龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

相聞歌2019年(9/26~9/30)

2019年06月29日 16時58分33秒 | 相聞歌
9/26(水)

186
あれこれと薬の量だけ増えていく老いるとは生を他者に委ねることか(た)


187
雨粒の描く円に思い出が浮かんでは消える秋淋の午後(た)


188
校内の長い廊下に靴音を響かせ歩く自分の夢みる(た)



9/27(木)

189
教育学部で出会って42年今日は二人の最後の授業(た)


190
ひたすらに緑の平原駆け抜けて暗黒の空へジャンプしたき夕(ゆうべ)(た)


191
いつもなら脇におしやる体調をいちいち気にする老残の冬(た)


192
唐突に終わるからこそ目に映える退職の日の秋の青空(ま)



9/28(金)

193
幾冊も本を広げてプリント創る知のタペストリー織るかのごとく(た)


194
少しだけ残った荷物を取りに来た生徒のいない学校広し(ま)



9/29(土)

195
生死(しようじ)の海渡る漕ぎ手は自分のみオールよ歌え私の叙事詩(た)


196
施設へと入る老母の引っ越しは30年分の荷を捨てる業(わざ)(ま)



9/30(日)

197
明日よりは自分のための暮らしなり本当に欲しかったものを握るための日々(た)


198
明日から一緒にここで飯を食うこともなくなる母の横顔(ま)

昨日仕事の先輩から
「奥さんは二つの『死』と向き合っていたんだね」
と言われた。
教師としての終わりと、生命の終わり、その二つが表出されている、という感想をいただいた。
確かに
186,187,189~193,それから195か(私の退職も含めて二人の)仕事の最期と、そして自分の生命の終わりに向き合おうとしていた様子が伺える。

190は特に感慨深い。
彼女はいつも自分の人生を、白くて小さな獣が草原をひたすら走ることに喩えていた。その、旅の終わりが 「暗黒の空へジャンプしたき」だったんだ、と改めて思う。
それは単なる絶望の暗喩ではなく、一つの 「終わり」であり 「解放」でもあったのかもしれない、彼女のいつもの口調を思い出し、そんな風に思ってみる。

『いつもそばには本があった』読書会まとめ

2019年06月28日 16時19分51秒 | 大震災の中で
先日(2019/6/22)に福島の文化堂二階ペントノートで開催したCafé de Logosの
國分功一郎×互盛央
『いつもそばには本があった』
の読書会まとめを、世話役の渡部純さんが書いてくれました。
私自身の感想も書かねばならないのですが、私事に追われてなかなか書けません。
こちらにまとめがありますのでぜひご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/cafelogos2017/e/04c27975c758ee6b5f6581b087a25d50


相聞歌2019年(9/21~9/25)

2019年06月28日 12時33分49秒 | 相聞歌
9/21(金)

177
十八で弾いた曲を指先の記憶を頼りにさぐる雨の日(た)


178
しみじみと引っ越し準備の果てなさを噛みしめている秋の夕暮れ(ま)


9/22(土)

179
アウトレット目指し心も泳ぐ鰯雲秋を突っ切れ高速道路(た)


180
施設への入所が決まった母の報告まだ書けずをり兄へのメール(ま)



9/23(日)

181

包丁で断ち切る如き退職劇も他人事のような秋の黄金田(た)


182

こんなとこ行くもんじゃないねと言っていた施設に来週入居する母(ま)



9/24(月)

183

すすき揺れ団子は皿にうず高し中秋の月は薄雲に隠れぬ(た)



9/25(火)

184

午前三時肩を寄せ合い待つ廊下崖を転がるごとく悪化する病い(た)


185

夜半過ぎ苦しむ妻を脇に乗せ暗闇を駆るクルマよ疾(はし)れ(ま)

177
ここで弾いたのはベートーベンかショパンか?
本人が大人になってからピアノの前に座るとよく弾いていたのはワイマンの 「銀波」だった。
https://youtu.be/vRkio6GSqDo

179
50才を過ぎた頃から、骨董市やアウトレットによく出かけた。

アウトレットは
佐野か阿見、時々那須。

骨董市は
平和島全国古民具骨董まつり
(東京流通センター)
大江戸骨董市
(国際フォーラム前)
を主に、
横浜骨董ワールド
(パシフィコ横浜)
骨董ジャンボリー
(東京ビッグサイト)
なども時々。

