28 頭陀袋を 新しくして 出発 の 芭蕉さん
あやとり橋を 過ぎた 小さい公園 ? 脇に
ガラスケースに入った 消防車があった。
大正15年 フォード製 手挽(び)き ガソリンポンプ
と 鈴木式ポンプ 搭載 とある。
xxxxxxxxxx 調べてみた xxxxxxxxxx
昭和6年5月 山中温泉 大火事。
総戸数1200戸の内、800戸以上が 焼失した。
その火が 止まったのが 恩榮寺の前 (この辺)。
鎮火に 貢献した消防車 って ことのようだ。
予定表に
山中温泉こおろぎ橋~ 2時間半と 書いてあったので
( 温泉散策 全部の時間だったのだろう)
行くのをためらったのだが、
実際に 川沿いの 遊歩道を 歩いたのは
30分ぐらいだった。 何ごともなくて よかった。xxxxxxx
骨折手術をして、 退院するとき、
主侍医が 「今度 倒れるときは 右にしなさい」 と。
左大腿部には 金具の支えが 2本 入っている。
同じ方向に 倒れると、ぐちゃぐちゃになって 修復不可能。
寝たきりになる、から と いうことを、
簡単に 注意してくださったのだろう。
ありがたいことである。
それを 日々忘れないで 暮らしてきた。
普段は 杖は いらなくなったが、 出かけるときは 放さない。
消防車をみて、 山中温泉 街へ 入った。
9日泊まった泉屋の趾
想像たくましくして、ここに 宿屋を 建てる。
桃の木の その葉散らすな 秋の風
楽しげな 芭蕉(桃青)さん 宿の主久米之助(桃妖)も
いる。 もしかして 曾良さんの腹痛は ?
xxxxxxxxxx ず~~~と 気になっていた。
本をみつけた。
奥の細道行脚―『曾良日記』を読む
xxxxxx 東京で 小遣いを もらっている。
それで、奥の細道 かかわりの本を 計3冊 買うことにした。
菊の湯 ここは 男湯 すると 女湯は ?
次は
芭蕉の館は 泉屋の かかわりの宿跡だったはず。
この方 が ↑ 山中節を 歌っています。(写真 失敗)
歌いなれています。
昔、 浴場と それに合わせる方
声を、 歌の文句を、 競った ことでしょう。
お馴染みの 同行二人
古文書 保存されています
。
芭蕉の 頭陀袋 だそうです。 意外と 小さい。
←
ここから 大垣まで 行く。
誰が 新調してくれたのでしょう、。
肩にして 旅立つ 芭蕉さん。
新しい 頭陀袋との 同行二人になります。
xxxxxxxxxxx また 並んで 芭蕉堂へ 歩く。