奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その98)

2016-11-30 08:34:15 | 奈良・不比等
観光立国の施策の一つに世界遺産と国立公園を組み合わせて外国人観光客の誘致を図ろうとする案が出されているようだ。外国人観光客がリピーターになってくれるには世界遺産だけであれば一度観れば十分ってことになるので、周辺の温泉地や風光明美な保養地を用意すれば滞在型にもなるのではとの期待をしている訳である。そうすれば、雇用が生まれるので、地方創生(ちほうそうせい)の役に立つだろうと。-------
世界遺産・古都奈良の場合、直近に適当な温泉地は見当たらないが、奈良県の周辺・近畿地方には彼方此方(あちこち)にある。和歌山県の白浜温泉でも、兵庫県の城崎温泉でも、三重県の湯の山温泉・榊原温泉などがある。-------
但し、風光明美な保養地となると、伊勢志摩まで行かねばならない。奈良県内の吉野熊野国立公園では確かに風光明美ではあるが、滞在できる宿泊施設が少ない。何れにしても奈良県だけで実現できる程、観光立県と云えども簡単な施策ではない。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その97)

2016-11-29 09:36:49 | 奈良・不比等
世界遺産「古都奈良・平城宮跡」を歩いて、6年前に開催された「平城遷都1300年祭」の案内板(大極殿・入口案内など)が残っていることに気付いた。確か塩野七生(しおのななみ)女史の「海の都の物語(ヴェネツィア共和国の一千年)」には、世界史に登場し、どれほど繁栄を極めた帝国でも1000年を超えると駄目になってしまい、1300年間が限度だと書かれている。日本の国家としての完成は、平城京遷都(西暦710年)の頃であり、1300年経過すると丁度西暦2010年になり、その節目に当たり、古都奈良では「平城遷都1300年祭」を開催した訳である。--------
明けて2011年3月11日には、塩野七生女史の予言が的中したかのように東北大震災が発生し、日本は大打撃を受けた。-----
これからの世界は国境の無いグローバルな世界となるのだろうから、国家自体が消滅する方向に進んでいるのであろうか。それならば、日本もその流れに抗することは出来ないのかも知れません。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その96)

2016-11-28 00:33:58 | 奈良・不比等
奈良県は将来、世界遺産「古都奈良」などから観光立県として成功するのは疑いの無いところだが、喫緊の問題として県北部に住する老人世代・70万人の行く末についての心配が大きい。------
解決策の一つとして、健康な元サラリーマン老人に自活できる農場を無償で与え、其の内に余命が尽きれば次の老人に向けて老人向け班田収受の制度を設ければ奈良県では余剰住人70万人のうち5~10万人は減らせるだろう。また南部の林業にも拡げれば、そちらでも5~10万人は暮らせる。これは養老孟司(ようろうたけし)先生のご本に登場する現代版の都会と田舎の参勤交代とも云えるものだ。既存の農地の内、休耕地や耕作放棄地を例えば99年間、行政が借り上げて、シルバー・コルホーズとし、元体育会系の老人たちが仲良く耕作する機構を作ることが出来れば、田舎の生活に耐えられない人も当然多いが、対象世代人口の3割程度は片が付くと考えられる。しかし、全員が江戸時代の農本主義に戻れる程の土地は日本の国土には無い。------
将来、リニア新幹線が奈良まで開通しても、その時、空からお札が降って来るようになっても、観光立県だけで養える人口は数10万人と云う処だろう。とても70万人を食べさせて行ける程の経済規模は期待できない。関西の経済圏が今後更に縮小して行くのならば、奈良県としては京阪神のベッドタウンとしての機能を返上せねばならない。奈良県独自の資源並びに土地生産性からトータル70万人までは請け負えるだろうが、現在の140万人は如何にも多すぎる。2倍の大きさだから、出来る限り適正人口に縮小して行くようにした方が良いだろう。それまでの繋ぎの施策(シルバー・コルホーズなど)は重要なのであるけれども。
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その95)

2016-11-27 08:37:58 | 奈良・不比等
先日、古都奈良の興福寺・国宝館や東金堂の文化財に液体が掛けられているのが発見された。心無いことをするものだと誰しも思ったことだろう。-------
歴史を振り返ると平重衡(たいらのしげひら)や松永久秀(まつながひさひで)の東大寺焼打ちや織田信長の比叡山焼き討ち、山名宗全と細川勝元の応仁の乱(京は灰燼に帰した)など、超一級の文化財の消失の事例は数多い。-------
近いところでは金閣寺や法輪寺・三重塔、法隆寺壁画の消失が痛々しい。-------
今日残っている文化財は、度重なる自然災害や人災にもめげずに、建物は再建され彫像は造り直されてきた。今目にしている数十倍の数量の文化財が歴史の中に消え去ったことだろう。数少ない現存する文化財への愛着は、美術の教科書を眺めた小学生の時代から私達の記憶に残っている。修学旅行で教科書で観た古都奈良の文化財を観た時の感動は頗る大きい筈だ。本当に今に残る数える程しか無い文化財はとても貴重であることが分かるだろう。世界遺産の古都奈良でも数え切れない程の数の文化財がある訳ではない。皆が認める良い文化財は限られている。--------
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古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その94)

2016-11-26 18:44:41 | 奈良・不比等
奈良テレビの放送(ならフライデー9・平成28年11月25日)で、「笑い飯・哲夫(わらいめし・てつお)」が奈良の交通の歴史を変えた「近鉄」を取材する番組を観た。-------
「地方へ行くと、鉄道ではJRが圧倒的な交通網で地域の人々の足となっていますが、奈良では近鉄が大きな存在感を持ち、歴史的にもその沿線にそう形で街が作られてきました。また社寺が数多く存在する奈良の状況も俯瞰し、近鉄は路線を延伸していきました。奈良の発展に大きな役割を果たしたといえる、鉄道・近鉄を考えます。」--------
近鉄の奈良線沿線の住宅地開発により、奈良県の人口が70万人増えて、現在140万人となっている。これらの住宅地は京阪神のベッドタウンとして機能してきたが、今や老齢人口の集住地となり果てた。老人だけの街になると奈良県や市町村の税収は大幅に落ち込み行政サービスの支出のみが突出し、夕張市の様な破綻の危機が迫ってくる。既に黄色の信号の処もある。この人口増加の始原的な責任は戦後の近鉄の沿線の住宅地開発にあるのだが、そう云って見ても詮無いことであるが、当時、近鉄の口車に乗って今も住んでいる沿線の住民(戦後の外来人)の責務は果たしても可笑(おか)しくはない。故郷納税するなり、地元奈良県で散財するなり、経済的貢献をすべきである。----
奈良県の元(戦前)の70万人(江戸時代は40万人以下)は観光と伝統産業と地産地消の農業で生きていけるが、戦後、奈良県に住みついた近鉄沿線の住宅地に住む人々(外来人)のための仕事は無いし、老後の面倒を見ることもできないと。-----
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