また幕張メッセで5月の連休中に開かれる大きなフリマもお気に入りだった。

時には地方のがらくた市も訪ねたが、いずれにしても、アウトレットなら7割引以上、骨董市なら1000円以下の 「逸品」を探すのが妻の一番の楽しみだった。

「モノがその持っている力を発揮出来ないでいるのは我慢できない」
が口癖だった。着物を買っては勤務校の文化祭の演劇衣装にしたり、古い人形を買っては

「これは刀を持っているから武士だけど、衣装やお歯黒の様子からいえば平家の若者ね。
手には何も持っていないけれど、何かを手に持って眺めているようだわ。となると平の敦盛(平家の武将で笛の名手)かな……」

などと見立て(想像)を膨らませ、小さな人形用の笛(雛壇飾りのものか?)を探してきて持たせたり、そんなことをやって遊んでいた。
短歌にはあまり骨董のことは出てこないので、ここに記しておく。

184と185は、9/25の午前一時頃、どうしても呼吸が苦しいということで、深夜初めて救急外来にいったときのこと。
何日か前から苦しかったのだそうだが、この夜はとても落ち着いて家にいられる状態ではなく、私がクルマで連れて行った。
この時が治療の間ずっと苦しめれれる胸水による呼吸苦の始まりだった。

胸膜の間にがん細胞を含んだ水(胸水)が貯まり、肺が圧迫された状態である。
この呼吸苦は、必ずしも直ちに呼吸困難を引き起こすものではないらしいが、体を横にして寝ることが出来ない状態が続くので、精神的にも体力的にも厳しくなっていく。

一方私の方は退職が9/30に,母の施設入居が10/1に迫り、妻との同居に向けて準備が何かと慌ただしい時期だった。
このあと10/3に妻を義姉の家からこの隠居所に迎え入れ 「じいさんばあさん」の暮らしが始まることになる。

相聞歌2019年(9/16~9/20)

2019年06月24日 21時01分48秒 | 相聞歌
9/16(日)

168
魂と肉体の谷間に白い靄たちこめて知らずこれからの道(た)


169
引っ越しが3つ重なる退職期仕事の方が楽だと思う(ま)


9/17(月)

170
薬効は見える数値を残せども薬害は見えない心をむしばんでゆく(た)


171
友人の如(ごと)付き合うと言いつつもときには病と絶交したい(ま)


9/18(火)

172
好きな道好きな食べ物好きな色退院帰りの秋のドライブ(た)


173
真夜中にふと目が覚める時もあるトイレでもなく悩みでもなく(ま)


9/19(水)

174
通勤日残り数日に驚きぬ大学時代にワープとは夫の言(た)


9/20(木)

175
秋らしい晴天に洗濯物なびきけり憂いの湿り残さず乾け(た)


176
退職後の仕事は庭の草刈りとゴミ出し洗濯掃除に食事作り(ま)


168治療によって逆に苦しめられるという抗がん剤の副作用に対して、妻はいつも違和感を抱いていたようだ。加えて、病気と治療の行方が分からないもどかしさは、当然ながら精神的な負担だ。
再発卵巣癌は標準的治療としては化学療法以外に選択肢がなく、しかも明細胞腺癌は化学療法が効きにくいと言われる。その前提の中で、もちろんやってみなければ分からないにしても、体力と気力、どちらも限界まで治療を続けていかねばならないのか……という疑問は、通奏低音のように私たちの心のすみに響いている。常時そんなことをかんがえているわけではないのだが。

169、息子が妻の実家から隠居所へ、妻が姉の家から隠居所へ、母が施設へ、そして私の(中途)退職と、いろいろな動きが病気によって引き起こされてくる。
妻の病勢があまり良くない中で様々な準備が必要で、今から考えると、結構なストレスがこのあたり掛かっていたかもしれない。
当時は夢中で毎日をすごしていたけれど。

170,175は鬱々として晴れない気持ちを詠んだもの。抽象的な抗がん剤治療に対する違和感が素直に出ている。その上腫瘍マーカーは目安に過ぎないから一喜一憂しないように、と言われても、何を頼りに治療を続けていけばいいのか。そういった精神的な不安は、次第に治療と本人の気持ちとの間の乖離を生んでいく。
それが単に個人的な問題ではなく、構造的な問題だということに思い当たるためは、もっと先まで待たねばならないのだが。

172は、ドライブ好きの彼女らしい一首。好きだったのは
植田→遠野→湯本→渡辺町→植田という一時間弱の周回コース。
色はだから季節ごとに変わる山の緑のことだったろうか。



