戦後敗戦のどさくさの中で、多くの種の保存衝動があった。
いわゆる戦後の第一次ベビーブームである。
戦争が終わり戦地から次々と帰還した人たちは、青春を取り戻すべく、競って結婚し、そして当然のごとく、多くの出生をもたらしたのである。
何せ330万人もの日本人が先の太平洋戦争で命を落としたのである。
当時の日本の人口は72百万人だったから、なんと4.6%の国民が戦争で亡くなったのだ。いかに先の大戦が狂気の沙汰であったのかが偲ばれる統計ではないか。
そして国家存亡の危機の中で、1950年までは産めよ増やせよ政策ではなかろうが、法律により避妊と堕胎は禁止されていたのだそうな・・・。
そんなこともあってか、一時期に「ワッ」とたくさんの同胞が誕生することになったのであった。
1947年から1949年の間に生まれた約800万人を、堺屋太一氏はその著書の中で「団塊の世代」と名付け、以降その呼称が定着したのだという。
そんな中で戦後生まれの団塊の世代は独特の価値観を保有して、それまでの戦前教育世代の共通の価値観である「せめて人並みに」というものから
戦後の民主化教育の洗礼を受けて「自分なりに」という個を優先する価値観に変わったのだという。
良くも悪くも戦後の我が国の社会構造を牽引し、その役目を終えようとする現在、今度は社会保障の面においても団塊の世代は大きな問題となっている。
かって高度成長期においては「金の卵」ともてはやされ、戦後の日本経済の牽引役を担い、多くの仕事命型のモーレツ社員を輩出し世界に冠たる日本経済を確立するに至った団塊の世代は、まるでボロ雑巾のように働くだけ働かされて、やっと一息つこうかという時期になると、年金は減らされ、まだ働けるのに仕事もなく、といった老後を迎えようとしているのである。
所謂2007年問題である。かっては競争の世界の中で、切磋琢磨してニューファミリーなどと揶揄されながらも必死で子育てを成し遂げ、やっと優雅な老後を過ごす段取りになったというのに、社会構造上でいえば、やっかいもの扱いといえなくもない。
そんな団塊の世代の象徴はビートルズなんである。
そして年老いて暇を持て余すと身近なレジャーが温泉ということになる。
ビートルズと温泉を結びつけた今回の街おこしイベントで、武雄市をぐんぐんとイメージアップして、全国からお客様を誘致できないものか・・・・。
みんなで考えようではありませんか・・・・。
現在発起人賛同者12名・・・JCにも旅館組合飲食店組合にも、商工会議所にも働きかけをせねばなりません。
8月のお盆過ぎに発起人のための発起人会を開催して、骨格を決めたいと思っております。
どうかあなたのお力を街おこしにお貸しください。
団塊の世代ではないですが、できる事はなんでも
是非仲間に入って下さい。
千人切り・・・じゃなかった千人力です。
そして武雄人倶楽部の皆さんにも・・・。
とぜんなかっ隊の皆さんにも・・・・
オールタケオで。
イクイクひでちゃんでした。
色んなパワーを必要としますので
是非ご意見を・・・・