龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

偕楽園の常磐神社の境内で

2019年02月24日 19時22分15秒 | 観光
水戸の偕楽園で梅祭りをやっている。
園内では植木屋さんのお店が(例年あったのに)なくなっていたが、園の外にある常磐神社の境内に梅の鉢植えを売っているお店があった。
そこで購入した月影という名前の梅を購入。
今が満開です!
以前買った梅は残念なことに枯らしてしまったので、今度は花が終わったら地植えにして無事育てたいです(^_^)

Spotifyの話(続き)

2019年02月16日 08時31分00秒 | メディア日記
Spotifyの無料シャッフルバージョン(ジャンルやミュージシャン、作者は選べるが、曲を選べない)を昨日から聴いている。
流し聴きをするには最高だ。

ただし、IIJmioの低速モードだと、車で走っているときに時折途切れる。速度がどうしても足りないことがあるようだ。Wi-Fi環境ならバッチリなのだが。こういうサービスを利用していると自然にGIGA不足になっていくんだろうな。
AmazonprimeMusicでも同じことは起きるが、Spotifyの方が頻度が高い印象。ただし、これについてはもう少し使って確かめる必要アリ。

それと、邦楽のラインナップは期待すると不十分かも。
こういう配信音楽サービスは、CDやダウンロードで購入するほどのこだわりがない範囲で使いこなすのが吉、かもしれない。 私にとっては無料シャッフルが今のところ最適解かな。

Spotifyの無料Ver.を入れてみた

2019年02月14日 23時47分23秒 | メディア日記
たまたま長時間ドライブをする機会があったため、試しにSpotifyを入れてみた。そしたら……

これはもうすごい。
無料だと曲名の指定はできず、シャッフルされたものを聴くしかないのだが、これだけのものを聴けるなら即刻導入しておけばよかった、と後悔した。

たとえば、特別に詳しいマニアでは全くないが、好きな合唱曲を歌うプロカンティオーネアンティカというルネッサンスの声楽曲を歌うグループの曲がサクッと聴ける。
余計な色気のないヒラリー・ハーンのバッハのバイオリン曲が複数聞ける。
パレストリーナの曲がたちまち検索できる。
普通に好きなジャンル、程度のものを普通に聴くにはもう十分すぎる。

特に、ラジオや有線のように流すなら、この無料バージョンでお釣りがくる。

しばらく聴いてから、有料に移るもよし。
でも、ここで流し聴きした上で、好きなものはCD買っちゃうかもね。

まだ未体験の人には勧めてみたいSpotify。
シャッフルモードは無料なので、自分の好きなジャンルとか聴くスタイルと見比べてみる価値はあります。

『自閉症連続体の時代』立岩真也を読み始めた。

2019年02月12日 10時52分35秒 | 大震災の中で
『自閉症連続体の時代』立岩真也
みすず書房刊3700円+税
(……高いね(>_<)……)

この本は、とても 「懐かしさ」を感じる書物だ。これを懐かしいと感じるのはなぜなんだろう、と思うが、簡単には説明できそうにない。
読んでイライラする人もいんるだろうな、いやむしろ普通に考えれば読み難い文章だと言っていいかもしれない。しかし、この 「道行き」というか、答えと問いとを同時に手のひらの上に持ちつつ、なおそれらをいくつかの切り分け方に応じて 「一定の根拠」を認めた上で、それを含めた問い直しを端からそくそくやっていくことばの身振り(と私には感じられるもの)が、とても懐かしかったのだ。
まず一つ、ここ数年いろいろと考えることがそれなりにあって、そういうことたちとこの本が共鳴している。だから 「懐かしい」のだ。
もう一つには、
「答えを出そうとする欲望が問いを立てさせる」
ことの複数性をきちんと踏まえてそれらがぐちゃぐちゃに立ち現れる 「混乱した頭の中」を、簡単には整理することなく叙述してくれているという 「高度さ」というか 「まどろっこしさ」というか 「不自然さ」が、にもかかわらず不思議にフィット感をもって近づいてくる 、という点が、懐かしく感じる理由かもしれない。だかそれはそうだとしても…………いやその続きは本を読んでからにしよう。


内容については、 「近代医療批判」についての分析で(1)~(4
)まで指摘している、この挙げ方を見れば興味を引かれるかどうかが分かる。

引用開始
(1)病・障害を社会が引き起こしているという批判
(2 )「自然」が賞揚されることがあった
(3)どちらをよしとするにせよ自分で決めればいいという自己決定の主張があった

これらはみな重要だが十分ではなく、時には問題の所在に気づかせない装置として作動してしまうこともある。

(4)(前出のみっつ:引用者)より以前からあったとも言えるしその三つの後に現れたとも捉えることのできるかあ社会」を問題にするもう一つの捉え方が有効であると私は考えている
引用終了

今、今日私が立っている場所、どの病院でどんな治療を(してもらう)(していける)(選択する)のか、という場所に立たされている。それは医療のご加護を祈ることでもなく、全く主体的に医療に関わるのでもなく、環境を変えればいいというものでもなく、自分で選択すれば問題解決、というわけでもない。

著者がいう 「明るさ」でもいいし、スピノザの 「コナトゥス=(より良く)生きる努力」といってもいいが、今ここにある環境世界の中で 「生きる」ことを考えるために必要な事柄をめぐってかかれようとしている文章だということは分かる。
今日はこれからこれを読む。
しかし、週末に予定している読書会の課題図書の一冊をまだ予約した図書館から受け取っていない。手ごわそうな本なのに……。

「連続体」=スペクトラムを単純に切り分けることばはうさんくさい。
福島に住んでいると、そういうことについてはよく分かるようになる。

福島に生きることについても書かねばならないことがあるのだが、、それはまた項を改めて(未来会議の 「50年後への手紙 」がメッチャメチャおもしろかったのですが)書く。