相聞歌2019年9/11~9/15

2019年06月22日 13時26分51秒 | 相聞歌
9/11(火)

158
看護師と我と途方に暮れる探せども刺せども入る血管なし(た)


159
見通しが立たないままに日は暮れて夕餉の梨の一切れ甘し(ま)


9/12(水)

160
にぎやかに手を振り見送る退院日この笑顔にまた会えるのだろうか(た)


161
過ぎてゆく時を振り返る日は来るのかいまここをひた歩く我らに(ま)



9/13(木)

162
身じろげば水の鎖の絡まりて沼のごときベッドに沈む(た)


163
施設には持って行かぬと言いながら服を手にして迷う母の手(ま)



9/14(金)

164
ロードスター老いた愛馬の行く末を引き受ける友に頭下がりぬ(ま)


165
サ高住の一人暮らしもいいものといいつつトラブルを検索する母(ま)


9/15(土)

166
治療も体にとってはよけいなことのひとつらしいすべての労苦振り捨てて眠りたし(た)


167
退職後の職場を気遣うぐらいなら辞めんじゃあないよと自分に突っ込む(ま)


158
入院治療が続いた人なら分かるだろうが、次第に点滴屋採血をする場所(血管)がなくなっていくのである。ただ、どの道にもプロは居るもので、どうしても、というときはその看護師さんにお呼びがかかる。妻の血管は看護師泣かせだったようだ。
救急の方は(その方は一発必中だったが) 「私見だが、貴女の静脈は見かけより深いのかもしれない」とコメントしていた。

159は、ただ夕方仕事帰りに寄って脇に座ることよりほかに何も出来ない(洗濯物とか小物のやりとりはあるにしても)徒然の中で、病気も見つつ家族の日常も見つつ、という様子。

160は、婦人科に入院している患者は、ガン及び再発ガンが多い。特に親しくなる顔なじみは後者だったるする。
その笑顔にまた会えるか、というその歌を見る旅、私もまた同室だった方の笑顔を思い出す。
妻を見送った人たちもまだ元気でいるのだろうか……。

161
今こんなことをしているよ、とあのころの自分に行ってやりたい訳ではないが……。

162
この水は胸水のことか。
次第にしんどくなってきている様子が分かる。
今見ても、辛そうな彼女のことを思い出すのは辛い。

164愛車ロードスターを引き取ってもらう知友人が見つかって喜んでいる様子。手放すまで、妻がそんなにオープンカーが好きだとは知らなかった。

166
162の体調たけでなく抗がん剤の苦しみも募ってきたのだろう。

映画『ザ・ファブル』を観た。

2019年06月21日 15時34分51秒 | メディア日記
映画がいいんじゃないかな、と知人に勧められた。
確かに映画館の暗闇にいるときに、映画を観る以外のことはなかなか出来ない。 「観ないで寝る」ことは可能だが、その選択肢を選べるのはそれは映画が面白くなかった時だけだ。つまりそれも映画次第ということになる。

で、今日も映画を一本観てきた。
岡田准一主演、マンガ原作の『ザ・ファブル』
これが面白い。余計なことは全く考えずに、殺さない殺し屋を演じる岡田准一を楽しめばよい。
荒唐無稽も適度に過激なら、 「リアル」を楽しめる。これがマンガの力なのか脚本の出来なのか、監督の演出なのか。ただ、キャスティングは間違いなくステキ!

佐藤浩市、光石研、安田顕、柳楽優弥、佐藤二朗など、安心してみていられる役者がいるから、二時間観ても長すぎて困ったりはしない。つまらないシーンは役者を愛でていれば足りる。

そして!そんなに目のやり場に困るほどひどい かつての「日本的アクション映画」みたいなことはなかったです。
後半銃声鳴り響いているので、出来れば劇場でどうぞ。

ある意味で今時のテレビドラマより単純な作りですが、悪くない。

きわめて個人的な趣味としては、この中の超かっこいい格好俳優二人が因縁の戦闘をして、どちらが勝ち残るか、という映画をかつての『ヒート』ばりに観てみたいと思ったが、今回はそーゆー映画ではなかった。

