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「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『巨食症の明けない夜明け』

2005年10月20日 | Yuko Matsumoto, Ms.
『巨食症の明けない夜明け』(松本侑子・著、集英社文庫)
 松本侑子氏のデビュー作である。とはいっても、彼女の本来の意味でのデビューは知らない。単行本としての『巨食症の明けない夜明け』は手に取ったことがないからだ。本書の次に書かれた『植物性恋愛』と、その数年後に出た『作家以前』や『読書の時間』などのエッセイが「松本侑子」と自分との初めての出会いである。ちょうど同じころ『巨食症の明けない夜明け』が文庫化され、それらのついでに買ったというのがたぶん本当のところだったように思う。そのためか『植物性恋愛』や一連のエッセイに比べてそれほど印象に残らなかった。しかし、この秋―個人的にではないが―松本侑子氏に初めてお会いできる機会を得ることになった。それに先立って、作家「松本侑子」の出発点である本書をもう一度読み返してみようと思った。お会いするにあたって、「松本侑子」ファンであると公言している自分にとっての礼儀のように思えたからである。
 人間の記憶とは儚いものだ。本書のページを十数年ぶりにめくってみると、断片的にいくつかのシーンは遠い記憶に残っていたが、そのほとんどが初めて読むように新鮮な感じがした。当時はストーリーを追うだけで、そこに込められたメッセージを読み取ることはできなかったのだろう。あれから十数年の歳月を経て、メッセージを解読する鍵を、ほんの少しずつではあっても自分のものとしてきたように思う。それは、けっして数多くはないけれど、人との出会いや経験、雑多な読書を通じて得てきたものだ。さらに言えば、「松本侑子」を読むことによって「松本侑子」を読み取る鍵を得てきたようにも思える。もちろん、本書に込められた女性性をめぐる問題や文明批判のメッセージを感じ取るための、自分にとっての基盤は「松本侑子」以前にもあった。彼女との出会いは「落合恵子」や「上野千鶴子」の延長線上でのことであったからだ。しかし、そのようなメッセージをよりクリアに、そして、より平易に示してくれたのはやはり「松本侑子」であったと思う。だからこそ、当時はあまり印象に残らなかった本書が、いまになってその本当の姿とでもいうべきものをより明瞭に感じられたのだろう。
 「巨食症」という言葉は著者の造語である。一般的には「過食症」といわれている摂食障害のことである。しかし、それは「過食症」でも「大食症」でも「超食症」でもなく、「巨食症」でなければならない。一見ことば遊びのようにも思えるが、文明を批判的に見る著者のまなざしがここにはある。 「巨大文明とか、巨大産業社会などという言葉が、どこかしら大仰で、それゆえに滑稽に聞こえるのと同じように、巨食症もコミカルなのです。そして、いのちに支障がない程度に悲惨なのが、巨食症なのです」 文庫本の「解説」で川西政明氏(どのような方なのか存じ上げないが)も引用している一節である。『巨食症の明けない夜明け』が書かれ、単行本として出版された1980年代後半は、まだまだバブル景気の時代ではなかったかと思う。人々は巨大な消費社会に埋没し、われを忘れていた。そのような時代のなかにあって、著者は一人の孤独な女子大生の物語をとおして―女性性と関連させながら―巨大消費社会の虚飾をみごとに描いていた(当時の自分はそのメッセージを感じ取れていなかった)。それはデパートの食品売り場や、さまざまな食品・食物の迫力ある描写にあらわれているように思う。これでもかといわんばかりの執拗な描写には息をのむ。失礼を承知でいえば、食べものをこのように色鮮やかに描けるということだけからでも、当然ながら当時はまだ無名であった松本侑子という女性の表現者としての才能がたしかに見てとれる。やはり作家になるべくしてなった人なのである。
 松本侑子氏は本書の「文庫本のためのあとがき」のなかで、「どうしてこんな話を作り上げたのか我ながら見当がつかないところがいくつかあった」と書いている。しかし、「天が書かせてくれたと、謙虚に思うことにしている」と続けている。その言葉は、まさしく天が彼女を作家へと召した証のように思えた。彼女は「この作品からすべてがはじまったという気がする」とも書いているが、それはきっと素直な気持ちであろう。『巨食症の明けない夜明け』は作家「松本侑子」の原点であったが、自分にとってはこの作家との原点ではなかった。しかし、本書をあらためて読み返したことによって、自分が「松本侑子」を読むことの原点を再確認させてくれた。その意味では、自分にとっても『巨食症の明けない夜明け』は原点であるといえるだろう。
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