompreniĝo de popoloj, kaj por daŭre antaŭenigi la internacian lingvon Esperanton. Kelkaj tujaj, konkretaj planoj: - starigo de publika Esperanto-informejo, renkontejo por daŭra varbado (bezono je ĉ. 50 000 EUR) - elformo, ekipado de profesinivela konstanta ekspoziciejo, muzea ĉambro (ĉ. 4000 EUR) - subteno, plivastigo de lingvo-instruado, lernejaj projektoj - plilarĝigo de la rondo de Esperanto-komunumoj, internacia kunlaboro kun aliaj Esperanto-centroj, bibliotekoj, arkivoj, ktp.

 

Per via grandanima subteno eblos stabiligi la atingitajn rezultojn kaj realigi novajn celojn. Subtenantoj estas petataj kontribui per 1000 EUR (aŭ minimume 500 EUR) al Stiftung Esperanto-Stadt Herzberg (Fondaĵo Esperanto-urbo Herzberg) al la bankkonta numero: 1111100300 bankindikilo: 26891484 ĉe Volksbank im Harz eG IBAN: DE89268914841111100300 BIC: GENODEF10HA - VIAGENODEFF200

 

Ni regule informos la donacintojn kaj la Esperanto-publikon pri la agado kaj financa stato de la Fondaĵo. Esperanto-urbo verdiĝos per via helpo!

 

Fotojn pri la grava fondo-evento en la kastela salono (ekz. kun urbestro Gerhard Walter kaj d-ro Rudolf Fischer) vi trovas sub: http://esperanto-urbo.de

 

p.s.

En la aldono vi trovas pdf-tekston!

 

*******************************************

http://esperanto-urbo.de (multlingva)

Esperanto-instruado, biblioteko, muzeo je via servo:

Germana Esperanto-Centro/Interkultura Centro Herzberg

D-37412 Herzberg/Harz - la Esperanto-urbo Grubenhagenstr. 6, Tel: +49/(0)5521-5983http://www.herzberg.de

http://ic-herzberg.de (kun fotoalbumo)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスペラントの仮想世界

2010-12-14 09:08:26 | エスペラント

 長くエスペラントをの世界にいるといろんな誘いやお願いがどこからともなくやってきます。先日南ロンドンのエスペラント会の展示会に絵葉書を送ってくださいと書いた所、ザメンホフ祭で出会った友人がすぐに送ってくれたそうで嬉しく思っています。

 今度はロシア人が主催するエスペラント仮想世界の誘いが舞い込みました。これを主催いしているのは昨年ポーランドで会った青年です。ブログで彼の著書も紹介しました。

 私の年代はかろうじてパソコンを使い始めた者が多いので、ブログもそうですが使いこなすのは難しいのです。第一、今度送られてきたエスペラント仮想世界がどんなふうに機能するのかイメージするのもなかなか難しいのです。さらに自分の本名を使うべきかそれともニックネームにするかこの判断もつきかねず、まだ参加していません。

 このブログも恐る恐る始めて何とか継続しているのは自分の考えをまとめることができるからです。しかし始めて半年もしないうちに会釈ぐらいしかしたことが無かった関西の方から、あれを書いているのはあなたでしょうと指摘され驚いたことがあります。もう多くの人にばれているなら、新しいことは本名でも良いかなどと考えたりもします。

 多分興味のある方がいると思うのでその仮想エスペラント世界を紹介しておきます。

 http://esperanto.com/

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IJK en 2012 エスペラント青年国際大会

2010-12-13 10:27:56 | エスペラント

 書き忘れた事ですが、ザメンホフ祭の最後に2012年のエスペラント青年国際大会の開催地についての知らせがありました。

 なんと日本です。それも日本の南のはずれ、沖縄の渡嘉敷です。興味津々です。今まで沖縄のエスペランティストに会ったことがありません。できたら参加したいですが、この年の世界大会はハノイで行われます。ハノイ大会を盛り上げる為にハノイへは是非行きたいです。とすると、双方に参加するのは無理かもしれません。

 青年大会に参加する青年は自称青年であれば良いそうで、バレンシアの大会の時に大会後遠足を切り上げてJIKに出発した84歳の自称青年とあったことがあります。

 エスペラント自称青年のみなさん、これから足腰を鍛え参加に備えるのも良いと思うのですがいかがでしょうか。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 クリスマスリースとシイタケのホダギ

2010-12-12 09:11:18 | 家族・友人・私

クリスマスリースとシイタケのホダギは全く関係のない二つの事柄です。

実は友人に保健室の子どもたちが作ったクリスマスリースを見せてもらいました。真っ赤リンゴと松量が飾られており、リースに巻かれたリボンはケーキなどを飾ったものの再利用でした。特に気に入ったのはリースを作ったつるです。何とか沸かしたさつま芋のつるが使われていました。地域によっては邪魔になるものかもしれません。幼稚園児や小学生の耕作にも使えそうです。残念だったのは写真に撮らせてもらうことを忘れた事です。

 忙しく忙しくしていたら洗剤が無くなり、ホームセンターに買いに行きました。入口の所にきのこの菌を見つけました。なめことかエリンギとか。シイタケのホダギもありました。50センチほどの長さのホダギが1000円でした。以前からシイタケを一度で良いから栽培してみたかいとおもっていました。宝くじを買うより良いかと思い、早速2本買いました。シイタケは気温が15度以上でないと発生しないと書いてありました。これから寒さに向かいます。でも水をかけながら春まで待つつもりです。肉厚のシイタケができたら嬉しいですね!

