Esprit de TSUKUBA

つくばエクスプレスが開通して沿線はバブル期のような開発ラッシュ。首都圏入りしたつくばのすてきなつくばスタイルの紹介です。

思い出の土浦

2008年01月31日 | 思い出のつくば
木枯らしの中,土浦駅とウララビルを結ぶ陸橋の欄干に持たれながら旧丸井方面を眺めてみる。休日にもかかわらず歩く人は少ない。夏には,駅ビルウイングも土浦駅から撤退する一方で,秋には郊外にイオンショッピングセンターがオープンする。駅前周辺はますます淋しくなるかもしれない。昔駅ビルがなかったころは,駅構内には街頭テレビがあって,力道山のプロレスに見入っていた。ポーッという音と共にSLがやってきた。一方でまだ筑波線があったころには,駅員さんが遅れた乗客を呼ぶ声が聞こえる。ローカルだった。駅前の丸い噴水に腰掛けながら,アイスキャンディを食べたっけ。ウララビルがある所には,つかさデパートがあって,いつも屋上から軍艦マーチが流れていた。さすが軍都土浦と言っていた。りそな銀行がある所に西武デパートがあって,屋上遊園地で遊んだものだ。今では,夜は居酒屋が増えて,雰囲気が大きく変わってしまった。特に,丸井,西友,小網屋の撤退が痛手かな。モール505も空き店舗が目立つし。近頃そんな街を散策している。角かどには,思い出がいっぱい詰まった街だから。

■土浦駅周辺の歴史
1895年(明治28年) ☆日本鉄道土浦線(現常磐線)の駅として開業
1912年(大正元年) ☆小網屋開業
1918年(大正7年) ☆筑波鉄道開業
1958年(昭和33年) ☆西友土浦店開店
1964年(昭和39年) ☆京成百貨店開店
1967年(昭和42年) ☆丸井土浦店開店
1983年(昭和58年) ☆3代目橋上駅舎完成。駅ビルWING開業
1985年(昭和60年) ☆高架道(土浦ニューウェイ)開通。モール505開業
1987年(昭和62年) ★筑波鉄道線廃止
1989年(平成元年) ★土浦京成閉店
1997年(平成9年) ☆ウララビル開業。イトーヨーカ堂移転
1998年(平成10年) ★西友土浦店閉店
1999年(平成11年) ★小網屋閉店
2004年(平成16年) ★丸井土浦店閉店
2008年(平成20年) ☆イオンショッピングセンター開業

こうして,主な流れを見てみると,1985年が転機だったかな。結果的に高架道の建設とモール505が失敗だったかも。1985年は,科学万博が行われ,1987年には,合併してつくば市が誕生した。今年のイオンショッピングセンターのオープンが起死回生となるか。


消えゆくドライブインシアター

2007年10月24日 | 思い出のつくば
マイカーに座ったまま、巨大スクリーンを見ながら気軽に映画を楽しめる「ドライブインシアター」が、姿を消しつつあるという記事を読んだ。
クルマの間を縫って、ローラースケート嬢がバーガーを運ぶ姿は、まさにアメリカン・グラフィティの世界だ。実際には体験したことがないけれど…。
全盛期の90年代初頭には全国で20カ所以上あったそうだが、1981年に全国で初めて設置された船橋のららぽーとのシアターも10月31日で閉館だそうだ。
残るのはドライブインシアター大磯の1カ所だけとは。
映画衰退の時期にあって、起死回生の策の一つとして生まれたものであるが、シネプレの発達とともに、短い役割は終えたということか。
思い起こせば、つくばにも今はなきダイエーの屋上にドライブインシアターがあったのだ。ダイエー筑波学園店は、1985年のつくば万博の年にオープンし、TXの開通を待たずに、2002年、17年間の歴史に幕を閉じた。今はデイズタウンという複合ショッピングセンターになっている。
そのダイエーの屋上にドライブインシアターがあった。実際に上映されていた期間は、数年と短かった気がする。久しぶりに屋上に行ってみたが、その痕跡は残ってていなかった。
ワイルドブルー横浜、ザウスなどなどバブル期の良き日本を象徴する施設が次々と閉鎖となり、夢のない閉鎖的な日本になりつつある。夕暮れに、残存するスクリーンのシルエットを見ながら、沈みゆく日本の姿を重ね合わせた。

つくば科学万博クロニクル EXPO'85

2005年03月13日 | 思い出のつくば
愛・地球博の開幕を控え、万博関連の書籍が店頭をぼちぼち、
にぎわしてきたかなと思っていたら、
やはり、ありました、この本。

洋泉社から2月8日に発売で、1260円です。
ちょっと高いかなと思うけど、約160ページの中身は、
楽しい思い出がいっぱいです。
ちなみにクロニクルとは記録って意味です。

つくば博については、おいおい思い出をつづっていこうと思うけど、
映像博としては、ある意味完成されていた気はする。

ともかく、日本がまだ元気だったころだから、
愛・地球博のように、難しいテーマを設定する必要もなかったと思うので、
夢は大きかった。

人工知能やロボット、リニアモーターカーなど
日本を元気にする源はあちこちにかいま見られたと思う。

残念なことには、つくばの知名度、開催場所、天候など条件が悪かったので、
かろうじて、2000万人の入場者は確保できたものの、
本当は、もっと多くの人に見ていただきたかったのが本音の所かな!

