希望学1 希望を語る東大社研東京大学出版会このアイテムの詳細を見る |
☆希望を学としてとらえることは、ハイデガー的だとは思うけれど、つまり存在に支えられた存在者という人間の構造を、今度は希望という存在と存在者の間の目に見えない結びつきを見える化しようという話だと思う。
☆そういう意味では、現在のほかの学会や大学で受け入れられる可能性はないのだろう。
☆希望を経済学に結び付ければ、合理的経済人の批判になり、とうてい受け入れられがたいのだろうし。
☆だから希望学はプロフェッショナルな知というより、ポリシーの知、あるいはパブリックな市民知の領域で大いに活躍するしかない。
☆本書の目次は、次のようになっている。
はしがき 「希望を語る」ということ(玄田有史・宇野重規)
第I部 希望とは何だろうか
第1章 希望と変革――いま、希望を語るとすれば(広渡清吾/東京大学)
第2章 希望研究の系譜――希望はいかに語られてきたか(リチャード・スウェッドバーグ/コーネル大学)
第3章 アジアの幸福と希望――「国民の幸福」戦略と個人の新たな選択(末廣昭/東京大学)
第II部 日本における希望の行方
第4章 データが語る日本の希望――可能性、関係性、物語性(玄田有史/東京大学)
第5章 「希望がない」ということ――戦後日本と「改革」の時代(仁田道夫/東京大学)
第6章 労働信仰の魔法とそれを解く法――希望の意義と危険性(水町勇一郎/東京大学)
第III部 社会科学は希望を語れるか
第7章 経済学からみた希望学――新たな地平を開くために(松村敏弘/東京大学)
第8章 ハンナ・アーレントと「想起」の政治――記憶の中にある希望(岡野八代/立命館大学)
第9章 社会科学において希望を語るとは――社会と個人の新たな結節点(宇野重規/東京大学)
あとがき 社会科学の新たな地平へ(玄田有史・宇野重規)
☆この中で注目に値するのは、リチャード・スウェッドバーグさんの論考。プロフェッショナル知でもあるし、ポリシー知でもあるし、パブリック知でもある。希望を「理念への実現欲求」に置き換えると、明治以降に表れた≪私学の系譜≫の考え方のベースにもなるぐらい。
☆パブリック知として有効なのは、水町勇一郎さんの論考。労働者自身の、労働者自身による、労働者自身のためのリスクマネジメントの心構えとして傾聴に値する。
☆ポリシー知が前面にでているのは、玄田有史さんの論考。「乗り越える」という発想が、抑圧的希望であり、リチャード・スウェッドバーグさんの希望の領域の片面しかとらえていないし、水町勇一郎さんが語る希望の多様性と脆弱性の自覚がそこにはない。
☆それにしてもハーバマスやハンナ・アーレントなどが出てきていながら、ハイデガーという希望の予定調和を切り崩す絶望視点がないのは、意図的なような気がする。リチャード・スウェッドバーグさんはハイデガーを持ち出さないが、絶望の希望へのインパクトについて触れてはいるが。
☆合理的経済人の限界から希望が現れるが、希望の限界から絶望があらわれる。その絶望は破壊者なのか救世主なのか。ここまできてしまうと、学としての限界なのだが・・・。