ちなみに柳楽優弥の役、クズで素敵。やっぱりいいなあ、この子……ってもう十分おとななんだが。彼のファンもぜひ。

映画『スノーロワイヤル』を観た。

2019年06月20日 16時11分34秒 | メディア日記
何の情報もなく、映画『スノーロワイヤル』を観てきました。
まあストーリー自体はお暇ならどうぞ、というレベルの復讐譚。
ただ、すれ違いと齟齬の中でばんばん人が死んでいくのは、お約束に則った 「痛快」さ。
他方、雪に埋もれたデンバーあたりの山々の風景は文句なしに美しい。
小ネタもいろいろあるから、それを拾うのもあり。

まあ『主戦場』の闘いの方が、自分たちの人生かかってる分スリル満点ですけど。

面白かったのは、客層が
『主戦場』と『スノーロワイヤル』ではかなり違っていて、映画を観る楽しさの一部はそこにもあるかも、と思った。
前者はお暇なインテリ、後者は主観マッチョ=リアル暇なじいさん&おっさん。

いずれも平日の真っ昼間ですからね。いや、みんなにたくさん映画を観てほしいですし自分もその一人だから揶揄するつもりはありませぬ。

ちなみに除雪車は萌えます。
クライマックスちょい前に除雪車カタログの朗読シーンもあって、なかなかBの線としてはいいかも、でした。


面白い!『ラカンの哲学』荒谷大介

2019年06月20日 11時08分17秒 | メディア日記
少し前に買ったまま積んでいた
『ラカンの哲学』荒谷大介
を読み始めた。
実に面白い。まず、
「ラカンによって解釈されるフロイト」についてこれほどクリアな説明を受けたのは人生史上初めてだ、ということ。これはスゴいことだ。

だいたいラカンは私にとってたいそう魅力的にみえながら、全体像を把握するのが体操難しく、様々な概説の説明を読んでも読んでも分からないという印象だった。やむをえないから『エクリ』とかを買ってはみるものの、概説の劣化版的理解を越えるものではない。

ところが、ゲンロンから出た『新記号論』を読んだ後でこれを読むと、びっくりするほどフロイトとラカンの関係がクリアに見えてくる。
素人としてはそういう方向の 「読み」が流行っているの?とでもいいたくなるぐらい呼応している。

『新記号論』のことは今は措くとして、フロイトを読むという一世紀にわたる蓄積と、ラカンを読むという半世紀の蓄積とを、改めて 「今」キチンと関係づけて読み直すと言うことをやってくれているように感じた。

切れ味の抜群な 「訓詁学」とでもいおうか。
フロイトだけでもラカンだけでも今ひとつ霧がかかったかんじだったのが、受け止めるための 「通道」を脳味噌の中でしてもらっているかのようだ。

必要に駆られて読み始めたが、グイグイ読んでいけそうだ。
まあ読了しないと分からないけれど、今のところはとても素敵な出会いです。

相聞歌2019年(9/1~9/10)

2019年06月19日 23時25分47秒 | 相聞歌
相聞歌2019年(9/1~9/10)

9/1(土)

130
身軽さと淋しさつれてひょうひょうと仕事は遊びと夫のたまふ(た)


131
本部付き退職前の文化祭喧噪の中に寂しさを聴く(ま)



9/2(日)

132
もし一人取り残されたとしたならば寒い風が吹きすぎる夜(た)


133
台風で吹き寄せる風ごうごうと焼き尽くせかしこの憂鬱を(ま)


9/3(月)

134
二人で為すことが次の道つくると夫は言う心に小さなともしび灯る(た)

135
一夜明け祭りの後の夢の跡名残りを惜しみ秋の風吹け(ま)


9/4(火)

136
湿り気味の重き心を乾燥す大型ランドリーの回転軽やか(た)

137
温泉に親子三代逗留すこれが最後と幾度目の笑み(ま)

138
高原の温泉宿に親子孫窓打つ雨の音も心地よし(ま)

139
買わなくてよいものを買う道の駅老母の旅はそれが楽しみ(ま)

140
道の駅どちらにするか両方か迷いつついく高原の朝(ま)

141
「施設」なら買わずともよい食材を選ぶも最後かインゲン安し(ま)



9/5(水)

142
天災にあっけなく奪われる命あり生き延びる苦しみ画面に重く(た)

143
文化祭のペンキの跡残る長廊下を豆テストを持ちクラスへ急ぐ(ま)

144
雨降の日は何をしているのかとワイパー動かしつつきみ想う(ま)



9/6(木)

145
水を運びろうそくの灯火囲む夜人の暮らしとぬくもり抱く(た)

146
退職を半年繰り上げ一人去る部屋は静かな空気を抱きて(ま)



9/7(金)

