教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

12の学校選択指標【11】

2006-05-31 09:48:23 | 学校選択
◆「(10) キャリア・デザインとしての進路指導」の力は学校選択者が最も気にする項目。逗子開成では、キャリア・デザインを「進路指導」「進学指導」「受験指導」の3つの柱の統合としてプログラムを組み立てている。

◆「受験指導」「進学指導」の結果として、大学合格実績をみていくと、東大・早稲田・慶應・上智・MARCHにどれくらい合格したかを見ていけばよい。卒業生数に占めるこれらの大学の合格者数の割合(もちろん複数合格しているので、100%を超える学校もある)ランキングがわかりやすいし、一般に興味を持たれる数字だ。

◆2006年4月23日の「サンデー毎日」では判明分のデータが公開されている。正確ではないが、要は傾向が見られればよいので、男子校、女子校、共学校(別学も含む)の各グループで20校ぐらいずつ並べてみよう。

〔男子校〕
駒場東邦中学校
聖光学院中学校
海城中学校
暁星中学校
桐朋中学校
世田谷学園中学校
逗子開成中学校
芝中学校
浅野中学校
城北中学校
麻布中学校
栄光学園中学校
巣鴨中学校
城北埼玉中学校
サレジオ学院中学校
早稲田中学校
攻玉社中学校
武蔵中学校
開成中学校
本郷中学校

〔女子校〕
女子学院中学校
光塩女子学院中等科
桜蔭中学校
豊島岡女子学園中学校
頌栄女子学院中学校
横浜共立学園中学校
雙葉中学校
白百合学園中学校
横浜雙葉中学校
フェリス女学院中学校
鴎友学園女子中学校
浦和明の星女子中学校
晃華学園中学校
鎌倉女学院中学校
吉祥女子中学校
湘南白百合学園中学校
大妻多摩中学校
大妻中学校
普連土学園中学校
洗足学園中学校

〔共学校〕
穎明館中学校
渋谷教育学園渋谷中学校
渋谷教育学園幕張中学校
栄東中学校
江戸川学園取手中学校
帝京大学中学校
市川中学校
桐光学園中学校
昭和学院秀英中学校
東邦大学付属東邦中学校
山手学院中学校
神奈川大学附属中学校
西武学園文理中学校
国学院大学久我山中学校
桐蔭学園中学校
公文国際学園中等部
芝浦工業大学柏中学校
専修大学松戸中学校
成蹊中学校
茗溪学園中学校

※慶應系、早稲田実業はデータが公表されていないが、ほとんどが慶応大学、早稲田大学に進学するので、特殊な例として考えておいてよいだろう。MARCHの附属系も同じように考えてよいと思う。

◆こうして眺めてみると、やはりお馴染みの顔ぶれ。上記の学校は、「進路指導」というものにももちろん力を入れている。というよりもそこに力を入れなければならない必然性がある。私立中高一貫校は建学の精神を具体化しているために、生徒たちはそれぞれミッションを抱き、自分の将来を選択判断した上で、大学を選ぶからだ。傾向として偏差値やブランドのみで選択することはないだろう。

◆この自己のミッション、自分の存在について学ぶキャリア・デザインという意味での進路指導が充実しているところ、つまりきちんとプログラム化しているところは上記以外にどこがあるのか。思いつくまま列挙してみよう。

品川女子学院
東京女学館
白梅学園清修
東京純心
八雲
東京女子学園
小野学園
中村
共立女子
カリタス
三輪田
桐朋女子
恵泉
富士見丘(神奈川)
神奈川学園
聖セシリア
横浜女学院

芝浦工大
那須海城
目黒学院
京北
横浜中
武相

横須賀学院
自修館中等学校
かえつ有明
淑徳巣鴨
聖徳学園
春日部共栄
共栄学園

などが挙げられるのではないか。

12の学校選択指標【10】

2006-05-30 09:13:38 | 学校選択
◆「(9) 他教科に刺激を与える芸術教育力」を持った学校はそれほど多くないだろう。芸術というものは天才に与えられた特別な能力の領域だと思われてきただろうし、それゆえ教育の世界で、主流だったことはおそらくないだろう。

