奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その356)

2017-08-15 01:29:35 | 奈良・不比等
歴史ファンタジー小説・北円堂の秘密
興福寺・北円堂を知らずして古都奈良の歴史は語れない

奈良博・北澤菜月(きたざわなつき)女史の「恵心僧都源信と浄土信仰の美術」なる講演を「仏教文化講座・興福寺会館(平成29年8月12日)」にて聴いた。奈良博では「源信の伝えた地獄極楽への扉~千年忌記念特別展(平成29年7月15日~9月3日)」を開催中で、宣伝を兼ねていたようです。-----
比叡山の僧であった源信が「往生要集」を表して天台浄土教を世間に広めたのであるが、その芽生えは生地(奈良・当麻付近)の当麻寺の当麻曼荼羅信仰に由来しているとのこと。------
源信が何故阿弥陀浄土を一番と考えたか、東方の瑠璃光浄土や弥勒浄土を選ばなかったかについては説明が無かった。-----
分かるのは日本人の単純思考で、何でも彼(か)んでも一つに絞り込んでしまう癖がある。浄土にしても東西南北・四方にそれぞれの浄土があるにも拘らず、西方・浄土だけに頭を向ける、そしてその他の浄土は覚えようともしない。源信の往生要集には弥勒浄土などもあると併記しているそうであるが、後世の宗派祖師たちは自派が一番としてそれぞれに信者獲得に走った。そのために浄土教などは過激な一向一揆などを招来した。
南都仏教と浄土信仰は無関係のようであるが、奈良県内でも浄土信仰は庶民に流行したようだ。
天台密教から発生した天台浄土教は、インドで仏教がヒンズー教の影響を受けて密教化した証拠とも云えるものであり、観音信仰などもヒンズー教の影響そのものであるようだ。
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