147
台風と地震一色のチャンネルに通常番組が混じる三日目(た)

148
退職の日を夢見てた若い頃甘さと淋しさ教えてあげたい(ま)



9/8(土)

149
山崩れ生と死を分かつものは何答えのなさに時ばかり過ぐ(た)


150
母を連れ施設の面談する前に入った店のラーメン旨し(ま)



9/9(日)

151
嫁ぎゆく姪の荷物をあれこれと姉とそろえる重陽の節句(た)

152
抗がん剤は四度目が辛いと言った妻四年後の今は黙って受けている(ま)



9/10(月)

153
ロードスター手放す淋しさせわしなく軽自動車のパンフをめくる(た)

154
残る日々二人で生きていこうねと誓う我らは幼子のごとし(ま)


155
悔いもなし望みも持たぬ我なれど二人して生きる時よ長くあれ(ま)

156
望みなど無くただ二人もう少しもう少しだけ生かされていたい(ま)


157
憐憫に浸る暇無く行く日々を幸いとみる我を言祝げ(ま)


2018年の9月~10月にかけては、台風21号による北海道を中心とする大きな災害(9/5)、職場の高校の文化祭(9/2)、私の退職(9/30)、母の施設入居(10/1)、姪の結婚(9/9)、呼吸苦による夜間の受診(9/25)など、様々なことがあった。

歌を見ていると、一つ一つ当時のことを思い出す。


153にもあるマツダロードスター、妻のクルマだったが、この歌で初めてそんなにも気に入っていたのだと知った。
阿蘇の草千里も伊勢神宮も白神山地もこのロードスターで行った思い出のクルマだ。
妻は亡くなる三日前までドライブに出かけていた。もちろん運転は私だが、窓の外の流れる風景を見ていたかったらしい。
二人の退職を機に手放し、燃費の良い軽自動車を買うことになっていた。
今考えるとそんなことをしなくても良かったのかな、とも思うが。

132,134,136は、彼女の気持ちが、見えてきて泣きたくなる。妻の歌はどれもそうなのだが、このあたり、読むのが少し辛い。
仕事を辞めて二人で24h一緒にこれから生きていく、という寄り添いの気持ちと、まだ治療に期待しつつしかし先の見えない切なさを二人とも抱えていたのが、よみがえってくる。



映画『主戦場』を観てきた。

2019年06月19日 14時18分11秒 | 大震災の中で
偶々ぽっかりと福島市で3日間過ごすことになった。
昨日はこれもたまたま駅前で友人と出会い、軽く酒飲みしながらグチ聞き大会になった。

上手くいかないことはそれこそ星の数ほどあって、そういう 「ウンコ」なことでほぼ日常の 「業務」は埋め尽くされている。

決してシンプルな答えは出ないし、快刀乱麻を裁つような名案が見つかったときは むしろ 「危ない」デロデロした泥沼のような日常の中で、何がしたいのか見失わないようにするのが精一杯だったりもする。

それぞれに守るべきものがあり、自尊心ややるべき方法、理想なんぞというものさえ各自ふんだんに抱えてもいるとしたら……。

昨夜聞いていたグチとさっき観た『主戦場』という映画とが、今私の頭の中で少し響き合っている。

杉田水脈(みお)とか桜井よし子とか、藤岡信勝とかいった人たちの語る話をマジメに聴いたのは実はこれが初めての体験で、これは正直非常に興味深いものがあった。

彼らの主張は正直なところ私の立場とは遠くかけ離れていて、普段真剣に聞く気にもならない。

だが、暗闇に独りポツンと置いておかれ、音と映像を次々に繰り出されていく 「映画」というマゾっぽいメディアだからこそ、彼らの主張もじっくり聴かされることになり、だから(当然)じっくり聴くことにもなった。
さて、じっくり聴いてみると、これがなかなか面白いのである。

例えば藤岡信勝は 「国家は謝罪しちゃならんのです」と何度も何度も繰り返す。だから河野談話は致命的なミスだったとでもいいたげに。
私などは河野談話を聞いて 「日本も成熟していくのね」と感慨深く思ったから、藤岡信勝の
〈絶対許せん河野談話〉
的スタンスがどういう欲望に支えられているのか興味がわいてくる。
レキシシュウセイシュギシャがたんなるウンコであることが自明である時代は(日本では)終わったのだ、ということは分かる。
そして実はこれは、日本だけのウンコ蔓延で済まないようだ、ということも感じる。

