「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『センス・オブ・ワンダー』

2005年10月19日 | Ecology
『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン・著、上遠恵子・訳、新潮社)
 情緒ゆたかな文章と詩情をそそる数編の写真に彩られた小さな本である。著者はレイチェル・カーソンというアメリカ人女性である。写真で見るかぎり物静かな感じの女性だ。しかし、彼女の四冊目の著書となった『沈黙の春』は、たぶん彼女自身も予想していなかったであろうが、世界に大きな衝撃を与えた。世の人々に環境破壊の実態を知らしめたからである。『沈黙の春』は現代に至るまで、およそ「環境」に関わろうとするならば避けて通ることのできない歴史的な本となったが、彼女の原点はこのような環境問題の告発にあったのではなかった。
 レイチェル・カーソンは田園風景の美しいペンシルバニア州の片田舎に生まれた。少女時代は作家になることを夢見ていたが、母親の手ほどきで自然にも親しみながら成長した。そのため、彼女は文学にも科学にも興味を持っていたが、結局大学では生物学を専攻した。その後、漁業局に勤めることになり海洋生物学者としてのスタートを切った。やがて、科学的知識と文学的素養とを活かして書かれた海に関する著書がベストセラーとなり、作家を専業とするようになった。このように、自然と、その自然のなかで営まれる生物たちの様々なドラマを暖かく見守り、そのような自然(生態系)と「交感」する喜びや楽しみを伝えることが、彼女の作家としての原点だったのではないかと思う。
 かつてC.P.スノー(イギリスの物理学者、作家)は「二つの文化」という言葉で、いわゆる文科系と理科系との断裂を嘆いた。彼の発言は当時の冷戦状況を反映したものでもあったようだが、いまに至るまで、われわれは文科系と理科系という二分法にどこかとらわれているように思う。しかし、少し考えてみればすぐに気づくことだが、この二分法はけっして明瞭なものではない。自分自身を顧みても、自分が文科系的な人間なのか理科系的な人間なのかさっぱりわからず、決着など着けようがない。思うに、ほとんどの人々が文科系的でも理科系的でもなく、いわば「両性具有」的なのである。だから、人生のどこかでそのような二分法を刷り込まれてきたことこそ問い直してみるべきではないだろうか。レイチェル・カーソンもまた、文学志望を生物学志望へと変えるときに思い悩み、大学院時代には作家志望を諦めていたという。しかし、彼女のなかの「ものを書きたい」という思いに彼女は再び気づき、彼女のなかで科学者と作家は見事に統一されたのだった。その視点から見れば、この『センス・オブ・ワンダー』は作家としての面がより強く出ているようにも思われる。しかし、本書の記述が、彼女の科学者としての観察眼や自然(生態系)への愛情に支えられているのは疑いない。
 人間は本来的に自然を求める。人間は自然にふれることを喜びとし、自然にふれることで癒される。たしかに一方では、自然は人間にとっては脅威であり続けてきた。しかし、それでも人間は自然を美しいと感じ、自然を愛してきた。しかし、それはなぜなのだろうか。その根拠をいわば遺伝子に求める人もいる。『社会生物学』の大著を著したE.O.ウィルソンがその人であり、人間の自然を愛する心性を彼は「バイオフィリア」と呼んだ。人間は自然を愛するべくして愛している。もしそうであるならば、自然や環境を守らねばならないという規範(環境倫理)は遺伝子に基礎を持つことになる。ここへきて、文科系の倫理学は理科系の自然科学の傘下に入ったことになる。もちろん、このような仮説には多くの反論もある。ただ、一つだけ言えることは、文科系と理科系との学問の縄張り争いや、自分は文科系か理科系かといった思い込みに振りまわされることなく、ものを見て、ものを感じてみるべきである。あえて言えば、現に存在する自然は文科系と理科系とに分かれているわけではないのだから。レイチェル・カーソンは、結果的に彼女の遺作となったこの『センス・オブ・ワンダー』を次の言葉で結んでいる。

 自然にふれるという終わりのないよろこびは、けっして科学者だけのものではありません。大地と海と空、そして、そこに住む驚きに満ちた生命の輝きのもとに身をおくすべての人が手に入れられるものなのです。
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