17日には、開幕20周年を迎えるわけだが、毎日会場跡地を
通勤している僕にとって、感慨深いものがある!

さようなら JOY PACK

2005年02月27日 | 思い出のつくば
つい先日、JOY PACKの思い出を書いたところなのに、

今日近くを通りかかったら、
なんと隣のエクセルビルに呼応するかのように、
JOY PACKの取り壊しの工事が始まっていた。

跡地にないができようとも、
これは、これは、思い出をしっかり語りつないで行かなければと、
改めて思った次第である。

さようなら青春
さようならJOY PACK

そして、カムバック80年代!

つくばの思ひ出2 A memory of TsukubaⅡ~JOY PACK

2005年02月19日 | 思い出のつくば
今取り壊されようしているエクセルビルの隣にJOY PACKがあった。

1980年代を代表するTSUKUBAのぶんかの発信基地として、
華やかさを誇っていたものである。

JOY PACKは、昔の姿をそのままに、
今静かに新しいつくばの発展を見つめているようだ。

JOY PACKは、初めは映画の見られるレストランとしてスタートした。
スクリーンに映し出される名画を見ながらの食事は、
それはそれで初めての新鮮な経験ではあったが・・・

やはり、食事をとるのでやけに明るかったことと、
邦画は皆がしゃべりながら食事をするので、
せりふが聞こえなくて参ったことを思い出す。

メニューはアメリカンカジュアルって感じかな。
若者対象だからそれほど高級ではなかった。

映画は5日間ぐらい連続で上映する仕組みで、
もちろん最新の作品ではなく、
残念ながら、どんな映画を見たか全く思い出せない。

そうこうしているうちに、世のディスコブームとともに
JOY PACKもディスコに代わっていった。

夜な夜な時間ともなると着飾った若者が待ち合わせか集まり初め、
真っ暗なつくばの風景の中で、
ここだけスポットライトが当たっているようだった。

隣のエクセルがカジュアルな服装でも大丈夫だったが、
JOY PACKは、一応年齢制限と服装チェックがあった。
でも、アメリカ人の高校生を連れていったときは、
そのままオッケイだったが・・・

入口を入ると受付とクローク、
中に入ると真ん中が、テーブルやいす。
奥が一段下がってダンススペース、そして、一番奥のガラスの中にDJかな!
お立ち台は左右に2基。これは後から追加されたものだ!

また、左側に料理やドリンクのカウンター、
右側奥にVIPルームがあり、ガラス越しにフロアが覗けてものだ。

世はまさに、バブル時代、ジュリアナに代表される大ディスコブーム!
センスの師匠まで来店し、トゥナイトの放送では、
筑波大学の小田先生まで登場し、
ブームの心理学的解説をするに至っては、なんとも異常であり、
楽しい時代でもあったのだ。

しかし、バブルの崩壊とともに、踊りもパラパラが主流になるや、
僕たちの足も遠のいていった次第である。

今、JOY PACKの入口には、
料金表がそのままの状態で掲示してあり、往時を忍ばせる。

料金表

夜などふと足を止めるとタイムスリップしたような不思議な感覚にとらわれる・・・


つくばの思ひ出1~エクセル

2005年02月12日 | 思い出のつくば
今日、銀河スクエアビルの脇を歩いていたら、ビルの一角が崩されているのを見つけた。
ビル全体を壊してしまうのかは不明だが、ビルが閉鎖されて久しい!
リニュアルの計画でもあるのだろうか?

銀河スクエアビルといえば、その昔、つくばにあっては複合レジャービルのはしりであった。
パチンコ、ゲームセンター、飲食店、ディスコなどなど・・・。

よく行ったのは居酒屋「侍」、一回も行けなかったのは、
名前は忘れたが、会員制の高級クラブ。

また、ライブハウス「29BAR」があり、ミュージシャン自身の運営による
画期的なライブハウスだったが、フィフティーズのお店「リバティ」となり、
それなりににぎわっていた。
いろんなバンドも来ていたが、「キッスは目にして」で有名なコニーが、
一番、懐かしくも印象深い!

3階には、今では考えられないが、「エクセル」という巨大なディスコがあった。
黒服のお兄ちゃんに向かえられ、更衣室を過ぎると
そこは、田んぼだらけのつくばにあっては、異次元の空間。

ジュリアナ、ベルファーレほどではないにしろ、
広いステージとレーザーを多用した照明は斬新だった。

万博の時などパビリオンのコンパニオンでいつもにぎわっていた。

そんなほろ苦い思い出とともにつくばも新しい時代を迎えようとしている!