◆ところが90年以降、日本では経済の空白と呼ばれているころ、脳科学の10年と呼ばれていた。それまではなんと右脳は左脳の機能の随伴的働きしかしないというのが、脳科学における通説だったというのだから驚きである。

◆私立中高一貫校が注目を浴びるようになった時代というのは、レトリック、コンテンポラリーアート、世紀末、バウハウス、右脳、アフリカの復権なり発見なりの時代精神と重なるのである。つまり論理、理性よりもレトリック、感性、表現である。

◆もちろんその両方を二元論的に分断するのは、今の流儀ではない。ただ、ものの見方、大げさに言えばパラダイムは大きく変わったのは確かである。

◆それゆえ私立中高一貫校が芸術を学校教育のベースにおいてもおかしくないのだが、そこはそうはいかないらしい。ただ、幾つかの学校では伝統的に芸術が教科に刺激を与えるベースになっているところがある。

◆女子美は、芸術中等教育学校ではないが、美術を通して教育を実践してきた学校である。吉祥女子や洗足学園ももともとあった芸術コースの影響が他の教科や学校の雰囲気に染み渡っている。自由や教養の空気が漂っているのもその影響かもしれない。聖徳学園はギルフォードモデルという脳科学的な観点から教育における芸術の位置付けを考えている。

◆桐朋女子や東京家政学院は、音楽がどことなくベースにある。特に桐朋の音楽教室はもともと東京家政学院が設置していたものを移管した。当時東京家政学院の子どものための音楽教室にいたのは斎藤先生と小沢征爾、中村紘子。

◆慶應普通部、聖光学院、栄光学園、麻布、武蔵、開成、逗子開成にとって、芸術はある意味教養として存在しているのかもしれない。そんな中で共立女子の美術は、教科横断的な破格のプログラムを構築している。認識の歴史性、生徒の自己の解体的成長性という点で共立女子の教育のベースである。

◆2000年、2001年と共立女子の渡辺教頭先生と何回かその点について、セミナーを開催。参加した私学の先生方は溜息をついていたのを思い出す。

参考→「学校の表現セミナー」「2002生徒獲得戦略セミナー

◆女子聖学院はチャペルを音楽の拠点としている。東京女子学院、白梅学園清修は弦楽、日本女子、中村は木管というように音楽的才能をベースにしている学校もあるが、それにしても女子美、吉祥女子、東京女子学院、白梅学園清修、桐朋女子、聖徳学園というのは同じようなエリアにあると言ってよいと思う。このエリアで互いに協力して、私立中高一貫教育の根源的な教育力について、芸術で表現できないものだろうか。

12の学校選択指標【9】

2006-05-28 10:00:06 | 学校選択
◆「(8) あらゆる教育活動でのIT活用力」を発揮するとはいかなることか。1999年あたりだと、パソコン教室に何台のパソコンが入っているというトークで、すごいなあという印象を学校は学校選択者に与えることができたが、今ではそれではあまり意味がない。

◆フィンランドに視察に行ったとき、生徒は多様な選択教科を自ら組んでいくために、パソコンは必須。教師もどの生徒がどの科目を取っているのか、成績はどうなのか、パソコンで、というより学内ランに入って一瞬にして様子がわかるようになっていた。授業も理科や社会ではプレゼンテーションツールであるPPTを使用。教師も生徒も。

◆アメリカの幾つかのプレップスクールでも同じような状況。特にアメリカの大学のアプリケーションについての質問などは、インターネット上でやりとりするし、コンピュータ・ベースド・テストが普及しているので、IT関係の環境は必要。

◆日本は、まだその状況にないが、TOEFLなどがすでにパソコン上で受験できているし、やがて予定されているインターネット上で受験ができるようになると、もっと変化するだろう。ITというと光と闇の闇の部分が強調されがちだが、学校などの公の機関で情報ルールを守りながらオープンに活用されることで日常化し、なくなることはないが闇の部分は減少することも確かだろう。

◆さて、このIT環境をパソコン教室から越境して活用し、プログレッシブな教育実践をしているところはといえば、男子校では芝浦工大、目黒学院、逗子開成などだろう。女子校では、東京女学館、東京女子学院、神奈川学園、共立女子。共学校では、芝浦工大柏、麗澤といったところではないだろうか。

◆麻布や開成、聖光、栄光、灘といった学校は、学校が取り組んでいるというより、好きな先生、生徒がそれぞれ勝手に面白いことをやっていると言った方がよいだろう。プログラムをかくところまで進んでいるはず。

◆白梅学園清修のサイトなどはブログの機能で毎日のように先生方が学校の様子を紹介。おそらく在校生もこのような発信力を持つようになるだろうと予想できる。ITは活用次第で、思考力と発信力の一挙両得をねらうことができる。私立中高一貫校のIT戦略はこれから本格的におもしろくなるだろう。

12の学校選択指標【8】

2006-05-23 09:11:27 | 学校選択
◆「(7) 現地校で耐えられる英語教育力」。英語教育の充実度を見ていく際に、プログレスあるいはそれに準じるテキストを使っているとか、TOEFLなどのスコアがどうだとかいう点も重要である。少なくとも受験英語教育の一定の水準を越えているかどうかは保証されていなくては困る。

◆しかし、国際舞台で活躍するリーダーを育成することが目標になっている私学の場合は、英語教育は、英語文化や言語としての英語、考える英語、人間を尊重する英語を学ぶチャンスを設けておく必要がある。現地校に留学した場合、実は英会話はなんとかなる。日常生活で互いに本音の部分でコミュニケーションをする場面に直面した場合、スキルとしての英語以上に、考えたり共感できたりというコミュニケーションの柔軟性が必要となる。こういう能力を日頃トレーニングしているかどうかはポイント。

◆また現地校では、世界の痛みについて互いに意見を交換する場合がほとんだ。海外にいようが日本にいようがあるテーマについて英語で探究するチャンスを創っている学校を探したいものだ。

◆卒業論文などのテーマを考えるチャンスを、英語に結びつけている学校といえば、洗足学園、東京女子学院、八雲学園、共立女子、女子学院、神奈川学園、桜蔭、普連土、頌栄、東京女学館、目黒学院、慶應普通部、麻布、聖光学院、那須海城、芝浦工大、世田谷学園、慶應湘南藤沢、芝浦工大柏、渋谷教育幕張、渋谷教育渋谷、江戸川取手などだろう。

12の学校選択指標【7】

2006-05-14 04:30:16 | 学校選択
◆「(6) 総合学習と他の教育活動の有機的結合力」は重要である。特に総合学習と教科の学習が結合していることが重要。知は議論を通し広がるし新たな知が創造される。1人ひとりが発想をもち実現する方法を考える優秀性は、議論を経て独り善がりではない信憑性が保証される。

◆この知の組換えや創出が起こるには教科学習の基礎基本と総合学習による知の組換えとその公共性が結合することが重要なポイント。

◆開成の橋本先生の漢文の授業において、生徒たちは漢文を通して知の組換えを体験でき、先生との問答によってその新しい知の信憑性を証明していく。ここには東大総長の小宮山氏が提唱するこれからの知の2つの特徴がある。1つは「知の構造化」であり、もう1つは「自律分散協調系」。

◆聖光学院、洗足学園、東京純心、富士見丘(神奈川県)、かえつ有明、横浜雙葉、横浜女学院、湘南白百合、武相、横須賀学院、明大明治、聖徳学園、白梅学園清修、共立女子、共立第二、女子聖学院、聖セシリア・・・。多くの私学で、「知の構造化」「自律分散協調系」へのチャレンジが行われている。

ホンマノオトから≪New Honma Note≫へ

2006-05-08 09:50:56 | お知らせ
               ★今後は≪New Honma Note≫をよろしくお願いします。★


◆2006年までの教育の変化について見届けるミッションは、その役割を終えたと判断し、「ホンマノオト」の更新は、本日を持って終了いたします。今後はデータベース的な役割としてネット上に更新なきまま遺留し続けます。多くの方々にリンクを貼って頂いているし、教材としても活用して頂いています。ありがたいことです。そのため在庫情報的な意味合いで、「NTS教育研究所」のサイトにしばらくリンクを貼ってもらうことにしました。

◆本日からは「ブログ」というツールで、新しい「対話」システムをどのように実現していくかを模索していきたいと思います。20世紀は確かに言語や記号の学問が、芸術をはじめあらゆる分野に影響を与えました。しかし、それはまだまだ専門家の一部の間でしか浸透していません。「子ども」「未開」「無意識」の発見は、まだまだ言語によって新しい社会構築に有機的につながってはいないのです。

◆21世紀に入り、さまざまな通信マシーンが開発され、市民に普及していますが、それはハウツー領域であり、「対話」システムは相変わらず20世紀型の抑圧社会を持続可能にするシステムのままです。このシステムは「存在」を徹底的に無化していく近代の裏切りの過程です。

◆社会化の正当性も個性化の正当性も無化していく過程です。あらゆる人間と人間、人間と自然などのつながりは、「存在」の了解によってではなく、「道具」をメディアとして、それを使うかどうかというハウツーだけでつながっていきます。

◆気持ちだとか思いだとか思想だとか、そういうものを必要とせず、ひたすら共通の「道具」を運用できるかどうかだけがポイントです。これが「存在」なき「経済」の発展です。

◆このような歴史的な流れの捉え方は、新しいものではなく、私が言うまでもなく、社会学者たちは指摘しています。またこのような流れを変えるべき警鐘を鳴らす経済学者もすでにいるわけです。

◆したがって、問題は「存在」を取り戻した「私」たちの出現を実行することです。しかし、「存在」とは何でしょう。それを「取り戻す」とはどういうことでしょう。ハイデガー的なアプローチは今一歩です。「存在」論的な構造を明らかにした瞬間、どうせ気づきにくいものなら「存在」はどうでもよいという世俗化を阻止できないのです。根拠喪失という歴史はここでも繰り返されているわけです。ではどうやってその永劫回帰を別の循環にシフトできるのか。現代思想やポストモダンは、いつもハイデガーを批判しつつどっぷり浸ってきました。

◆この近代の乗り越えなのかポストモダンなのか名称はともかく、軍事力、経済力ではないけれども言語的な抑圧社会。言語を統制するのではなく、言語という自由度の高い道具をあまりに逆説的ですが、素朴抑圧社会を巧妙に自由な雰囲気の抑圧社会に変容するソフトパワーとして逆利用してきた過程。これについての検証は専門家に任せましょう。

◆急がねばならないのは、新しい「対話」システム構築への動きです。それは教育の根本に帰るところからしか始まりません。教育の根っこを今も保有しているところは、日本では私学です。教育の根っこを持っている教師は公立学校にいくらでもいるでしょう。しかし、システムとしてはそれは教育行政、国が保有することを認めていません。

◆しかし、それでは困るのです。日本が世界の競争から取り残されるというのはたいして根本的な問題ではないと思います。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりを表すわけですから。日本が特殊視されているのは、地政学上そうしなければ国際的なパワー・オブ・バランスが崩れるからです。アジアに属しながらアジアに属することができない日本ということにしておかねばならないのです。地政学的にはヨーロッパと日本は非常に似た条件をそろえているわけですが、ヨーロッパと仲良くなることも本当はほどほどにということになります。アメリカが恐れているのはドイツです。ドイツはEUでも中心的役割を持ち、地政学的には東欧とも隣り合わせ、その東はロシアとアジアが続きます。もちろん中東も。日本と仲良くなっては困るのは明らかです。

◆アメリカは日本をクッションにしてアジアを、イギリスをクッションにしてヨーロッパを制する地政学的な戦略をどこかで温存しているでしょう。そして国連を通して中国とロシアを。ベルリンの壁は冷戦の象徴だったわけですが、実質の壁としての機能は「日本」「イギリス」「国連」などなどだったということでしょうか。

◆もちろん誰かが意識してというような陰謀説はどうでもよいのです。歴史という大きなベクトルの話です。誰がどう思おうと歴史の流れはそう簡単に変わらないのです。歴史の底流であるパラダイムが変わらない限り、すべては砂漠に水を撒くような行為なのです。とにかくこの日本文明とかいうレッテルを貼られ、21世紀社会という装いのまま20世紀社会の貫徹が決定づけられる歴史の流れが恐ろしいのです。オイルトライアングルの貫徹。ここから抜け出るには、相当の犠牲が強いられるでしょう。この歴史の底流を理解しないまま、変えないまま、9条問題や教育基本法など様々な法や制度の小手先の整備をすることは、オイルトライアングルを強化することに作用するか、このトライアングルのバランスを崩壊させ、第二のトライアングルを作り出す、世界を巻き込んだ戦争状態を生み出すかどちらかの可能性があるわけです。この「不安」をいくら見識者が感じ、警鐘を鳴らしたところで、歴史のうねりは変えられません。これがハイデガーとその系譜の現代思想の限界だったのだと思います。ではどうしたらよいのか。

◆この底流のパラダイムを形成しているのは「対話」システムです。だから「対話」システムのチェンジがポイント。これは教育の根本の話です。日本の私学でプロテスタントのミッション校に魅力があるのは、グローバルな「対話」システムを有していると同時に、何かが違うと痛みを感じながら活路を見出そうとしているからです。パラドクスを解く構えはアインシュタイン的でもあります。ともあれ、その姿勢や構えには、新渡戸稲造と内村鑑三の遺伝子が継承されています。国際連盟での活躍と非戦論の遺伝子が。

◆麻布や開成がミッション校ではないのに、魅力があるのは、やはりこういう逆説をバネにした先達者がかかわっていたからです。江原素六はクリスチャン。高橋是清はアメリカで修行人生という体験を積んでいます。東京女学館の古くて新しい微妙な雰囲気は、明らかに渋沢栄一の影響です。常に最前線の経済と伝統的な倫理の間でバランスを保持しています。

◆カトリック学校の多くは観想と現実主義に傾倒しすぎているかもしれません。本来は近代の「対話」システムのベースを創ったのですから、それをプロテスタント校のように全面に出せばよいのですが。これは神父という制度の一長一短の制度があるからです。ハイデガーも、ルターも、イエズス会のスアレスも対決したトマス・アキナスの神学という装いの思想(だからアキナスは自分の書いたものを価値がないと言って天に召されたのでしょうが)は、カトリックにあっては、神父の専門的な知であり、一般信徒には程遠いものです。まして信仰に関係ない生徒には知る由もありません。

◆カトリック学校の問題点はここです。すでにカトリックの世俗化が、つまり官僚組織だけが世俗にシフトしたというマックス・ウェーバー的な流れが、現状ここでも再生されているのです。これは男子校ではまだ防げています。というのも神父やそれに順ずるリーダーが直接学校を経営しているからです。ところが女子校は神父ではなくいわゆるシスターとかメールという方々です。トマス・アキナスの知を学び広げようというのは神父の役割で、シスターはハートを布教するのが役割。ところが「私は私である」という波が世の中を席巻していて、ハートは飲み込まれます。しかし、そのときカトリック学校は動きます。必ず飲み込まれないように抵抗権を行使するでしょう。

◆私学というふだんは気づかれないような領域に、解決の糸口があると思っています。ここには古くて新しい「対話」システムのヒントがあるのです。それを探す道を歩いていきたいと思います。

12の学校選択指標【6】

2006-05-08 08:08:47 | 学校選択
◆「(5) プログレッシブな授業」を学校全体が取り組んでいるかどうかとなるとこれは難しい。むしろ取り組んでいる先生が容認されている環境にあるかどうかという側面から見ていくしかないだろう。

◆1人の教師が20人から40人の生徒に向かって知識を伝えるという授業スタイルが一般的。グループや発表授業も、生徒1人ひとりの才能を開発するというより、授業を活性化する道具的な役割で、あくまで知識伝達がベースである。

◆ところが、北欧の学校やその影響を受けたシンガポールや香港のエリート校、もちろん欧米のエリート校は、知識創造までの授業をやってしまう。プラトンの対話編のように、教師はソクラテス。ソクラテスの産婆術である問答法がベース。ダイアローグが中心。自分ひとりでソクラテスのようにできない場合は、プログラムとしてシステム化する。プロジェクト・ベースド・学習などはその典型である。いずれにしても、ディスカッションと思考、編集、プレゼンをミックスした授業だ。しつこいようだが、総合学習や特別授業、イベントで取り入れる学校は多いが、そうではなく授業そのものの中で実行するということがポイント。

◆シラバスの時間の関係上難しいというのが現実だろう。しかし、毎回の授業に問答法を取り入れることは可能だ。ただし、相当な見識と教科横断的な科学的なものの見方が必要となる。そういう教師またはプログラムをデザインする教師がいて、そのような教師が学内で支援されているという学校を思いつくまま列挙しよう。

◆「開成」「麻布」「明大明治」「京北」「聖光学院」「慶應普通部」「慶應湘南藤沢」「鴎友学園女子」「共立女子」「東京女子学院」「女子学院

12の学校選択指標【5】

2006-05-03 01:25:34 | 学校選択
◆「(4) 本格的論文編集指導力」は大学受験、就活、研究において、つまりキャリア・デザインにおいては最もパワフルな指導力。受験のための小論文指導を超えて、大学の卒論程度の論文指導は、今後ますます必要になってくる。

◆「麻布学園」の論集は最も有名な麻布の教師による論文編集指導力の果実である。「女子学院」の生徒たちもいつも書いている。いつも考えている。自己認識と他者認識のつながりの不安と希望の「間」をいつも考えている。

◆「晃華学園」の中3の卒業論文もすごい。校長先生がメンターで、生徒1人ひとりの編集指導にあたる。同学園の論文指導は、知的好奇心の場であり、学園との対話の場でもある。

◆「共立女子」の論文編集指導は6年間一貫ならではのプログラムになっている。中学の段階では、読書感想文や詩歌の創作という読解リテラシーや感性の豊かさや繊細な感覚をゆっくりと育成する。ある意味で右脳を活性化させた上で、高校で論理的な探究を、教師と生徒が一対一で深めていく。

◆「聖光学院」「洗足学園」「東京女子学院」の中3の卒業論文も大変興味深い。説明会などで展示されていたら、ぜひ手にとって、読んでみることをおすすめする。

12の学校選択指標【4】

2006-05-01 08:06:36 | 学校選択
◆「(3) 時代の変化への対応力」は、不易流行のダイナミックな動きを見極めるポイントである。IT、携帯、庭園、AO入試など新しい大学入試の導入、制服などファッション感覚などをみればその対応力がよくわかる。

◆ITに関しては、調べる道具だけではなく、発信する道具になっているか。ブログの活用を生徒は行っているはずであるが、情報倫理をベースに、アグレッシブに行っているか。残念ながらそこまで進んでいる学校はほとんどない。その中でも先進的なのは「芝浦工大柏」。

◆携帯電話。①これは持ってきてはいけない。②持ってきていてもいいが、緊急時以外は使わない。③携帯は適切な使い方をするという条件で持ってきても良いしつかっても良い。など学校によって違う。②が多いだろうが、③のような使い方ができる学校はすてきだ。というより自由とは何かをわかっているということだ。②と③の間ぐらいで活用を認めているのは「白梅学園清修」。今のところ、適切な使い方をしているようだ。調べ学習ではメモ帳機能を大いに活用している。デジカメ機能も活用。ただし情報倫理の問題もある。著作権や肖像権など権利意識をしっかり考えるきっかけにしているところが教師の創造的コミュニケーション能力が高いことを示唆している。

◆庭園。これについて理解している学校こそ、文化を理解し、国際交流の基礎を有している学校である。江戸の大名庭園こそ19世紀末欧米に影響を与えた「理想郷」のプロットタイプなのである。「洗足学園」はイサム・ノグチを思わせる抽象的な庭をデザインしている。大名庭園の面影を学園生活に投影している学校は「開成」「麻布学園」。実際に大名庭園を創ってしまったのは「聖徳学園」。

◆「鴎友学園女子」などは、SFCのAO入試をキャリア・デザインの一環として活用。何も試験を受けさせることを目的としているわけではないアイデアがすばらしい。

◆「品川女子学院」の制服は着こなしをある程度生徒自身がアレンジできるように、自由の幅がある。このアイデアもなかなか。