日本会議は1997年河野談話に対するバックラッシュ(反動)というのがこの映画の作り手の基本的スタンスで、それがせいじてき宗教的市民運動的に勢力を増してきている様子もよく分かった。

杉田水脈とか、名前も覚えていない学者某とか、櫻井某とか、ケント某とか、あまりにも 「普通」の杜撰さがあからさまで、相手にしたくない。

しかし、マジメに考えないと本当に大変なんだ、と分かった。

極めて面倒くさい。


とはいえ、事態は面倒くさいところにある、のだとしたら、それから逃げ出すわけにもいくまい。

さて、ではどうしたいか。
国家について考え抜かないといかんなあ。何が起こっていて、何が欠如しているのか、を見ることだね。

決して
「なにが隠されているのか」
というスタンスではなく。
それではちょっと油断すると、答えを与えたがっているヒトの餌食になる。

そこ、難しいんだけど。

相聞歌2019年(8/28~8/31)

2019年06月19日 14時00分59秒 | 相聞歌
8/28(火)

118
「一身上の都合」退職願の理由欄事情も思いも置き去りの定型(た)


119
気づくのはいつも後からいま今日のこの時のための人生だった(ま)



8/29(水)

120
やれること探し自分が動くことが今ある形の正体たらん(た)


121
お互いに遅るる時の悲しみは未来にとっておくことにする(ま)


122
老い先やどちらが先に倒れるか日々の暮らしの確率論議(ま)


123
明日のことは明日にならなきゃ分からない今日いる人と今日やることを(ま)



8/30(木)

124
波にゆられくるくる回る小貝かな不安と期待ないまぜの通院日(た)


125
ぎりぎりにならねばやらぬ「宿題」に追い込まれてる残暑の夕暮れ(ま)



8/31(金)

126
車めがけ走り来る教え子ら愛おし互いに喪なうものに心痛し(た)


127
「どんな魔法をかけたの?」階段につめかけた生徒に夫(つま)は笑う(た)


128
残された老後を妻と過ごそうと退職決めた夜まだ暑し(ま)


129
夕暮れの廊下にペンキ塗り立ての段ボール林立す明日文化祭(ま)


128と129について書いておく。
妻が退職した中学校に、書類を置きにいったとき、生徒たちは私が乗っていった妻のクルマを二階のベランダから目ざとく見つけて、正面玄関前の階段から怒涛のように下りてきて妻を探し、私しかいないのを見て取ると口々に 自己紹介をしつつ 「妙子先生は?」と尋ねて来る。

まあ、高校と違って義務の 「先生」は生徒との関係が深いのだろうが、それにしてもスゴい。
妻の 「マジック」というか、中学生一人一人を惹きつける力の強さには心底驚いた。
病気で中途退職する、という事情があるにせよ、彼らの動きは、私の教師経験にはない 慕われ方だ。
いつも妻には
「なに中学生騙してるんだよ」
と戯れに言っていたが、これほどとは思わなかった。
騙して何かをさせたい、というより、したい何かを探していけるように立って歩かせたい、という方が近いのだろうとは思っていた。

それがこんなにも中学生に響くのだとは。

「互いに喪うもの」

しばらくの間この言葉に私は向き合ってみようと思う。

相聞歌2019年(8/26,8/27)

2019年06月18日 23時06分06秒 | 相聞歌
8/26(日)

111
再任用退職辞令の交付日なり明日からは先生と呼ばれない自分(た)


112
降る雨に木の実よ育てと祈るなり生徒の心に埋めし思いよ(た)


113
まかせたよとつぶやくそれぞれの志を秘め笑む教え子等の写真に(た)


114
退職をした今の貴女(あなた)に19の春に出会った娘(きみ)を見つける(ま)



8/27(月)

115
始業式生徒の驚く顔浮かぶ私の終わりがきみの始まり(た)


116
退職の妻の辞令を貰うため海近き場所へと走る夕暮れ(ま)


117
妻の身を中学校から受け取ったそんな気がする退職辞令(ま)

8/26は、妻の退職の日。
中学教師として生徒の成長を促すことは、彼女にとって何よりも大きな仕事だった。その思いが伝わってくる連作。
もう、仕事を離れたらそれから先は 「余生」というぐらいの重さのある区切りの日になった。