取らぬ狸の皮算用!  かも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川ザメンホフ祭

2010-12-11 09:24:45 | エスペラント

 1859年12月15日エスペラントの創始者ザメンホフは生まれました。これを記念して12月に入ると世界各地のエスペラントグループがお祝をします。今日横浜の根岸線本郷台傍の神奈川地球市民プラザで神奈川のザメンホフ祭(13:00~17:00・参加費800円)がおこなわれます。

 なんと岩波新書から出ている『危険な言語』の原作者リンス氏が講演すると聞き楽しみにしています。入門の講習性にもこれほど有名なエスペランティストの話を聞ける機会など殆どない。内容は分からなくと良い、エスペラントがどんなふうに実際に使われているか知るだけでも良いと勧めました。ひとり参加するそうです。私はと言えば展示室の招待券があるからと10人ほどのおしゃべり見学会を申し出ましたが、準備はできませんでした。ベテランが参加してくれたら活用させていただこうと虫の良いことを考えています。

 夜は交流会だそうです。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スウェーデンからの便り

2010-12-09 09:47:47 | エスペラント

 昨日、スウェーデンのエスペランティストからメールをもらいました。彼女はもう80歳にはなるのでしょう。80歳になってからパソコンを始めた心意気に驚きました。そしてすぐにラオスでの写真と御無沙汰をわびる便りを送りました。これからは頻繁に便りを出そうと思います。

 彼女には1991年ベルゲン大会の時に北欧を旅し福祉作業所など見学させてもらい5日ほど世話になりました。せめて1週間か10日滞在したら良いのに、これでは短すぎる、私達の生活など分からないでしょうと言われました。それでもデンマークに行かない私にせめてコペンハーゲンぐらい見せてやろうとフェリーで連れて行ってくれました。丁度フランスのMが来ていました。独身の彼はエスペラント世界大会の後3週間とクリスマスの頃3週間の年2回は彼女の所で過ごすと言っていました。

 フェリーのの上でMがスウェーデンのデンマークに対する独立戦争の話をしてくれました。凍りついた白い海の上で飢えに苦しむスウェーデン人は捨て身で戦いを挑み独立を勝ち取ったこと。その戦いの成果として貧富の差の少ない福祉国家を目指し現在に至ったことなどを知りました。またコペンハーゲンまでの海岸線の旅も楽しかったです。お昼は海岸で彼女の焼いたケーキをいただきました。夜遅く寝たはずなのに夜中に作ったようでした。

 いつも、あなたの場所があるから訪ねなさいと言ってくれます。夫婦ともども大柄で沈着冷静、一見すると冷たく見えますがとても暖かい人たちです。便りにはもう大会には参加できないとありました。2011年エスペラント世界大会はコペンハーゲンです。確か今は橋があるはずです。彼らの住むヘルシングボリまでバスか鉄道で行けるでしょう。年老いた彼らに会えるのは来年しかないかもしれないと思い始めています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラオスの甑(こしき)

2010-12-07 13:25:25 | 家族・友人・私

 ラオスの話をそろそろ終わらせたいと急いでいます。私が興味を持ったことをいくつか書いておきたいと思うのです。

 まず、餅米を蒸す甑について。

2種類ありました。

これが主に使う形です。日本のと同様、下の中央にはすのこを入れるようになっていました。大きさはさまざまです。日本のは木製で寸胴だと話したら喜んでくれました。なべの形もユニークです。

 上の形の籠も蒸し器として使えるそうですが、主にざるとして米を洗った時に入れているようでした。5カップほどのコメが30分で蒸し上がるそうです。お互いに違う言葉を使いながら女たちばかりガヤガヤとおしゃべり、蒸し器を通して親交を深めました。残念ながら材料はなにかかは分かりません。バナナの葉やヤシの葉でも作れそうです。竹より柔らかそうでした。

 ラオスで困ったことが二つありました。

 一つは車を降りる時、道路を渡る時に手を差し伸べてくれることです。日本人は人に甘えることに慣れていないので、最後まで戸惑いました。

 もう一つはトイレです。必ず素足で入ること、決して紙は流すなと息子に厳命されました。トイレとシャワーが一緒になっていてタイルの床が濡れています。使用する紙と使用済みの紙や足ふきなどを入れる袋を持参しました。床の水が汚れていないことは分かっていても濡れた床を裸足で歩くのはあまり心地よいものではありませんでした。

 最後に出発直前に飛行機の出発および帰国時間を変えねばなりませんでした。帰りのタイのバンコクで9時間待ちとなりました。突然の事バンコクについての情報もありません。’Lerunu’で見つけたタイ在住のエスペランティストに手紙を書いたら、空港から市内への行き方及び交通費、短時間で行ける観光地などの情報をすぐに送ってくれました。ラオスで余り沢山あそんで疲れていたのと、息子たちが止めた方がいいと思うけどと消極的にでしたが不賛成でしたので、結局は街に行かず空港で眠って過ごしました。でも、数日で情報が貰えるエスペラントの世界は凄いなあと嬉しく、感激しました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする