こんにちは
今日の東京は温かい日差しがうれしい一日です
今日は1月17日。ママせんせいにとっては大事な一日です。
17年前。阪神大震災当日。1月17日。朝5:55
ママせんせいは新幹線の車掌さんだったので、すでに出勤。点呼中でした
何があったのか分からない大きな揺れに(関西人は、それまで地震らしい地震を経験していないので
?)
ただただビックリするしかありませんでした。
地震だと気づいたのは後からになってというぐらい・・・新大阪駅に車掌所があったので、地震の後は
被害状況がどんどこ入電して、社内は大騒ぎ。
幸い・・・と言ったら不謹慎だけど、JR東海だったので、東海道新幹線内の脱線や事故はなく、
だけど、今日はもう新幹線は走らないとのことで、ただただ車掌所でテレビを見ているしかない状況。
でも悪夢のように、生まれ育った兵庫県の被害が伝えられるのを何も出来ず見ているしかありませんでした。
実家には電話が通じず、やっとつながった友人の話では実家は全壊。玄関には流血。家には誰もいない・・・とのこと。
家にあるアップライトピアノは数メートル飛んで前に倒れているよ!!と、すさまじい揺れを語ってくれました。
最悪の状況も頭をよぎる中、新大阪から行けるだけタクシーで帰って、あとは何時間もかけて歩いて帰りました。
日が暮れる前から西の空(神戸の方向)は煙で暗く、きな臭く、怖いのは町中がガス漏れ??のようなガス臭さ。
そして倒壊した家からは木のにおいとほこりのにおい。
やっとたどりついた実家も人の気配はなくて、電話も通じない。
当時、住んでいた実家にほど近いマンションに帰って愕然。
同じマンションの中でも、私の住んでいた棟の被害は最小限でしたが、あきらかに地盤は傾き、
お向かいの棟の壁は倒壊して部屋が丸見え。しかも余震は大きく、不安は募るばかり。
家族とも連絡が取れず、帰ったマンションはいったん靴をぬいであがったものの部屋を見ると
冷蔵庫は倒れているし、食器棚も倒れていてグラスやお皿も割れているし、とりあえず、靴を履いて部屋へもどって
片づけを開始・・・何かしていないと泣き出しそうで、夜中も余震のなかひたすら片づけをしていました。
会社からは落ち着くまでお休みをいただいたので、毎日片付けと、知人探し。(すでに亡くなっている人もいました)
ボランティアに行っては、情報を仕入れて…でも、やっぱり亡くなったり怪我をしていたり…と、悲しい知らせが増えるばかり。
水道も出ないし、ガスももちろん使えない。電気はかろうじてその日に復旧しましたが、
電話も通じない。
当たり前だった事が、すべて取り上げられて、いつでも会えた人にも会えなくなったり…
1月17日が来るたびに、恐怖の記憶と亡くなってしまった人を考えると悲しみが増え、なんとなく毎年気持ち悪くなる1日。
10年前の1月17日は、そんな憂鬱な一日を『うれしい一日』にしてくれた出来事がありました。
娘・カノンくんの誕生。
14日に破水してから、陣痛が始まったけど、ずっと微弱陣痛でなかなか出産までたどり着かない。
3日も踏ん張って(?)促進剤にも負けず、陣痛にも負けず、雨ニモマケズ・・・
ふんばり続けたカノンくんは17日にママに会いに出て来てくれました。
最初は、あまりに長い陣痛~出産での疲労の中、出産の喜びに興奮、娘の健康に安堵。
しかし母に『今日は1月17日だよ』と言われて、『こんな日に・・・』と複雑でしたが、
わざわざこの日に生まれてきてくれたカノンくんは、きっと生きたくても生きれなかった友人や知人の分も、
一生懸命生きるために
そしてきっと、たくさんの人たちの為に生きるために生まれてきたのかな??・・・何か使命があるんでしょう…
と親バカながら思うのと同時に、『こんな日』だけど、我が家は『娘の誕生日を祝福』しています。
さよなら9歳。こんにちは10代。(もう10歳?やっと10歳?)
たくさんの経験をして、大きくなったカノンくんが、これからもいろんな体験をして
素晴らしい
音楽
(踊りかもしれなけど
)
を創り出してくれたら、これ以上嬉しいことはありません。
歌って楽しく暮らせる毎日が続きますように…音楽を奏でられる平和な日々が続きますように…そんな願いで
カノンくんの名前は付けられました。(音楽用語でもありますが…カノンは追いかけっこ…繰り返し繰り返し…)
どうぞ、東日本大震災で傷ついた多くの人にも幸せが訪れますように、お祈りしています。
そして、3月11日に生まれてきた子供たちにも祝福が与えられますように・・・