この相聞歌のやりとりでは十分に伝えきれないが、彼女には中学校教師として抜群の力量があった。
しかし残念ながら私の側にそれを伝える準備が今はまだない。

改めて文を起こさなくてはならないのだが、それはまた後日。

教師としての装甲を脱いだ妻は、19のときに出会った 「女の子」のようでもあった、と114に詠んだわけだが、そんな風にでも書くより他ないほど、彼女にとって教師であることは生きることと必然で結ばれていたように思う。

相聞歌2019年(8/20~8/25)

2019年06月17日 20時37分22秒 | 相聞歌
8/20(月)

96
院内に顔見知りが増えてゆく死も病も日常の一コマとなる(た)


97
気づかいをメカで表現する現代日本カーナビに誕生日祝われ戸惑う私(た)


98
マーカーが下がったという一言で未来が見えるような気がする(ま)



8/21(火)

99
7時間点滴の長さに慣れていくひたすら眠るこれまでを取り戻す如く(た)


100
甲子園決勝戦に立つエース金足農業笑顔も眩し(ま)



8/22(水)

101
施設への入居の補助にと渡す金手切れ金かと母が笑いぬ(ま)


102
同じ病だからこそ心に響く言の葉になる若い夫婦の涙とほほえみ(た)



8/23(木)

103
くたくたとくず折れるようにまどろんで虚しき一日が今日も過ぎゆく(た)


104
眠り浅く何ができるかなすべきか思いあぐねて朝が近づく(ま)



8/24(金)

105
鴎外の「じいさんばあさん」さながらに生きていこうか指切り甘し(た)


106
あったこと話したことを漏らさずに石に刻んで残しておきたい(ま)



8/25(土)

107
夏休み最後の土日は四十年新学期の準備に追われたものを(た)


108
スピノザと中動態の関係を語る機会が持てる不思議さ(ま)


109
「する」でなく「される」でもなき中動態妻の病いで経験していく(ま)


110
わかるとき分かるということが分かっている自分自身で疑いも無く(ま)


96,99,102,103
は、入院中(抗ガン剤投与のため二泊三日の入院を繰り返していた)の歌。
96,102は、同じく入院している人たちとのやりとりの中でうまれたものか。
99,103は、長時間の点滴をしているときのやるせなさが滲んでいる。
105は森鴎外の歴史小説『じいさんばあさん』のこと。仕事を辞めると決めてから、当時の二人の合い言葉になっていった。
大学二年の小説演習で、妻は『魚玄機』私は『じいさんばあさん』のレポーターだった。

ちらほら出てくる 「中動態」は、8/25にもう一つの読書会(こちらは専ら読む方)で國分功一郎『中動態の世界』について報告したので、この時に何度か出てくることになった。
福祉や医療といったケアの現場で 「中動態」という考え方はとても有効だと、妻の看護というか世話をしながら考えていた(今も考えている)。
能動と受動の2つに分けると見えなくなってしまうものがあるのではないか?実はギリシャの昔には 「中動態」というものが、まだ残っていて、そのころは能動/受動という二分法はなかった、という文法のお話しなのだが、色々なものの見方や考え方を汲み上げることができる 「有用な概念」だと感じる。
107は妻が8/26に退職する、そのときの気持ちが出ている。この次には退職についての歌がたくさん出てくる。
妻は再発が分かった直後に退職を決断しているのだが、本人がいちばんやりたかったことを手放さざるを得ない、苦しい選択だった。
大切だからこそ、クオリテイを保持できない自分は要らない、というのはいかにも彼女らしい振る舞いなのだが、本当に無念だったろうと思う。
私を残して先に逝くのは確かに心配ではあったろうが(笑)、本人がやりたかったこと、この世でもっとも重要だったことは、明らかに中学校教師として生きることだった。
それを辞めることは、生きることを終えるのに等しい。それほど仕事が好きだったのだと思う。

101は、これから続くだろう子供夫婦の病気療養の場所を提供するためにサービス型高齢者住宅に入居を決めた我が母らしいブラックジョーク。これも、記録しておこうとおもった。

相聞歌2019年(8/18,8/19)

2019年06月15日 11時42分28秒 | 相聞歌
8/18(土)

92
たたむ手が少しゆっくりコインランドリー変わらぬ日常取り巻き続ける(た)


93
はるか沖
より妻の詠む
歌の調べ寄す
溺るるほどに
我を揺らして(ま)


8/19(日)

94
我が家に集いて原稿読み合わせ語りつつ飲むビールの旨さ(ま)


95
一人暮らし老母生き生き介護とは支えか縛りか答え出ぬまま(た)

92週末にまとめてシーツなどを家族分洗濯してコインランドリーで乾燥させる習慣がずっと(今も)続いている。病気になってもそれは続けていた。

手がゆっくりなのは、以前仕事をしていたときは日曜日の夜(明日仕事という時間)にいつも乾燥させていたので、そういう 「忙しさ 「と」はなくなったけれど、日常は変わりなくつづいていくということか。
あるいは体力の衰えを感じるもどかしさなのか。

93は歌にもなっていないが、これも書いておきたかった。妻の歌は遠いところから響いてくる、そんな気がする。それでいてここにひたひたと寄せてきて私を溺れさせてしまう。

94は読書会の1コマ。読むだけではなく書こう、という集まり。妻の看護はしていても、自分の楽しみもある。そうでないと長続きしない。この読書会のような気心の知れた仲間たちに支えられている、と当時も思っていた。

妻を喪ってからは尚更だ。

そういうネットワークがなければ人は人間でいられない。

地の縁
血の縁
知の縁

いずれも重要不可欠なのだろうが、私にとってはどちらかというとこのFacebookを利用したりして一緒に活動する知の縁のウェイトが大きい。

いずれにしても出会いから紡がれていくいく 動的な「織物」が、人間として生きるためには必要だ、ということをしみじみと感じる。

95
は、同居して妻が世話をしていたはずの母親が、独居老人になってからむしろ元気になったように見える、その様子について詠んだもの。ケアの不思議というか支援の難しさがありそうだ。

相聞歌2019年(8/15~8/17)

2019年06月14日 20時58分35秒 | 相聞歌
8/15(水)

83
「中学生の努力こそが教師の誇り」ほしいものを見つけたラストメッセージ(た)


84
死ねばゴミと言い放ちつつ父の墓を丁寧に拭く母の顔優(やさ)し(ま)



8/16(木)

85
数値良く夫の笑顔のやわらかさだからこそ知る覚悟の重さ(た)


86
教え子の手縫いのお守りありがたし生徒達から幸せ返し(た)


87
限りなく検索続け治癒率の高き論文探しをる午後(ま)



8/17(金)

88
どの墓に入りたいかと夫(つま)が聞くパフェかあんみつかと問うかのごとく(た)


89
ほとんどを眠って過ごす老犬と我をなでゆく初秋の昼風(た)


90
抗がん剤の脱毛よりも抜けた毛の白髪がさびし秋の夕暮れ(た)


91
発注のミスで怒られ凹む子を大人になったとふと思う夜(ま)

83は退職が決まって、始業式の日に生徒たちへお別れのコトバを読んでもらう、その原稿を書いていた時のもの。中学教師という仕事に誇りを持ち、生徒たちの魂をリスペクトし続けた妻らしい一首。

84は母の口癖を書いておきたかった。 「人間みんな死ねばゴミ」というのは、 「ある種の切断の覚悟」でもあろう、自分に言い聞かせる言葉でもあっただろうか。
妻を喪ってみて、 「死ねばゴミ」と言い放つ意味が心に沁みてくる。その境地には未だ至らずですが。

85こういうことは何度かあって、数字に一喜一憂することはない、と言い聞かせてはいても、お互いうれしいもので、表情が緩むということはあっただろう。

値が悪いときには暗くならず気にせずに振る舞い、良いときには喜ぶ……そういう風に心がけていたわけだが、 「覚悟の重さ」と言われると胸が痛い。

ひたすら、二人で生きることをできる限り肯定して 「良く生きる」をやりきりたい、そう思っていた。

具体的には、悲しかったり切なかったり落ち込んだりする気持ちは、全て未来に転送するという感じだった。今を大切にする、というとき、そう考えるしか手立てがなかった、ともいえようか。

88は、お葬式の話とかを本人がポツポツ話し始めたりしていて、その流れの中でお墓の話になった。
言われてみればその通りで、 「失礼しました」と苦笑した記憶がある。
結論としては 「パフェもあんみつも、どっちも!」だった。分骨ですね。

90,91は、抗がん剤治療が続くと動けなくなる、そういう体力的にキツい様子だと思って読んでいた。
実際にはこの頃から胸に水(胸水)が溜まり始めていたのかもしれない。

91は、責任を感じているへこみ方だったので、詠んだ歌。
子供の成長は ついつい 「遅い!」としか思えないものだが、自分を振り返ってみると、実際には同年代の頃の自分よりも息子の方がよほどまともだった。